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「え」私はただひと言いっただけで、あとは全身氷のようにかたまった。
いまこの鬼魔、なんていった?
ユエホワは数歩先にすすんでから立ち止まり、ふり向いた。「なに」
「――」私は目をまん丸くしたまま、ユエホワをただ見ていた。
「気づかなかっただろ」ユエホワは、まるで自分が人間になりすましてまんまと学校へセンニュウしたかのように、たいそう自慢げに笑った。「目も赤くないし」
「あっ、そうそう」私はいまさらながらはっと気づいて言葉を発した。「あの人たち、目赤くなかったよ。アポピス類じゃないんじゃないの?」
「言ったろ、ごく少数、目の赤くないやつもいるって」ユエホワは腕組みした。「そういうやつらはどうしても、疎外されちまうんだよ。くだらねえけど」
「ソガイって?」私は質問した。
「つまり正当なアポピス類とはみとめてもらえないってこと。なんか邪悪な血が混じってるんだろうって決めつけられるんだ」
「邪悪な血って」私は眉をひそめた。「もともと鬼魔のくせになにいってんの」
「ひでえな」ユエホワは声を裏がえして私に文句をいった。
「ていうか、知り合いなの? そのアポピス類の人たちと」
「まあな。人脈ってやつだ」ユエホワはまたしてもたいそう自慢げに答えた。
「あそう」私は軽くいった。
「てか、まあガキの頃からの友だちってやつだけどな」ユエホワは頭のうしろに手を組んだ。
「へえー」私は少し興味をもった。「いっしょに遊んでたの?」
「まあね」ユエホワはうなずく。「全員、俺が赤い目をしてるからうらやましがって、なんかくっついてきてた」
「そうか、あれ」私はあることに気づいた。「そういえばユエホワってさ、ムートゥー類、だよね」
「それがなにか?」ユエホワは目を細めてきき返した。
「ムートゥー類ってみんな目が赤いの?」
「――いいや」ユエホワは少し遠くを見るような目をして考えながら答えた。
「もしかしてユエホワってさ、純粋なムートゥー類なんじゃなくて、アポピス類が混じってるんじゃないの?」
「――」ユエホワはだまって歩き出した。
「ほんとうはさ、ふくろうとヘビのハーフなんじゃないの?」私も歩き出しながらまたきいた。
「かもな」ユエホワは歩きながら軽くいった。
「えっまじで?」いい出した私のほうがおどろいた。
「よく知らねえけど」ユエホワは歩きながら肩をすくめた。「俺の両親、百年前に死んじまったから」
「は? 百年?」私は歩きながらすっとんきょうな声をはりあげた。「ユエホワっていま何歳なの?」
「十九歳だけど」
「は?」私はさらにすっとんきょうな声をはりあげた。「なんで? 両親百年前に死んでるのになんで十九歳なの」
「鬼魔界ではそうなんだよ」ユエホワはめんどくさそうに眉をしかめた。
「意味わかんない」私も眉をしかめた。「ほんと鬼魔って意味わかんない。全員やっつけてやる」
「お前の理屈の方が意味わかんねえわ」
そしてそのとき、祖母の住む丸太の家が私たちの目の前に姿をあらわした。
「まだあいつ、いんのかな」ユエホワは足を止めてちいさくつぶやいた。
「ハピアンフェル? いると思うよ。こんにちは――」私は大声で呼びかけた。
「ばっ」ユエホワはたいそうあわてて、大急ぎで屋根の上に飛び上がった。「俺が来てるってこと、話すなよっ」ひそひそ声で怒ったようにいう。
「べつにいいじゃん」私は口をとがらせて屋根の方をにらんだ。
「あらいらっしゃい、ポピー」祖母が出てきてにこにこと私にあいさつをし、それから屋根に向かって「ユエホワも、いらっしゃい」とあいさつした。
少しのあいだ返事はなかったけど、緑髪鬼魔はおそるおそるのように顔をのぞかせて「ども」と小さくあいさつした。
「さあさあ、そろそろ外は冷えこんでくるわ。中であたたかいお茶と焼きたてのクッキーをいただきましょう」祖母は屋根に向かって手まねきをした。
ユエホワは、少しのあいだ肩をすくめるようにして返事にこまっていたけれど、カンネンしたようで、すとん、と下におりてきた。
「おばあちゃんのいうことはきくのね」私はわざといじわるをいってやった。
「ピトゥイが見たいんだよ」ユエホワは口をとがらせてむっつりと答えた。
「そういえばさっき、ビューリイ類がここまで飛んできていたけれど、あれはポピーがやったものなの?」テラスから上がりながら祖母が肩ごしにふり向いてきいた。
「え、あ、うん」私も上がりながらうなずいた。「あの鬼魔、どうなった?」
「ああ、うちの屋根に落ちてきそうになったけれど、家がはじき飛ばしたから、さらにどこか遠くへ飛ばされていったわ」
「うわ」ユエホワがごく小さく声をあげて肩をそびやかした。「運の悪いやつ」
「おばあちゃん、今日アポピス類が学校に来たよ」私はダイニングテーブルにつきながら報告した。
「まあ、なんですって」祖母は目をまるくした。「それでどうなったの?」
「あたしたちにピトゥイを教えに来たんだけど、だれもマスターできなかった」私はありのままを話した。
「ピトゥイを? まあ、アポピス類が?」祖母は大きなお皿にならべたクッキーをテーブルの上におきながらまだ目をまるくしていた。「いったいどういうこと?」
「ユエホワの友だちなんだって」私はさっそく何種類かあるクッキーのどれを最初にとるかケンブンしながら説明をつづけた。
「まあ」祖母は何回おどろいたのかかぞえきれないぐらいまたおどろいて、緑髪鬼魔を見た。「いったい、どうなっているの?」
「アポピス類の体にくっついて姿を見えなくさせている光使いの妖精たちを、ピトゥイではらいのけたらいいと思って」ユエホワは、なぜかいたずらをしてあやまる時のような気弱げな顔と声で祖母に説明した。
「ああ、なるほど」祖母は手をぽん、とうちならし、大きく何度もうなずいた。「すばらしいわ! ユエホワ、あなたはなんて頭が良いんでしょう」
「でも、もしかしたら光使いたちには危害を加えることになるかもしれないけど」ユエホワはますます「ごめんなさいもうしません」といまにも泣いてあやまりだしそうな顔と声になってつづけた。
「それはだいじょうぶだと思うわ」祖母はふかくうなずいた。「ピトゥイはただ、体にまとわりついているものを浮き上がらせて引きはなすだけだから。妖精みたいに小さなものは、すぐに風に乗って安全な場所へ飛んでいけるはずよ。それよりも、アポピス類が人間の魔法であるピトゥイを行使できるものかしら?」
「そいつらは、実は人間になりすまして今、この世界の魔法大学に通っているんだ」ユエホワは、祖母の話に少し安心したようすで、ほほ笑んだ。「人間と同じ教室でいろいろ学んでる」
「まあ」祖母の方はふたたび目をまるくした。「そんな鬼魔がいるなんて、はじめて知ったわ。でもどうして人間の大学に?」
「鬼魔界の大学には入れなかった……いや、入ったけど追い出されたんだ」
「まあ、どうして?」
「そいつら、目が赤くないから」
「目が?」祖母は口をおさえた。「けれど、それだけの理由で?」
「そう」ユエホワは目をふせてうなずいた。「そこは実質、アポピス類の幹部がとりしきってるようなところだから」
「まあ」祖母は眉をひそめながらお茶をカップに注いだ。
私はそのとき、すでに六枚目のクッキーをほおばっているところだった。