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第266話 死神ちゃんと釣り人②

 死神ちゃんが待機室で出動待ちをしていると、電光掲示板の出動発令にとある社員の社員番号が一瞬だけ表示された。まるで慌てて取り消し処理をしたとでもいうかのように表示が取り下げられた社員は、尻尾をくねらせながら首を傾げた。


「今の、不具合なのね? あたい、行かなくてもいいの?」


 顔を洗いながらマイペースに喉を鳴らしたにゃんこに、ケイティーはバツが悪そうに苦笑いを浮かべた。そして必死にうなずきながら、声を上ずらせた。


「ああうん、間違い間違い。今のは、そう……小花(おはな)に出動が上がったんだよ」

「え、俺?」


 死神ちゃんは、思いがけず名前を呼ばれたことに眉根を寄せた。ケイティーはなおも小刻みにうなずき、にゃんこと死神ちゃんを交互に見つめながら機械を操作し、掲示板に死神ちゃんの社員番号を表示させた。不審に思った死神ちゃんがケイティーに近づいていくと、ケイティーは勢いよく腕を伸ばして死神ちゃんの肩を攫った。


「何だよ、どうしたんだよ」

「整備不良かなあ? あとでスキャンかけなきゃ。そのための元気を、我に授け給え」


 思い切り抱き寄せられたことでバランスを崩しかけながら、死神ちゃんは目をパチクリとさせた。するとケイティーは死神ちゃんに抱きついたまま、軽くトントンと指でリズムを取った。それは〈あとでメールする〉という内容のモールスだった。死神ちゃんはケイティーから解放されると、首をひねりながらも、とりあえずダンジョンへと降りていった。
 ダンジョンに降り立ってすぐ、ケイティーからメールが入った。どうやら先ほどのは簡単に言うと人的ミスだそうで、以前グレゴリーが一人で対応したと思っていた作業が実は完了していなかったらしい。「グレゴリーさんでも、そういうミスを犯すんだな」と思いながら〈担当のパーティー(ターゲット)〉の元に向かった死神ちゃんは、現場に到着するなり人的ミスの発生要因に思い当たって嗚呼と呻いた。目の前では、男が折りたたみ式の椅子に腰掛けて釣り糸を垂らしていた。

 以前、にゃんこが出動したきり帰ってこなかったことがあった。にゃんこはとり憑いた冒険者に懐いてしまい、自分の仕事を終えたあともその冒険者にまとわりついて仕事放棄をしてしまったのだ。おかげさまで、その時すでに退勤時刻を過ぎていたはずのグレゴリーは〈にゃんこが戻ってきたら、ひっ捕らえて課長のデスクまで引きずっていく〉という任務ができてしまって勤務から上がれなくなった。
 当時ケイティーは早番の現場監督者として待機室に居合わせていたのだが、どうやら彼女は〈今後、この冒険者へのとり憑き業務が発生した際に、にゃんこに割り振られないようにする〉という作業をグレゴリーが〈にゃんこ帰還待ち〉の合間に行ったと思っていたらしい。しかし実際はそうではなかったようで、それで先ほど再びこの冒険者がにゃんこに振られたことに驚いて挙動不審となってしまったようだ。――これは挙動不審になるのも無理はないな、と思いながら、死神ちゃんは釣りを楽しむ冒険者に声をかけた。


「竜は釣れたか?」

「おお、これはいつぞやの嬢ちゃんじゃあないか! 残念ながら、まだ釣れてはいねえんだよ!」


 冒険者――竜を釣って世界を救うということを夢見る釣り人は快活に笑うと、死神ちゃんの頭をグリグリと撫でた。そして彼は釣り竿を竿受けに預けると「魚、食うか?」と言って立ち上がった。
 彼が焚き火の準備を始めると、死神ちゃんは「本日の釣りの目標も竜なのか」と尋ねた。すると彼はぼんやりとした表情を浮かべて、歯切れ悪く言った。


