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市街戦 1

「遅くなってすまない、キョウヤ」
 傷だらけの手足を拘束する枷を剣で断ち切ってやってから、少年を見て、王は痛ましげに顔を歪めた。
 何度も殴られた頬は腫れ、口元には吐しゃ物がこびりついている。極めつけは、腿に突き刺さったナイフだ。少年がここに来てから王が助けに来るまでの間に何があったかなど、察するに余りある。
 全て、判った上でのことだ。こうなることを予測した上で、王は少年を囮にするという選択肢を取った。何故なら、目的を果たす上でそれ以上に有効な手段がなったから。
「すまない、辛かっただろう」
 汚れた顔を拭ってやりながら、王が再び謝罪の言葉を口にする。しかし少年がそれに反応を返すことはなかった。ただひたすらに王の瞳を見つめて、とろりとろりと、溶け出しそうな表情を浮かべている。
「……きれい」
 初めて少年にそう言われたあのときと同じ、蕩け切った声で紡がれた言葉に、王はこの上なく幸せそうな微笑みを浮かべた。
「ああ、私もお前を愛しているよ」
 囁いて、少年の唇に己のそれを重ねようとする。しかし、その唇が触れ合う前に、黒い影が王に向かって奔った。視界の端にそれを捉えた王が、少年を抱えたまま横跳びに避ける。そして、影が飛んで来た方、デイガーを見やって、僅かに眉根を寄せて見せた。
「無粋だとは思わんか、帝国の魔導師よ」
「黙れ。そしてそれを返せ。それは我が帝国のものだ」
「キョウヤを物扱いする輩にくれてやる訳にはいかんな。……それよりも、この国に何用だ。青の国の使者を操って赤の国から王冠を盗み、それを金の国で売り捌こうなど。お遊びにしては少々度が過ぎていると思うが?」
 王の言葉に、デイガーが歪んだ笑みを浮かべた。
「お遊び? ああ、そうだ。こんなもの、ただの余興さ。貴様らリアンジュナイルがいかに平和呆けしているか、思い知っただろう? 簡単に使者を操られた青の国も、半年も帝国の人間を首都に飼っておきながら気づかない金の国も、そして、王の象徴たる王冠をあっさり盗まれた赤の国も! 貴様らの間抜けさ加減には呆れるばかりだったさ! お陰で思っていた以上に事が簡単に進んで助かったけれどね!」
「それは何よりだ。気分が良いついでに此度の一件の目的を教えてくれると大変有難いのだが、さすがにそうはいかんのだろうな?」
「よく判っているじゃあないか。貴様に教えてやることなど何もない!」
 そう言ったデイガーの指先が男を指す。と、次の瞬間、デイガーの影からまたもや黒いものが出現し、王に襲いかかった。咄嗟に少年を抱えて庇った王の身体を、炎が盾になるように覆う。しかし、相手の勢いまでは殺すことができなかったようで、踏ん張り切れなかった王は、自らが開けた空間の亀裂に弾き飛ばされた。
(しまった!)
