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 次の日の朝、学校に行かなくてよくなった私は、祖母のキャビッチ畑でキャビッチを五個ほど選び、森の中へ入っていった。

 きのうビューリイ類鬼魔に出くわした、タルパオの大木が見えるところまで行く。

 その木に向け、まずは肩慣らしでストレートを投げる。

 どん、と重い音がして、タルパオの幹の、ねらったとおりのところが緑色に変わる。

 この、木に当たるときの音が、むかしにくらべると(というと私の母は「あなたのむかしって、ついこないだのことでしょ」といってけらけら笑う)、だいぶ低く、重たい感じになってきたことが、私にとってのひそかな自慢だ。

 むかしは――私からみて――もっと、ぱしっ、とか、ぱん、とか、軽い感じの、あまり痛くなさそうな音だったのだ。

 私の投げるキャビッチは、かなり重くなってきている。

 これは単に、キャビッチの質の良さとか、投げるキャビッチのスピードが速くなったからだけではない。

 私自身の魔力が成長したのと、投げ方がスムーズになってきたのと、キャビッチへの力の伝え方がうまくいくようになったからだ。

 ……と、リクツではそういうことなのだけれど、私はひそかに、ただ毎日学校や森の中や海岸なんかで練習するだけでは、いまあるほどには重く、強くなっていなかっただろうと思う。

 ではなぜそうなったか。

 いうまでもなく――いったら怒られるからいわないんだけど――あっちこっちで、いろんなたくさんの鬼魔と闘ったからだ。

 それは偶然そうしなければならなくなってしまったせいでもある。

 または、ある一匹のムートゥー類鬼魔の、気まぐれ的な思いつきにつき合わされたせいでもある。

 その一匹のムートゥー類鬼魔はゆうべ、みんなが寝しずまったあと、金色の翼をひろげ窓からこっそりどこかへ飛んでいった。

 きっと友だちのアポピス類鬼魔を呼びにいったんだろう。

 まあ、そいつがいない方がのびのびと安心して練習にうちこめるので、しばらく帰ってこなくてもいいけど。

 そんなわけで、これまでのおさらいだ。

 リューイ。エアリイ。シルキワス。

「あ、そうだ」私はとつじょ、あることを思いついた。というか、思い出した。

 同時がけ。あれを練習してみよう。

「リューイ、モーウィ、ヒュージイ、エアリイ、セプト、ザウル」リューイの呪文とエアリイの呪文をつづけて誦呪する。

 なにも、起きない。

「あれ」私は、頭上にもちあげた祖母のキャビッチを見上げ、もういちど「リューイ、モーウィ、ヒュージイ、エアリイ、セプト、ザウル」ととなえた。

 けれどやっぱり、しーんとして何ごとも起きない。

 キャビッチは巨大化もしなければ分裂もせず、ちょこんと私の手の中に存在しつづけている。

「あれー」私はふしぎでしかたなかった。

 確かにいちど、この魔法が使えたはずなのに。あの、見えないアポピス類がわが家にやってきた時。

「リューイモーウィヒュージイエアリイセプトザウル」できるだけ早口でとなえる。

 が、やっぱりキャビッチはうんともすんともいわない。

「ええっ、どういうこと?」私は森の中でひとり、あせりにあせって叫んだ。

 どうしてできないんだろう。

 いや、逆にどうしてあの時はできたんだろう。

 あの時といまとで、どこが、なにがちがうんだろう。となえ方? 持ち方? 姿勢? キャビッチの質――はありえないか、なにしろこれは、伝説の魔女ガーベラのキャビッチだもの。

 やっぱり、現実に鬼魔が目の前にいて、自分を守るために本気で闘う必要がある場面でないと、力が出せないのかな。

 それとも――あんまりこんなこと思っちゃいけないかもだけど――この、伝説の魔女のキャビッチに“ばかにされている”のかも。

 なんであたしがあんたなんかの命令にしたがわなきゃいけないのよ、みたいな感じで。

 それはもちろん、祖母自身がそんなことを思っているというわけでは決してない。

 キャビッチという魔法の野菜は、本当に、ひとつひとつ性質が――というか性格がちがっていて、人間とおなじで、やさしいのもいれば冷たいのもいれば、がんこなのもいる。

 前にもいったけどその性格はあるていど、育てた人の性格をうけつぐので、まあその意味では、祖母の中にあるプライドの高さというものが、このキャビッチにも受けつがれているのはまちがいない。だからこそ、私のような子どもの誦呪になど、したがえないというのかも知れない。

