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「じゃあ、前に俺がかけられた纏(てん)の呪の、体が動かなくなるっていうのは」ユエホワが思い出しながらたずねる。「俺が、自分で……?」
「さよう」祭司さまはうなずいた。「お前はあのあと、ポピーに危害を加えようとしたのかね?」
「う」ユエホワは声をつまらせた。ちらり、と祖母の方を見る。たぶん、しまったよけいなことをいっちまった、とか思っていたんだろう。「いや、してない。なあ、してないよな」つぎに私の方をすがるように見ていった。
「さあ。おぼえてない」私は首をかしげて答えた。
「な、なにいってんだよしてないよ」ユエホワはますますあせった。
「そうだっけ」じっさい私は、あのあとからいろいろバタバタ冒険の旅に出たり鬼魔と闘ったりしたのでよくおぼえていないのだった。
「まあいずれにしろ、もしあの呪いがかかった状態で危害を加えようとしたならば、その時はお前自身が自分に向かって制止をかけ、体の動きをみずから止めていたというわけじゃ」祭司さまは説明をつづけた。
「ふむふむ、そういうことなのね」祖母は何度かうなずき、話を理解したようだった。
「なので今回も、ユエホワ」祭司さまはムートゥー類に告げた。「何かの条件により、お前がある行動を自ら起こすというかたちでの呪いを、かけよう」
「――」ユエホワはごくり、とのどを鳴らした。「ど、んな?」小さな声できく。
「うむ」祭司さまはすわっていた椅子から立ち上がった。「まずは祈りの陣までともにゆこう」
私たちは祭司さまを先頭に部屋から出て、祈祷室へ向かった。
床に大きく描かれた魔法陣のまんなかにユエホワが立ち、向かい合ってルドルフ祭司さまが立ち、私と祖母は陣の外へ、二人を横からみまもる位置に立った。
「ふうむ」祭司さまはしばらくユエホワの頭のてっぺんから足のつま先までを観察していたが、やがて「名前……」とつぶやいた。
「名前?」私と祖母が声をそろえてきき返したが、ユエホワははっとした顔で祭司さまを見ただけだった。
「お前の名前を呼ぶ者の声が聞こえる」祭司さまはゆっくりとおっしゃった。「そして、お前は……その名前を聞くたび、不快な気分を味わっておる」
「大当たり」ユエホワはぎゅっと目をとじて答えた。「なんでもわかるんだな」
「なんの名前?」私はきいた。「だれが呼ぶの?」
けれどユエホワは、むすっと口をとざしてこたえなかった。
「さすればユエホワ」祭司さまは話を先にすすめた。「その名前を呼ばれるとき、お前が苦痛ではなく、快楽をおぼえるよう、諾(だく)の呪をかけるとしよう」手に持つ杖を頭上にかかげる。
「え」ユエホワは祭司さまの方へ手をのばした。「ちょっ、まっ」
白い光が祭司さまの杖の先から飛び出し、ぐるぐるとうずまきながらユエホワをつつみこんだ。
「えーっ」真っ白な光の中で、ムートゥー類鬼魔のさけび声だけがひびいた。
やがて光は少しずつ下にさがってゆき、緑髪が見え、つづいて赤い目、ふきげんそうにひきむすばれた口、なにかいいたげに組まれた腕、仁王立ちしている脚、が、つぎつぎに姿をあらわした。
「うむ」祭司さまは杖をおろし、大きくうなずいた。「これでお前に呪いがかかった。あとはポピーがピトゥイを覚え、これを解くのを待つのみじゃ」
「はい」私はうなずき、それから「ユエホワ」と呼んだ。
ユエホワはむっつりとだまったまま立っていた。
「あれ」私は首をかしげた。「ユエホワ?」もういちど呼ぶ。
「なんだよ」ユエホワはちらりと横目で私を見た。
「あれ」私はまたいった。「祭司さま、これって快楽をおぼえてるってことなんですか?」ユエホワを指さしてきく。
「いいや」なんと祭司さまは首を横にふった。「おそらくそうではない」
「あれ」私はまたまたいった。「呪いは?」
「ユエホワに快楽をもたらすのは『ユエホワ』という名前ではないようだ」祭司さまはなぞの言葉を口にした。「それはおそらく」