 そう思うも、弾かれた身体は亀裂を抜けてしまう。そうして押し出された先は、裏カジノの入り口だった。
 実はこの場所は、デイガーの創り出した様々な空間に繋がるゲートのような役割を果たしており、どの空間に繋がるかは、その時々でデイガーが決定しているのだ。つまり、あの裏カジノは地下でも別の場所でもなく、デイガーが生み出した固有空間の中にあったのである。これまでに集めた様々な情報からその答えに至った王は、少年がいる場所へと行くために、このゲートと繋がっている全ての空間の繋ぎ目を破壊し、一時的に全空間に侵入できるようにしたのだ。勿論、それは少年を助けるためであったが、王にはもう一つ目的があった。そう、金の国の市街地での戦闘を避けられればと思ったのだが。
(やはりそう簡単にはいかぬか)
 体勢を整えて着地し、すぐさま王が駆け出す。狭い屋内で戦うのは得手ではないし、この国へ及ぶ被害を最小限に留めるためにも、可能な限り開けた場所に出た方が得策であると考えての行動だった。
「すまない、キョウヤ。脚が痛むだろうが勘弁して貰いたい」
 未だに蕩けた表情の少年からの反応はなかったが、それを了承と捉え、少年を抱いたまま王は駆けた。狭い通路を抜けて上階のバーへと飛び出せば、見知ったバーテンダーが驚いた顔をしていたのが見えたが、それにかまけている余裕などない。そのまま扉を開けて通りへと出た王は、予想していた光景に表情を硬くする。
 いくら夜とはいえ、ここは貿易国として栄えるギルガルドの首都ギルドレッドだ。当然、この時間ではまだ人通りが多い。陽気に酒を飲みながら歩く人もいれば、友人同士の談笑を楽しんでいる者、愛を囁く恋人たちまで見られる。
 未だ眠る様子なく賑やかさが溢れる街を楽しそうに行き交っていた人々だったが、その内の何人かがふと、王の抱えている少年の脚に刺さったナイフを見とがめて、悲鳴を上げた。それを合図にするように、王が声を張り上げる。
「グランデル国王の名において、首都ギルドレッド全域に緊急避難命令を発する! 皆早急にこの場を離れよ! ここはこれより戦場となる!」
 びりびりと空気を震わせた声に静寂が訪れたのは、一瞬だった。次の瞬間、通りの至る所で悲鳴が上がり、人々は一斉に散り始めた。
 この緊急事態では民の混乱は禁じ得ない。王であれば的確に誘導することもできたかもしれないが、それをするには状況が切迫しすぎていた。錯乱状態の彼らの誘導を含む後始末は、騒ぎを聞きつけてやってくるだろうギルガルド国軍に任せるのが得策だろう。
「キョウヤ、キョウヤ」
 相変わらずぼうっとこちらを見つめて来る少年の頬が優しく叩きながら名を呼ぶが、やはり反応が返ってくる様子はなく、王は苦笑した。
「そう愛おし気に見つめられては、さすがの私も照れてしまう。……だからすまんな、正気に戻って貰うぞ」
 そう言い、男が少年の右目を眼帯で覆う。ベルトを後頭部に回して金具をしっかりと留めてやってから、もう一度。
「キョウヤ」
 ぺちりと頬を叩けば、どろどろに蕩けていた瞳が段々としっかりした光を宿し、王を見て何度か瞬きをした。
「え……あ……?」
「戻ってきたか。私に見惚れるのは構わないのだが、できればこのごたごたを片付けてからにして貰いたいな」
「……あ、あなた……あのときの、きれいな人……? 夢じゃ、なかった……?」
 見上げてくる少年に、男が微笑む。
「グランデル国王、ロステアール・クレウ・グランダだ」
「こ、国王、陛下……!?」
「今まで隠していてすまなかった。謝罪ならばいくらでもするし、巻き込んだ詫びに、可能な限りお前の望みも叶えよう。だが、すまないがそれも全て後回しだ。……脚は痛むか?」
 言われ、少年がようやく痛みを思い出したように顔を歪めた。色々あって今まで忘れていたのかもしれないが、傷は決して浅くない。
「……情けないことに、私に回復魔法の適正はない。あれは風と水の属性だからな。故にその怪我を治してやることはできないが、……風霊、もし私に力を貸してくれるのならば、どうかこの子の痛みを少しでも和らげてやってはくれないだろうか。頼む」
 頭を下げた王に、風霊が動いた。温かな風が少年の腿を撫で、その痛みをそっと拭い去っていく。痛みの全てとまではいかないが、風が撫でる前よりはずっと痛みが少なくなったようで、少年は少しほっとした表情を浮かべた。それを見て、王がまた頭を下げた。
「すまない、恩に着る」
「……あ、あの、……ありがとう、ございます」
「礼を言われるようなことはしていない。巻き込んでしまったのは私の方なのだから」
 柔らかな声でそう言った王はふわりと微笑んだ。その顔に、少年がまた少し惚けたような表情になる。
(やっぱりこの人、きれい……)
 そう思った少年は、無意識にそろりと手を伸ばして、王の頬に触れようとした。だが、その指先が王の肌に触れる直前、空から凄まじい咆哮が響き渡った。びくっと震えた少年を抱き寄せ、王が声のへと目をやる。
 空を仰いだ先に居たのは、漆黒の鱗に覆われた巨躯。長い尾と大きな翼を持つ、天翔ける存在。空の支配者。
 デイガーを背に乗せて夜空に浮かぶそれは、巨大な漆黒の竜だった。

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