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城下町デート 1

 王と少年を乗せた王獣は、見る見るうちに広い王宮の敷地を抜け出し、その外に広がる城下町の上空へと身を滑らせた。優雅に翔ける赤い獣の下に広がるのは、王都グランニールの町並みである。ちょうど昼下がりということもあってか、赤レンガを基調とした建物が並ぶそこは、ほど良く賑わっているようだった。
 と言っても、王獣が現在飛んでいる位置はかなり高く、この距離で少年がそれを視認することはできないだろう。そもそも、王と知り合うまで騎獣に乗る機会などなかった少年には、下を眺める余裕などどこにもないのだ。先ほどほんの少しだけ下を覗いたときは後悔の念しかなかったので、今はもう目を閉じることにしている。
 そんな少年の内心を知っているのかいないのか。彼を片腕に抱えた王は、時折少年の髪を梳いては、そこにキスを落としている。
 髪を弄ぶ指や王の吐息から、自分がされていることになんとなく気づいていた少年ではあるが、ここで王から離れたら落ちてしまいそうなので、大人しく耐えていた。本当はものすごく居心地が悪いのだが、それでも落ちて死ぬよりマシである。
 それにしても、何故か王獣は未だに高度を下げる様子がない。今自分たちがいる位置は良く判らないが、城下へ行くと言うのなら、そろそろ下がり始めても良い頃なのではないだろうか。
「あ、あの……、」
「うん? どうした?」
 か細い声を出した少年に、王は彼の頭を優しく撫でた。
「なんで、王獣様、は、こんなに高いところを飛んでいるんでしょうか……?」
「王獣というのは本来、国民の前には滅多に姿を見せない獣だからなぁ。民の描く理想像を壊さぬよう、グレンも色々と配慮しているのだろうよ」
「え、ええと……?」
 言われた言葉の意味が判らずに困惑する少年に、王はにこりと微笑みかけた。
「つまり、ここからは私たち二人で行こうか、という話だ」
「え、でも、二人って、」
 言いかけた少年を、王が両腕でしっかりと抱き込んだ。
「それでは、行ってくる。帰りの心配は不要だ。どうせ迎えが来るからな」
 その言葉に王獣が吠えて答えるのを確認してから、王は少年を抱き締めたまま、獣の背から飛び降りた。
「っ、へ、へーか!?」
 王にとっては慣れたものだったが、一緒にいた少年にとってはとんでもない自殺行為だ。
 まさかこの高さから飛び降りるとは欠片も思っていなかったので、悲鳴交じりに王を呼んだ少年の声は、驚きと恐怖で裏返ってしまった。
 だが、いつまで経っても恐れていた浮遊感が襲ってこない。
「……?」
 王にしがみついたまま、少年がおそるおそる目を開けると、そこに見えたのは思っていたような景色ではなかった。
 きっとものすごい勢いで地面が近づいているのだろうと思っていた少年だったが、実際に視界に広がったのは、驚くほど緩やかに穏やかに眼下の街が近づいていく様子だった。
 浮遊、とは少し違う。緩やかに落下しているのだと気づいた少年は、思わず問うようにそっと王の口元あたりを見上げた。ここで目を合わせないように注意するあたり、こういった突飛な事態にも少しは慣れてきたのだろうか。
 そんな少年の視線に気づいた王が、ああ、と口を開く。
「風霊がな、落下速度を緩めてくれているのだ。気圧の変化にも対応してくれているから、体調に異常をきたすこともないだろう」
「……魔法……」
 そういえばこの人は王様で、王様は皆優れた魔法使いなのだった。いや、それにしても、
「魔法って、何も言わなくても発動できるものなんですね……」
 きっとそれだけこの人が強いということなのだろうけれど、と思いつつそう言った少年だったが、王は少しだけ不思議そうな顔をして首を傾げた。
「いや? どんなに優れた魔法師でも、精霊の名を呼ばずに魔法を使うことなどできんよ。グレイがなんと教えたかは知らんが、定義立てるのならば、魔法はきっと簡易的かつ限定的な即時契約に似ている。私たち人間は、魔法が発動してから終わるまでの間、魔力を対価に期間限定で精霊の力を借りているのだ。これは一種の契約のようなものと言えるだろう。ならば、双方の同意がなければ成立しない。魔法師が意思伝達の手段として最も使っているものを通して、明確に精霊の名を呼ぶことで契約を持ちかけ、それに精霊が応える、といった一連の流れを経なければ、人間は魔法が使えないのだ」
