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「そのアポピス類の子たちは、ピトゥイが使えるの?」祖母は首をかしげながらきいた。
ユエホワは、お茶を飲んでいる私の方を見た。
「えーと、発動はしてたよ」私は天井を見あげながら答えた。「キャビッチは、消えてた」
「そう」祖母はあごに指をつけ、考えた。「けれど、実際に呪いが解けたかどうかは」
「うん、わかんない」私は首をたてにふって横にふった。「誰も呪いとかかけてないし」
「ピトゥイは、発動一年発効十年といわれているのよ」祖母はうなずきながらいった。「キャビッチが消えてもその真の力を発揮できるとはかぎらないの」
「うわ」ユエホワは目をまるくした。
「まじで?」私も目をまるくした。
「あなたも、そんなにかかったんですか?」ユエホワは祖母に質問した。
「私は、さいわいなことに三日で発動して三か月で発効したわ」祖母はうなずきながら答えた。
私もユエホワも、うなずくことしかできずにいた。コトバモナク、というやつだった。
「でも今回はそんな悠長なことはいってられないということよね。ポピー」祖母は私に、真剣な顔を向けた。
「はい」私はおもわず背すじをしゃきんとさせた。
「あなたは三週間以内に発効までいくことをめざしなさい」
「は」私はおもわず返事をしそうになったけどとちゅうで止めたので、なんだか祖母のいいつけをばかにしたような声になってしまい、内心ものすごく汗をかいた。「え?」なので、よく聞こえませんでした、という感じにきき返した。
「よし」どういうわけかユエホワの方が乗り気になっていた。「じゃあ今回は俺も協力する。頼むぞ」真剣な赤い目を私に向ける。
「協力って」私はこんどはほんとうに半分ばかにした声できき返した。「まさかユエホワが誰かに呪いをかけてそれを解けとかいうんじゃないでしょうね」
「鬼魔は呪いなんかかけられねえよ」ユエホワは口をとがらせた。「そんなことができるのは、人間だけ」
「えっ、まじで?」私はほんとうにびっくりしてきき返した。「ほんと? おばあちゃん」
「まあ、私も知らなかったわ」祖母も目をまるくしていた。「だけど……そうね、考えてみれば私もこれまでいちども、呪いを行使する鬼魔に出くわしたことはないわ」
「まあ、出くわしたとしても呪いをかける前に倒されてただろうけど」ユエホワがそういった後で、はっとしたように赤い目を見ひらいて自分の口をおさえていた。たぶん、思わずいっちゃったんだろう。まあ私もドウイだけど。
「あらやだ、おほほほほ」祖母はというと、ぜんぜん怒ったようすもなく大笑いしていた。
「じゃあ、おばあちゃんが誰かに(私はここでユエホワを見た)呪いをかけるの?(ユエホワは目を細めた)」
「うーん、残念ながら私も、そういったことは学んでいないわ。それができるのは、聖職者修行を終えた者だけ――あ」祖母はなにかに気づいたように顔を上げた。
「あ」同時にユエホワも、なにかに気づいたように顔をあげた。
「ん?」私はとくになにも気づかず、きいた。
「ルドルフ」祖母とユエホワが声をそろえ「さん」ユエホワだけが小さくつけたした。
◇◆◇
そうか。
そういえばユエホワはいちど、ルドルフ祭司さまに「纏(てん)の呪」というものをかけられたことがあった。私がはじめてユエホワに出くわしたときのことだ。
それはユエホワが私に危害をくわえようとするとその体が動かなくなる、というものだった。
私はあのときそれを、私を守るためのおまじないなのだと思っていたんだけれど……つまりはそれこそが「呪い」だったというわけだ。
ちなみにその纏の呪はその後、ルドルフ祭司さまご自身の手によって解かれた――つまりあのときルドルフ祭司さまは、ピトゥイを行使した、ということだったのかな?
