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第224話 死神ちゃんと酔っ払い②

 小さな森の中にて。死神ちゃんは辺りをキョロキョロと見回すと、首を傾げた。すぐこの近くに〈担当のパーティー(ターゲット)〉がいるはずなのだが、見当たらないのだ。死神ちゃんは飛行するのをやめて地面に着地すると、草むらを掻き分けながら歩き回った。ようやく見つかったターゲットの男は、草むらの影にある木のウロに頭を突っ込んで気持ちよさそうに眠っていた。
 死神ちゃんは苛立たしげに顔を歪めると、男の腰辺りを思い切り蹴った。すると男はビクリと身体を跳ね上げて、ウロの縁に頭を思い切り打ち付けた。


「いってぇ! ――何? 何だ!? 視界が暗い!?」

「ウロに頭を突っ込んでいたら、そりゃあ視界も暗いだろうよ」


 死神ちゃんは鼻を鳴らすと、依然ウロに頭を突っ込んだままのたうち回っている男を見下ろした。ようやく穴から頭を出した男は、胸を撫で下ろしながら安堵の息を吐いた。その酒臭さに死神ちゃんが顔をしかめて口と鼻を覆うと、男は酔っ払って真っ赤になった顔をヘラヘラと崩してコクッと首を垂れた。


「おう、誰かと思えば、いつぞやの嬢ちゃんじゃねえか。あけおめことよろ」

「その挨拶は、もう時期が過ぎているだろう」

「いいじゃあねえか。今年嬢ちゃんに会ったのは、これが初めてなんだし。それにですね、東の国の言葉で言うところの〈お屠蘇気分〉ってやつが、まだ抜け切らねえんだわ。いやあ、めでたいめでたい」


 酔っ払いは一転して顔をくしゃくしゃにして目尻に涙を浮かべると、「めでたい」と繰り返しながら酒瓶を煽った。死神ちゃんが苦い顔を浮かべると、彼は嬉しそうにしみじみと話しだした。
 彼は街の酒屋の亭主である。彼にとって酒はただの売り物ではなく、愛すべきもののひとつだった。しかし、彼は愛しすぎてしまった。仕事を放棄して飲んだくれてしまったり、酒にぴったりのおつまみを求めてダンジョンに篭ったりしているうちに、妻が子供を連れて出ていってしまったのだった。その妻まさこが年末近くになって帰ってきたあと、実家に戻ることなくそのまま留まり続けてくれているそうだ。しかも、実家に預けてきたはずの子供も、年越し前には連れて戻ってきてくれたのだとか。


「俺を一人にするのは、それはそれで心配だっつってさ。戻ってきてくれたんだよ。おかげさまで、年越しは息子と三人で仲良く過ごせたんだ。俺ぁそれが嬉しくて、だから、ついつい飲んじまってさ」

「帰ってきてくれと叫んでいたわりに、ダンジョン内で鉢合わせたら逃げたくせに。それでもやっぱり、帰ってきては欲しかったんだな」

「あったりまえだろう!? 俺らね、こう見えてラブラブなんですのよ。ラッブラブ」


 酔っ払いは死神ちゃんを勢い良く抱き寄せると、まさことどのようにラブラブなのかを実演した。無精髭で頬ずりし、酒臭い口を尖らせて頬に吸い付いてくるおっさんを、死神ちゃんは必死に押しやろうと頑張った。
 死神ちゃんは酔っ払いを殴りつけて、何とか彼の腕から逃れた。そして彼を睨みつけると、頬を拭いながら唸るように言った。


「子供が息子で良かったな。娘だったら、お前、確実に嫌われているぞ。いや、息子でも嫌がるな」

「ひでえなあ。こんなに愛情あふれまくりの父ちゃんを嫌うだなんて、そんなわけないだろう」


 彼は不服げに口を尖らせると、おもむろにポーチを漁りだした。そして薬瓶を複数取り出すと二種類の液体を混ぜ、それを死神ちゃんに差し出した。


「まあほら、嬢ちゃん。そんな、ひどい顔してないで。まあ一杯やってくれ」

「俺、酒はやらないクチだって、前にも言っただろうが」

「いいじゃねえかよ、ほら。せっかく再会したわけだし。年も明けてめでたいことこの上ないし。見た目が云々も、気にするなって」

「だから、駄目なもんは駄目なんです」

「つれないこと言うなって。いいから、ほら」


 死神ちゃんは面倒くさそうに瓶を受け取ると、いやいやそれに口をつけた。そして一気に飲み干すと、口いっぱいに広がる炭酸と喉の奥にツンと来る酸味に目を丸くした。


「何だよ、ただのビネガーの炭酸割りじゃあないか!」

「はっはっは、当たり前だろう? いくら酔っ払っていたって、そのくらいの分別は俺にだってあるさあ。――ちなみにそのビネガー、〈酸のブレス〉の材料でもあるんだぜ」

「いやいやいや、この程度の酸で蠢くヘドロ(クレイウーズ)が溶けるわけがないだろう!」


 死神ちゃんは顔をしかめて、そう声を荒げた。しかし、彼は快活に笑うばかりだった。
 彼は、死神ちゃんに渡したのと同じものをこさえて飲み干した。すると、ぼんやりとしていたのがすっきりとしてきたようだった。


