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第259話 死神ちゃんと生物学者

 学者風の格好をした男が、まるで迷子とでもいうかのように、地図に目を落としては首を傾げながら歩いていた。死神ちゃんは〈担当のパーティー(ターゲット)〉と思しき、この彼の背後からこっそりと近づくと、幼女を装ってだしぬけに声をかけた。


「ねえ、おじさん。迷子なの?」

「おや、これはこれは可愛らしいお嬢ちゃん。僕は迷子ではないよ。お仕事でやってきたんだよ。君のほうが迷子なんじゃあないかい? それから、僕はまだおじさんっていう年齢じゃあないよ」


 男は、苦笑いを浮かべると死神ちゃんの頭を撫でた。死神ちゃんは目をパチクリと(しばた)かせると、首を傾げて「何のお仕事?」と尋ねた。すると、彼は笑顔を浮かべて答えた。


「僕はね、生物学者なんだ。いわゆる〈人〉とか〈亜人〉とか、家畜とされるような〈魔力を持たない動物〉とか以外の、精霊や魔法生物なんかが専門なんだ。――お嬢ちゃんには、まだ難しいかな? えっとね、身近なやつで言うと、〈蠢くヘドロ(クレイウーズ)〉とかスライムとか。ああいう、魔力をほんの少しでも持っているやつだよ。分かるかな?」

「その例えだと、おじさんは生物学者よりも害獣駆除業者っていう感じがするね。せめて、ピクシーとか〈木の精霊(ドリアード)〉とかを例に出しなよ」

「そうだね、そういうのを例として提示すればよかったね。ごめんね、お兄さん、君のことを侮っていたよ」


 死神ちゃんはニコリと可愛らしく微笑んだ。辛辣な精神攻撃を食らった生物学者は、やけに〈お兄さん〉を強調してそのように返答すると、しょんぼりとうなだれた。
 死神ちゃんは彼が落ち込んでいることなどは構わずに、調査内容について尋ねた。すると、彼は生き生きと目を輝かせて「すごい噂を聞いたんだ!」と言った。


「すごい噂?」

「そうなんだ! ゴーレムは知っているかい? アレの、泥や土でできたやつにね、なんと〈しゃべる野菜〉が植わっていたそうなんだよ! しかもどうやら、そいつがゴーレムを操っているらしいんだ。だからね、〈新たな精霊や魔法動物が誕生した姿なのか、それとも〈植物と土〉という共生関係にあるのか〉を調べに来たんだよ!」


 死神ちゃんは苦い顔を浮かべると、頭を抱えてうなだれた。頬を上気させて捲し立てた彼は、死神ちゃんの様子に首を傾げた。


「何? どうかしたかい?」

「お前は何も、噂などは耳にしなかった。いいな?」

「えっ、何?」

「いいな? お前は何も、噂などは耳にしなかった。しなかったんだ」

「いや、でも――」

「いいから。三度は言わないからな。いいな? そういうことだから、他に用事がないなら、教会に寄って、とっとと帰れ」


 死神ちゃんが斜に構えて〈帰れ〉のジェスチャーをとると、彼は困惑して顔をしかめた。死神ちゃんが〈自分は死神である〉ということを伝えると、彼は驚いたり恐怖したりするどころか大いに喜んだ。


「うわあ、凄い! 死神って、もしかして、魂を冥府に(いざな)う神使の!? どうしよう、僕、神族やその眷属はお初にお目にかかるよ! あ、でも、それだと僕の管轄というよりは哲学者や神学者、宗教学者の管轄になるのかな!?」

「いや、あの、このダンジョンの死神は〈罠〉なんだが。ダンジョン探索前に受ける、ギルドの講習で習っただろう?」

「あっ、それなら先日、四階まで探索した際にとり憑かれたよ! でも、アレは骸骨姿だったのに! どうして、君は幼女なの!? どうしてしゃべることができるの!? もしかして、死神罠って魔法生物とか何かなの!? それでもって、君は特殊個体なの!? だったら、僕の管轄だよね!? ていうか、さっきまでの可愛さはどこに!? すごくおっさんくさい! どうして!? なんで!?」