そんなことを思いつつ、私は箒に乗って祖母の箒のあとからついて飛んでいた。私のとなりには緑髪鬼魔がならび自力で飛んでいた。
「呪いかあ……」飛びながらユエホワは、どこか複雑そうな顔をしてつぶやいた。「こんどはどんなのかけられるんだろうなあ、あのじいさんに」
「うーん」私も箒で飛びながら考えてみた。「髪も目も、真っ黒になる呪いとかは?」ユエホワの、風にたなびく緑色の髪を見ながらいう。
「えー」予想どおりユエホワは、いやそうな顔をした。「やだよそんな、不吉な色」
「不吉って」私は苦笑した。「じゃあ、うーん、顔がリューダダ類の顔に変わるっていうのは?」リューダダ類はイヌ型鬼魔なんだけれど、ものすごく凶暴そうな顔をしていて、性格も短気で怒りっぽい。
「まあ、それはあんまりだわポピー」祖母が前を飛ぶ箒の上からふり向いて首をふった。「こんなに美しいユエホワの顔をリューダダ類に変えるだなんて、恐ろしすぎるわ」
「そうかな」私は、風の音にかくれるぐらいの小声でそうつぶやいた。
「あはは」ユエホワは自力飛行しながら肩をすくめ、またいい子ぶり笑いをした。
「じゃあ、せっかくだからアポピス類に変えてもらうとか」私も箒で飛びながら肩をすくめ、てきとうなことをいった。
少しの間、なにも返事は聞こえてこなかった。
「――そうだな」やがてユエホワがいい、
「いいわね、それ」と祖母もいった。
「えっ」私はおどろいてきき返した。
「そしたら、少しの間だけでもあいつらのコミュニティの中に潜入していろいろかぎまわりやすいし」ユエホワが賛成し、
「さらなる情報を得やすくなるわね」祖母も賛成した。
「えーっ」私はひとり、顔をしかめた。
◇◆◇
「なるほど」ルドルフ祭司さまは、私たちの話を最後まで静かに聞いてくださったあとふかくうなずいた。「それならば、ユエホワ」緑髪鬼魔の方に向いていう。「お前を、人間に変えよう」
「えっ」ユエホワは後ずさりし、
「まあ」祖母は両手で頬をおさえ、
「人間に?」私は目をまるくして祭司さまとユエホワをかわりばんこに見まわした。
「と、言葉でいうのは簡単じゃ」ルドルフ祭司さまはそうつづけて、ほっほっほっ、と楽しそうに笑った。「だが呪いの力そのものは、ほんの小さなものでの」
「え」ユエホワはまた前にもどり、
「あら」祖母は頬から両手を離し、
「小さなもの?」私は目をまるくしたまま祭司さまを見た。
「そう」祭司さまはうなずいた。「呪いそのもので、生き物の姿かたちや体のつくりまでを変化させてしまうことはできぬ。それを実際に行うとするならば、そう、例えば髪の色ならば染め替える、体のかたちならば飲み食いをしばらく断つことで痩せ細る、または大食いをして太らせる、そういった手立てしかない」
「じゃあ、顔をリューダダ類にするのは?」私は質問した。
「医者に頼んで手術をしてもらうしかなかろうな」祭司さまは答えて、またほっほっほっ、と笑った。「または魔力による、変身」
「まあ、たしかに」ユエホワがぼそぼそという。「アポピス類にも人間にも、俺が自分で変身できるしな」
「あ、そうか」私は思い出した。ユエホワは、誰かの体に触れるとその人の姿かたちにそっくり変身することができるのだ。
「まあ、素敵な力を持っているのね」祖母がふたたび両手で頬をおさえる。
「そう。そして呪いの力とは、そのような行為、行動をその者自身に行わせるよう仕向けるものじゃ。自身にて飲み食いを断とうとさせる、手術を受けようとさせる、あるいは変身しようとさせる」