「おそらく?」私と祖母は身をのり出してたずねた。
「ふむ」祭司さまはもういちど、ユエホワを頭のてっぺんから脚のつま先まで観察した。「『とってもすてきな、ながい名前』じゃ」
「えっ」私は目を大きく見ひらいた。
「ちっ」ユエホワはいまいましそうに舌打ちしてそっぽを向いた。
「まあ、そうなのね」祖母はなんどもうなずいた。「それじゃあ、ハピアンフェルに会う必要があるわね」
「う」ユエホワはぎゅっと目をつむった。
◇◆◇
「そういえば、ハピアンフェルはどこかお出かけしてるの? さっきいなかったけど」私は帰り道を箒で飛びながら、前を飛ぶ祖母の背中にきいた。
「彼女はいま、私の花壇のお花たちに会いにいってくれているの」祖母はふり向いて答えた。「病気になっていないか、無事に実をつけられそうか、発芽できているか、きいて回ってくれてるのよ」
「へえ」私は飛びながら感動した。「粉送りって、すごいなあ」
となりでユエホワがむっつりとだまったまま自力飛行している。
「ねえ、ユエホワ」私は話しかけた。「すごいよね、妖精って」
緑髪鬼魔は無言のままちらりと私を横目で見た。「三日」ちいさな声でいう。
「ん?」私はきょとんとした。「なにが?」
「三日で、おぼえろよ」ムートゥー類は邪悪な声ですごんだ。「ピトゥイを。ぜったいに」
「はあ?」私は眉をしかめた。「なにいってんの。だれがやると思ってんの? そんな都合よくおぼえられるわけないじゃん」
「じゃあ四日」ユエホワは、声はひそめていたけれどますます怒りくるった目ですごんだ。「それでおぼえられなかったら、痛い目にあわせるぞ」
「へえ、そう」私はたじろいだりしなかった。「やれるもんなら、やってみなさいよ」
「ねえ、たのむよ」ユエホワはがらっと態度をかえ、泣きそうな顔になった。「まさかこんな、あほらしい呪いをかけられるなんて思ってなかったよ。たのむよ」
「あのカードに書いてあった『とってもすてきな、ながい』のつづきって『名前』だったんだね」私はすっかり夜の色になった空の方を向いて、思い出しながらいった。
ユエホワがアポピス類にさらわれたとき、うちに届いたツィックル便に書かれていたなぞの言葉だ。
「えーと、なんだったっけ。ユエホワなんとか」ハピアンフェルが何度かユエホワに向かって呼んでいた長い名前を思い出そうとして、私はとなりを見た。
するとユエホワは、キャビッチをぶつけたわけでもないのに痛そうに顔をしかめていた。「たのむよ」死にそうな声でいう。
「なんでそんなにいやなの?」私はかえってふしぎに思い、そうたずねた。
「気持ち悪いだろそんな変な名前」ユエホワは逆にびっくりしたように答えた。「なんでってこっちが聞きたいよ。なんでわざわざそんな名前つけんだよ」
◇◆◇
「おかえりなさーい」小さな、だけどとっても元気よく明るい声が、私たちをむかえてくれた。
「ただいま」祖母がいう。「おそくなってごめんなさいね、ハピアンフェル。それからありがとう、お花たちの様子を見てくれて」箒から下りてテラスの隅に立てかけながらつづける。
「どういたしまして、ガーベランティ。みんな元気でなにも問題なかったわ。とってもよく手入れされていて、よろこんでた」
「まあ、ありがとう。よかったわ」祖母はほほ笑みながら両手をくっつけて胸の前にさしだした。
どこかにいたハピアンフェルがふわり、と光りながらその手の中にとびこんできた。
「今日は二人、来てくれているのよ。ポピーメリアと、あなたが会いたがっていた彼も」祖母がにこにこしながら、そっとささやく。
「彼?」ハピアンフェルは祖母の手のひらの中からのびあがって外をのぞきこんだ。「あっ」そしておどろく。
「こんばんは、ハピアンフェル」私はちいさくおじぎをした。
「こんばんは、ポピーメリア」妖精はにっこりとほほ笑んだ――ような声で答えた。そして「ユエホワソイティ!」とつづけた。
私のうしろで、ため息をつくような音がした。
ふりむくと、暗闇の中でムートゥー類鬼魔が、これ以上なく幸せそうに、ほほ笑んでいた。