「意思伝達の手段として最も使っているもの……」
「多くはそれが声になる。口が利けぬものならば、手話か筆談か。尤も、何故そういった決まりがあるのかまでは判らんがな」
 なるほど。魔法を契約と称した王の言葉はとても判りやすく、少年でも理解することができた。だが、それならば尚のこと納得できない。
「……でも、貴方は飛び降りるとき、風霊の名前を呼んでいなかったじゃないですか」
 そうなのだ。王獣の背から飛び降りた時、確かに王は何も言っていなかった。意思伝達の手段として最も使っているもので精霊の名を呼ばねば魔法が使えないと言うなら、王の場合のそれは間違いなく声だろう。いくら驚いていたといっても、あの至近距離で王の声を聞き逃すほど少年の聴力は低くない。
「ふむ。そこに気がつくとは、キョウヤは聡い子だな」
 少年の指摘に、王はにこにこと笑って彼の頭を撫でた。
「お前の言う通り、私は風霊の名は呼んでいない」
 あっさりと肯定した王だったが、今も二人は風霊魔法による緩やかな降下を続けている。
「……じゃあ、なんで……?」
 少年の呟きに、しかし王は困ったような表情を浮かべて首を傾げた。
「なんで、ときたか。さて、なんで、なんでか……、……何故なんだろうなぁ」
 尋ねているのは少年の方なのだが、逆に訊き返されてしまった。
「いや、私にも判らんのだ。だが、何故か私は精霊の名を呼ばずとも魔法を発動できてしまう。というよりは、精霊の側が色々汲み取って勝手に魔法を使ってしまうことがある、と言った方が正しいのか? 例えば先ほどのような場合、あのまま普通に落ちれば死ぬからな。死にたくはなかろうと、風霊が勝手に落下速度を緩めてくれたのだ」
「…………はあ」
 間の抜けた返事しかできなかったが、返事ができただけ良しとしよう。
 少年は魔法について全く詳しくないが、王の言っていることが普通ではないのだろうことだけは判った。
「あ、もしかして、王様は皆さんそうなんですか?」
「いいや。先ほど言った通り、魔法を使う際には必ず精霊の名を呼ばねばならない。これは王だろうとなんだろうと変わらぬ事実だ」
「でも、貴方は精霊の名前を呼ばなくても使えてしまうんですか?」
「そうなのだ。困ったな」
 全く困っていない様子で言った王に、少年はやはり間の抜けた返事しか返せなかった。
「そうだキョウヤ。これは一応、あまり周囲に言いふらしてはいない秘密でな。できれば内密にして貰えると有難い」
「……秘密なら、僕の前でそんなことをしなければ良かったのでは……」
 まだ付き合いは短いけれど、それでも、ついうっかりと秘密を漏らすような真似をする王ではないと少年は判っていた。だから、あれはきっとわざとだ。少年が気づくと判っていて、わざと精霊を呼ばずに風霊魔法を発動させたのだ。
「広く知られては色々と面倒なので話していないだけだからな。その程度の秘密ならば、お前に隠すのも変だろう」
「変、でしょうか……?」
 少年は他国の庶民である。それだけで、国王の秘密を隠す理由には十分すぎるほどだと思うが。
「そうだとも。誰よりも愛しいお前に、無意味な隠し事などすべきではないだろう?」
「……はあ、そうですか」
 そんな理由で簡単に秘密を明かしちゃうのはどうなのかなぁ、と思った少年だったが、きっと言っても無駄なので言いはしない。そして、王の相変わらずの愛情表現にも、特にこれといった反応を返そうとは思えなかった。
 しかし、いくら穏やかな落下であるとは言え、未だ上空にいる状況で会話をこなす余裕があるというのは、普段の少年ではあり得ない話だ。恐らくはまだ少年も自覚していないのだろうが、これは、少年が王を深く信頼し始めているということを示していた。

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