「うし! 頭、冴えてきた! やっぱり飲みすぎたあとは、ビネガーに限るな!」

「ああ、酢はアルコールの吸収を抑制するからな。アルコール過多の体は、酢酸をエネルギー源にするっていう話もあるそうだし」

「なんかよく分からねえけど、まあ、体にいいってことだよな? ――嬢ちゃん、俺の息子と同じくらいだろうに、難しいことをよく知っているなあ」


 にこにこと笑みを浮かべて頭を撫でてくる彼の手を、死神ちゃんはそっと払い除けた。そして表情もなく「今日は何しに来たんだ」と彼に尋ねた。すると彼はデレデレと相好を崩した。


「今、カカオ豆を集めてチョコレートがもらえるイベントをやっているんだろう? だから、まさこにプレゼントしようと思ってな。でも、これが全然手に入らないんだ」

「ああ、産出が意外と少ないんだっけか?」


 そうなんだよ、と言いながら酔っ払いは肩を落とした。そして気を取り直すと、カカオ集めのためにモンスター狩りをし始めた。彼はモンスターと相対するたびに毒や酸の霧を吐いた。錬金術師は攻撃ブレスを吐くことができるらしいのだが、何度見ても慣れない光景だなと死神ちゃんは思った。
 しばらくして、彼は休憩のために近くの切り株に腰を下ろした。彼は先ほどの戦闘で手に入れたらしい小袋を手に取ると、その中に入っているナッツのようなものを手のひらの上にザラザラと出した。そして殻を割って中身を取り出すと、口の中へと放り込んだ。愕然とした表情で見つめる死神ちゃんに不思議そうに首を傾げると、彼は口の中のものをボリボリと噛み砕きながら言った。


「なんだ、嬢ちゃんも食いたいのか? これな、酸味と苦味がかなり強いんだが、酒のつまみにとてもいいんだよ。なんだか、疲れも取れるし」

「それだよ」

「えっ? 何が?」

「それが、カカオ豆だよ!」

「ええええええ!? チョコレートって甘いじゃねえか! これ、全然そんなことないぜ? チョコの味もしないしさ!」

「チョコの甘味は砂糖だし、フルーティーな味はバニラだからな」


 酔っ払いは小袋をボトリと地面へと落とすと、愕然と膝をついた。どうやら、今までも気づかずにそのまま食べてしまっていたらしい。彼は手をつき四つ這いの状態でカタカタと震えながらポツポツと言った。


「てことは、本当だったら今ごろ結構な量のチョコレートが手に入っていたってことじゃあねえか。なんてこった……。イベントも、いつまで続くか分からないってのに。これから溜め直して、果たして間に合うかな……」

「もういっそさ、加工してもらわずにそのまま渡したらどうだ? その〈焙煎しただけの状態〉ってな、美容健康にとても良いらしいぞ」



   **********



 死神ちゃんが待機室に戻ってくると、出動待ち中のピエロがソファーで寛ぎながらカカオ豆をボリボリと食べていた。死神ちゃんは顔をしかめると、呻くように言った。


「お前、よくそのまま食えるよ。俺、蜂蜜漬けとかにしなきゃ絶対無理だわ」

小花(おはな)っちは甘いものが大好きだもんねえ。でもそんなんじゃあ、あちしのようなハイスペックガールにはなれないよん!」

「いや、ならないし」


 死神ちゃんが〈何を言っているんだ〉と言わんばかりに口早に否定すると、ピエロはおかしそうに笑った。そして彼女はうっとりと頬を染め上げると、カカオを見つめて甘ったるい吐息を漏らした。


「これはね、不老長寿の薬にもなる〈神の食べ物〉なんだよ。だから、あちし、転生前(むかし)から常食していたんだよね。でもさ、前に食べてたものよりも、アルちゃんのサロンで売られてるコレのほうが断然美味しいんだ! さすが、マジモンの女神様のお墨付きだよ!」

「えっ、これ、灰色の女神さんイチオシなのかよ。ていうか、サロン販売って、ますます健康食品だな」

「だって健康食品だし。ていうか、本当に美味しくて効果も高くて。こんな素晴らしいものに出会えるなんてさ、あちし、死んでよかったよ!」

「お、おう……。それは、よかったな……?」


 死神ちゃんは困惑顔で心なしか首を捻った。不老長寿の薬にもなり得るらしいものと死んでから出会って、死んでから美貌に磨きがかかるというのは、何やらおかしい気がしたのだ。しかし、死神ちゃんたちは今この世界で()()()()()。「だったら、別にいいのか」と一人納得して頷くと、死神ちゃんは一粒お裾分けしてもらい、その苦さに顔を歪めたのだった。

 なお、後日聞いたところによると、酔っ払いは結局、まさこにカカオ豆のままプレゼントしたらしい。酔っ払いはげんこつ覚悟で渡したそうなのだが、まさこは「ダーリンが一生懸命に集めてくれた」と言って凄まじく喜んだという。




 ――――元々効能は素晴らしいけれど。生産者の愛や、贈り手の愛が篭っていたほうが、その効果は何倍にも膨れ上がる気がするのDEATH。

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