 死神ちゃんは、目を爛々(らんらん)と輝かせる生物学者に両手を取られ、そして詰め寄られた。死神ちゃんは鬱陶しげに顔を歪めると、幼女のふりを続けてとっととお帰り頂いたほうがよかったと後悔した。
 死神ちゃんは彼の猛攻を適当にあしらっていたのだが、すると彼は居ても立ってもいられないと言わんばかりに手をニギニギと動かしてニヤリと笑った。背筋が寒くなるのを死神ちゃんが感じていると、彼は「さっそく、調査しよう!」と言いだした。辺りには死神ちゃんのギャアという悲鳴がこだまし、その直後、生物学者も悲鳴を上げた。生物学者は目の周りに青タンを作り頬を腫らして、去っていく冒険者に必死に頭を下げて見送った。


「まさか、幼女を襲っていると勘違いされるとは思わなかった」

「いや、どう見てもそのようにしか見えなかったから! これに懲りたら、とっとと帰れよ!」

「いやだよ、きちんと君を調べたい。――いや、待って待って。そんなゴミを見るような目で見ないで。もう服を脱がそうとはしないから。その服が表皮の一部ではなくて、本当に服だと分かったから。でも、より正確に君という生物を知るために確認はさせて欲しかっ……待って、だから、そのゴミを見るような目、本当にやめて」


 死神ちゃんがじっとりと彼を睨み続けていると、彼はようやく謝罪の言葉を述べた。そのあとで、彼は手帳を取り出すと何やらブツブツと言いながらメモをしたためた。よくよく聞いてみると、メモを走り書きながら「死神幼女はおっさんくさい」だの「まるで人をゴミのようだと言いたげな態度をとる」だのと呟いていた。死神ちゃんは怒りを露わにすると、彼の頭を思いっきり引っ叩いた。
 彼は気を取り直すと、一階へと戻るのではなく更に奥へと進みだした。死神ちゃんが不思議そうに首を傾げさせると、彼は「先日調査しようと思っていた場所に、これから向かう」と説明した。

 このダンジョンのモンスターはこことは別の世界から()()してきた人々や、こことは別の世界に存在する動物等のデータをもとに作られたレプリカである。そのため、この〈ダンジョンの外に広がる世界〉に存在しないモノももちろん多数いる。
 今も昔も、ダンジョンを訪れる者のほとんどが〈王家にかけられた呪いを解いて、名声を得たい〉という者や、一攫千金を狙う者、〈一攫千金とまではいかなくても、小銭稼ぎをしたり不思議なアイテムを手に入れたりしたい〉といった者ばかりだ。そのため、そういった不思議生物に興味を示して噂したり、ましてや調査してみようという者などはいなかった。


「しかしね。この前、とある農家さんから〈うちで働いている毛玉は、一体何ていう生き物なんだ〉と調査依頼を受けてね。これがまた、謎だらけで全然分からなくて。僕の手持ちの資料にも王都の図書館にも、それらしい記述の出てくる本はなくて。そしたら、そこの司書のエルフさんから、ダンジョンに〈何でも分かる図書館〉があるらしいと教えてもらって。別の日にそれとは別件で農家さんのところにお邪魔したら、そこに別の農家さんがやって来てマンドラゴラ品評会の話になったんだけど。その際に『マンドラっちを連れてくることができたら、私が一位間違いなしなのに』と耳にして」

「原因はあいつらかよ!」

「おや、君は彼らと知り合いなのかい? ――で、まあ、話を聞いてたら〈ダンジョンの環境と、そこに住まう固有種〉について、とても興味を持ったんだ。だから、その調査をしつつ〈図書館〉を探しているんだけど」