「この前な、ここでししゃもを釣ったんだよ」

「随分とまた、小さな獲物だなあ。リリースしてやったのか?」

「それがな、なんか、こう、仲間にして欲しそうな目でこちらを見てきたんだよ。だから、持って帰って水槽で飼うことにしたんだよ」

「はあ……。それで?」

「飼い始めて数日後、オズワルドはカンパチへと姿を変えていたんだ」

「はい……?」


 死神ちゃんは〈理解しかねる〉と言いたげに顔をしかめたが、彼はそれに構うことなく話を続けた。


「さらに数日後、オズワルドはカンパチからヒラメへと出世していたんだ」

「いやいや、待てよ。カンパチはたしかに出世魚だが、ヒラメになるわけないだろうが。出世というよりも部署替えだろ、それは」

「それでもって、最終的にオズワルドはイカになったんだ」

「なるわけあるかーッ!」


 火の番を任されていた死神ちゃんは、思わずふいごを地面に打ちつけるように投げ飛ばした。釣り人は魚に串を刺す作業を中断させると、不思議そうに首を傾げた。


「だよなあ? 俺の見間違いかなあ? でも、水槽の中にはオズワルドしかいなかったから、あのカンパチもヒラメも、そしてイカもオズワルドのはずなんだよ」

「ていうか、オズワルドってししゃもに名付けるには御大層すぎやしないか」

「まあ、そんなわけで、出世の瞬間を確認したいなと思ってな。もう一度、ししゃもを釣ろうと思って来たわけよ」


 彼は魚に串を通し終えて塩をまぶすと、それを焚き火の周りに並べた。しばらくして魚が焼きあがると、死神ちゃんは釣り人と一緒にほくほくに焼き上がった魚に舌鼓した。
 魚を食べている最中に、釣り竿に反応があった。釣り人は慌てて釣り竿のもとに戻ると、魚との格闘に精を出した。膠着状態が続き、釣り人はフンと気合の篭った声を上げて竿を振り上げた。水面から引き出されて中を舞ったのは、獰猛な歯をギラつかせたサメだった。前回ピラニアのようなサメのような謎の魚に慌てふためいていた彼は、今回は落ち着いた調子で竿から手を放した。そしてニヤリと笑うと、ポーチから何やらを取り出して勢い良く紐を引きドゥルンと音を立てさせた。

 死神ちゃんはその光景に唖然として、うっかり魚がまだ刺さったままの串をポロリと落とした。目の前ではおっさんが鬨の声を上げてチェンソーを空へと振り上げ、落下してくるサメを待ち構えていたからだ。サメはチェーンソーで真っ二つに引き裂かれ、釣り人はサメの血でずぶ濡れになりながらも勝者の笑みを浮かべて雄叫びを上げた。死神ちゃんがこちらに指さしして口をパクパクとさせていることに気がついた彼は、血を拭いながら不敵に笑って言った。


「サメを倒すにはこの武器が最適だって、前に異界の勇者に教えてもらってな。だから、四階の森で調達してきたんだ」

「はあ、そう……。異界の勇者……?」

「おう! 何だったかな、びーきゅーえーがってやつのお約束らしいぜ!」

「ああうん、そうですね……」


 何でも、彼は以前にもサメに襲われたそうで、そのとき偶然通りかかった召喚士が呼び出した異界の者に助けてもらったのだとか。どうやらこのファンタジーな世界に召喚されてやって来る者は、同じくファンタジー色の濃い世界からだけというわけではないらしい。死神ちゃんはまさかこんなところで〈B級映画〉という単語を聞くことになるとは思わず、驚愕したまま固まっていた。
 しばらくして、彼の釣り竿に再びヒットがあった。かかった獲物はフグだった。ぷっくりと不機嫌に膨れたフグは、彼の手の中でぷくぷくと膨れ続けた。


「おい、このフグ、どこまで膨らむんだ?」

「すげえ膨らむよな。これ、本当に魚か――」


 釣り人は最後まで言葉を言い終えることなく、その場に倒れ込んだ。膨れ上がったフグは、そのままパアンと盛大に爆発を起こしたのだ。先ほどチェンソーを振り上げて大活躍していたのが嘘のように幕切れしたことに死神ちゃんは目を(しばた)かせると、カンパチの出世の仕方はどうだったかなと首をひねりながら姿を消した。



   **********



 ケイティーの奢りでマッコイとともにビュッフェにやって来た死神ちゃんの皿の上は、魚づくしとなっていた。あのあと、にゃんこはすぐに〈不自然な不具合〉から興味を失ったようで、ケイティーはシステムをいじる作業を難なく終えられたそうだ。死神ちゃんが様々な魚料理を堪能していると、ケイティーがによによと笑いながら言った。


「ねえ、あとで特大パフェ頼んでいい? 小花が一生懸命食べてるのを見て、私、癒やされたい」

「おう、いいけど、もしかしてそれも――」

「もちろん、奢り!」

「やったね!」


 死神ちゃんは嬉しそうに笑いながら、カンパチの刺し身を口に運んだ。脂の乗ったそれにうっとりと頬を落としながら、死神ちゃんは本日のこの〈ご褒美を頂く原因となった出来事〉について、一緒に来ていたマッコイに話して聞かせて首を傾げさせた。


「カンパチがヒラメになって、さらにイカになるって、一体どういうことなんだよなあ? カンパチとヒラメじゃあ出世というより部署替えだし、イカなんて会社まで変わってるようなもんだろう」

「あら、そもそもししゃもからカンパチだって出世じゃあないじゃない」

「えっ、ししゃもって何かの稚魚じゃあなかったのかよ!?」


 死神ちゃんは愕然とすると、うっかり箸をポロリと落とした。マッコイは「新しいお箸をとってくる」と立ち上がると、続けて言った。


「ていうか、何かの稚魚だったら、子持ちになんてなり得ないでしょう?」

「あ、それもそうか……。危うく、魚界隈に新たな社会問題を起こすところだった……」

「出世に異動に転職ときて、未成年者の妊娠問題とかどんだけだよ。世知辛い」


 ケイティーが眉根を寄せると、死神ちゃんは決まりが悪そうに苦笑いを浮かべた。マッコイはおかしそうにクスクスと笑うと、子持ちししゃもを美味しそうに頬張ったのだった。




 ――――魚介の世界も世知辛い世の中のようDEATH……?

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