 ああ、むずかしい。めんどくさい。

 でもそうもいってられない。

 今このことを祖母に相談したとして、返ってくる答えはわかっている。

「百回やってできなければ、何か方法を考えましょう」だ。

 ふう、と私は肩で息をついた。

 そしてもういちど、キャビッチを持ち上げる。

「リューイ」叫ぶ。

 ぐん、とキャビッチが五十センチほどに巨大化する。

「エアリイ」つづけて叫ぶ。

 ぐら、と、巨大化したキャビッチがゆれる。けど、分裂しない。

「セプト、ザウル」完誦する。

 ぐら、ぐら、と何回かゆれたあと、ぼん、と音がして、巨大化キャビッチは二つに分かれ、空中にふわふわと浮かんだ。

「うーん」私はやっぱり首をかしげた。

 分裂はしたけど、リューイを完誦していないから大きさもたりないし――私にしては――、なんとなく力も弱そうだ。たぶん、この二個のキャビッチを投げたとしても、ぱしっ、とか、ぱん、ぐらいの効果しか出ないだろう。

 むずかしいなあ。

「へえー、すごいなあ」背後で声がした。

 ふりむくと、アポピス類のケイマン、サイリュウ、ルーロ、そしてムートゥー類のユエホワがぞろぞろと近づいてきていた。

「あ、おはよう、ございます」私はぺこりとあいさつした。

 鬼魔に敬語というのも妙な気がしたけど、いちおうこの人たち、人間の魔法大学の学生さん、つまり学校的には私の先輩にあたる人たちだからな、と自分に言い聞かせる。

「うむおはよう」けれどなぜか、真っ先に片手を上げてえらそうに返事したのは学生でもなんでもないムートゥー類だった。「がんばっとるかね。ご苦労」

「君すごいね」ケイマンが、むすっとする私に笑顔で話しかける。「リューイとエアリイの同時がけなんて、はじめて見たよ」

「すばらしいですね」サイリュウもなんどもうなずく。「さすがはポピーさんでございます」

「それガーベラのキャビッチ?」ルーロが、朝から子守唄のような声でささやく。

「あ、うん、えと」私は、だれから返事をすればいいのかとまどいながらうなずいた。「おばあちゃんのキャビッチで……まだ練習中。です」

「じゃあぜひ、君のスローを見せてほしいな」ケイマンが、わくわくしたような声でうながす。

「ええ、ぜひ、その先をお続けになってくださいませ」サイリュウも、私の持つキャビッチに手をさしだしながらうながす。

「ただし俺たちに向けて投げるのはかんべんだぜ」ルーロがこっそりとつけたしてひひひ、と朝から幽霊のように笑う。

「あ、はい」私は空中のキャビッチに手をそえ、タルパオの木の方へ向き直った。

 すう、と息を吸い込み、ふう、とはき出す。

 もういちど吸い込みながら、両手のキャビッチを同時に肩のうしろに引きさげ、次の瞬間左足を踏みこみつつ両手を同時に前にふりおろす。

 二個の巨大化キャビッチはならんで飛び、右側のものはすこし沈んでから浮きあがり、左側のものは逆に少し浮かびあがってから沈むかたちで、同時にタルパオの幹の、上下にわかれた位置にばしん、とぶつかった。

 タルパオの梢が、さわ、と揺れた。

 やっぱり、ちょっとパワー的に弱い。

「おおー」けれど三人のアポピス類は同時に感動してくれた。「すごい」

「ふむ」一人のムートゥー類だけが、えらそうに腕組みする。「まあまあだな」

「どうも」私はにこりともせず小さく答えた。

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