 そう言って彼がやって来たのは、四階にある〈小さな森〉だった。彼は森の奥へと分け入っていくと、木々の間を入念に見て回った。死神ちゃんは退屈そうにあくびをしながら、切り株お化けに乗ってついていった。すると、彼は驚愕の表情で死神ちゃんを見つめ、そして熱心にメモを取り始めた。


「死神幼女は自分で飛べるくせに切り株に乗る。死神幼女は巨大カブトムシが好き。死神幼女は、えっと――」

「そういうのは、いいから。とっとと死ぬか、用事を済ませてくれ。そろそろ飽きてきたから」

「死神幼女はふ・て・ぶ・て・し・い……っと」

「いいから! さっさとしろよ!」


 死神ちゃんが声を荒らげると、彼は筆記用具を渋々ポケットにしまった。そして再び木々を見て回りモンスターの痕跡を見つけると、ニヤリと笑って死神ちゃんを振り返った。


「ここにいる魔物が、その固有種のひとつなんだよ。今から、おびき寄せるよ」


 そう言って、彼は奇声を発しながら何かのポーズをキメた。彼が何度かそれを繰り返していると、木の間から黒豹のような見た目の魔物がスウと顔を出して引っ込んだ。どうやら、空間に棲まうこの黒豹は、生物学者の奇っ怪な行動に怯えているらしい。


「おかしいな……。これをやれば、どんな生物も一発ノックアウトで、僕に懐くんだけどな……」


 不思議そうに首を捻った彼は、再び不可思議な踊りを踊り、ポーズをキメながら奇声を発した。死神ちゃんはそれをぼんやりと眺めながら、トンチ坊主と屏風の虎の絵の話を思い出していた。
 どこまでも真剣な様子で、はたから見たらこっ恥ずかしい儀式を彼は続けた。死神ちゃんが〈付き合いきれない〉と言いたげに眉根を寄せて鼻を鳴らすと、黒豹も同じように感じたのか、ちらりと姿を現した。
 生物学者は手放しで喜び、死神ちゃんのほうを振り返って「見た!? 成功だ!」とはしゃいだ。しかしその直後、彼の腕輪から小鳥が飛び出してピヨピヨと舞った。


「あああ、なんて素敵なんだ! ファンタスティックなんだ! お土産用死神とか、そんなの頂いちゃってもいいんですか!?」

「おう、何ですかい。旦那、あたしを連れて帰る気ですかい? そいつぁいけねえ。いけねえよ」

「――おい、なんていう幻覚を見せてるんだよ。そして、どうしてお前がここにいるんだよ」


 死神ちゃんは思わず顔をしかめると、生物学者と、そして彼に抱きしめられている三下根菜を見つめてぐったりと肩を落とした。三下は先日のシノギの際にここに忘れ物をしたそうで、それを取りに来たところ偶然この現場に遭遇したそうだ。
 根菜は、なおも生物学者に頬ずりをされて照れくさそうにしていた。黒豹の幻覚のせいで根菜を死神ちゃんだと思いこんでいる生物学者は、根菜のヒゲ根に手をかけると「先ほどできなかった〈詳細な調査〉を、さっそくしよう」と言った。ヒゲ根を掴まれた根菜はビクリと身構えたあと、それを思いっきり引っこ抜かれて阿鼻叫喚した。ガクガクと震えながら「そいつぁいけねえ!」と繰り返す根菜と降り積もる灰を一瞥すると、死神ちゃんは投げやりに「じゃあ、お疲れ」と言って姿を消したのだった。




 ――――学者さんの〈常人には理解できないような、そして常人は恥ずかしがってできないようなことを、さも当然のように行うさま〉をどこかで見た気がした死神ちゃんは、それを思い出そうとして、黄色いボディーがちらっと脳内をかすめた辺りで、自分の精神衛生的に考えるのをやめたそうDEATH。

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