第222話 死神ちゃんとクレーマー④
年明け間もなくのころ。死神ちゃんは手渡された翌月のシフトを見て首を捻った。一日当たりの勤務者数が、いつもと比べると少々多かったからだ。よくよく見てみると、役職に就いていない平社員がおしなべてほぼ〈休み返上〉の状態で勤務が入れられていた。ただ、死神ちゃんとピエロだけは例外のようだった。このことについてマッコイに尋ねてみると、彼は困り顔を浮かべて言った。
「なんかね、今年はイベントをやるらしいのよ」
「イベント? ますますもって〈アトラクション〉だなあ……」
「ええ。その関係でダンジョン内に長時間滞在する人が増えるだろうからということで、一日当たりの勤務者数を増加させるようにと上に言われてね」
事の発端は、去年の〈友チョコの流行〉にあった。アリサにチョコレート作りを教えたサーシャは、バレンタインという行事についてアリサから教えてもらい、後日友人や同僚にチョコレートを配り歩いた。それがきっかけで、裏世界にバレンタインデーという風習が芽生えた。実はこのとき、サーシャは〈表〉の友人であるギルド職員のエルフさんにもチョコを渡していたのだとか。そして、チョコを頂いた際にバレンタインについての説明を受けた職員さんは、ふと思ったのだそうだ。――「これは、いい稼ぎになる」と。
「一階のボッタクリ商店の売り上げや教会に支払われる治療費の一部は、ギルドに収められるのよ。ダンジョン内滞在者が増えれば、それだけ一階施設の利用者も増えるでしょう?」
「商魂逞しいな。でも、裏側の負担ばかり増えてメリットなんてないだろう」
「イベントのために探索を中断する冒険者が増えるだろうから、いい足止めになるだろうってことで、表の提案に乗ることにしたんですって」
イベントの内容は、こうだ。まず、ギルドが〈ダンジョンの産出アイテムに、カカオ豆が追加されたらしい〉という情報を出す。そして、そのカカオ豆を冒険者に集めさせ、ギルドに持ってこさせるのだ。もちろん、ただ集めさせるということはしない。集めたカカオの数や、同時に収める調理器具のグレードに応じて、ギルドが手配した〈魔術も嗜むパティシエ〉――裏からの派遣だそうだ――が、支援魔法と同等の効果のあるチョコレートを作ってくれるというサービスを行うらしい。
このイベントは来月限りのものだそうで、カカオが産出されるのも来月限りだそうだ。今回のイベントの様子を見て、反響が良ければ似たようなイベントを今後も行っていくつもりらしい。
「アタシたち班長と副長は現場監督と寮の管理業務があるから、それ以外の子たちに多くシフトに入ってもらうことになって。もちろん、その分のお休みは翌月とってもらうことになっているわ。――
「ああ、あのよく分からん〈法令遵守〉ってやつな」
苦笑いを浮かべて頷くマッコイに、死神ちゃんは眉根を寄せて「そんなイベントなんて、上手くいくのかね」と小首を傾げた。
しかし、死神ちゃんの憂慮は不要のものとなった。イベントが始まった当初はどの冒険者も「バレンタイン? 何だ、そりゃ」という感じだったのだが、アイテム掘りのついでに入手したカカオ豆をチョコに変えてもらった冒険者が「これは〈おにぎり〉と違って日持ちもするし、とてもいいぞ」と言いだして、イベントの人気に火がついたのだ。おかげさまで、ダンジョン内はカカオを求めてアイテム掘りを行う冒険者ばかりとなった。
この日、死神ちゃんもそんなイベント参加者が〈
「くっ、またもやナシだと!? 俺の愛はッ! 一体どこにあるんだッ!」
「んなもん、アイテムに混入しているわけがないだろうが」
思わず、死神ちゃんは地団駄を踏む彼の後頭部を叩いた。彼――尖り耳狂は凄まじく不機嫌な顔で死神ちゃんを睨みつけると、唸るように言った。
「あるんだ」
「はあ?」
「あるんだよ、チョコの中に、きっと」
なおも睨みつけてくる尖り耳狂を、死神ちゃんは怪訝な顔つきで睨み返した。一転して、死神ちゃんは嗚呼と声を上げると〈何やら思い当たった〉というかのような表情を浮かべた。
「興奮作用があるから、恋の媚薬とか言われてたな、そう言えば。――でも、媚薬効果で得たものを、愛としてカウントするのはどうなんだ?」
「幼女に愛を語られたくはないな。――いいか、大人にはな、既成事実というものがあるんだ」
「……お前、最低だな」
ニヤリと笑った尖り耳狂を、死神ちゃんは軽蔑の眼差しで見下げた。尖り耳狂は憤ると、声をひっくり返して捲し立てた。
「それはそれとしてだな、ほろ苦くて甘いチョコレートを送られたら、チョコと同じような気持ちを俺に抱いてくれる尖り耳が一人はいるかもしれないだろう!? 甘ったるい瞳で、俺を見つめてくれる尖り耳が一人はいるかもしれないだろう!? ていうか、一人くらいいてくれてもいいじゃないか! なあ!?」
「お前、いつになく必死だな。何があったんだよ」
死神ちゃんが首を傾げて尋ねると、彼は俯き、まるで泣いているかのように声を震わせた。
「年末年始に帰省したら、弟に子供ができていたんだ。尖り耳との間に……! 尖り耳との間に……!!」
死神ちゃんはどうでもよさそうに聞き流した。しかし、彼は暗い表情で呪わしげに「何故俺には尖り耳の嫁が嫁いでこない」だの「俺似の尖り耳キッズは、いつ俺の腕の中に」だのと延々繰り返した。
彼は気持ちを持ち直すと、カカオ探しを再開させた。あとひとつあれば、一番上位のチョコレートをひとつ作ってもらえるらしい。その最高級チョコレートで、尖り耳の心を射止めたいのだという。彼は必死になって、モンスターと戦った。
死神ちゃんはぼんやりとそれを眺めながら、彼に尋ねた。
「ところでさ、カカオ豆ってどういうモンスターから産出されるんだ?」
「どんなモンスターからでも出るらしいぞ。
「虫って、あの虫か」
「それ以外に何がある」
不思議そうに首を傾げる尖り耳狂に、死神ちゃんはゲエと顔をしかめた。何となく、あの虫から出てきた食料品というのは食べたくないと死神ちゃんは思ったのだ。
しばらくして、尖り耳狂は喉から手が出るほど欲しかったカカオをひとつ手に入れた。早速彼は、一階に臨時で開設されているイベント会場へと足を運んだ。そして、彼は尖り耳との熱愛生活に胸を膨らませてデレデレとしながら、受付にカカオの入った袋を差し出した。しかし、彼は袋を即座に引っ込めると顔をしかめさせて声を張り上げた。
「チェンジ! チェンジだ! チェンジを要求する!!」
「人の顔見るなり、何なのよ。うるさいわね」
「尖り耳の皮を被った悪魔になど、俺の大切なカカオ豆を触れさせるわけにはいかんのだ! だからチェンジだ!」
他の職員と代われと言い出す彼に、悪魔と呼ばれたギルド職員――サーシャと友人関係にあるエルフさんは気分を害して眉根を寄せた。彼女は腕を組んでフンと鼻を鳴らすと、尖り耳狂を睨みつけた。
「何で私が触ったら駄目なのよ」
「俺は最高級チョコを愛しの尖り耳に捧げるのだ! 悪魔が触れてしまっては、台無しになってしまうだろうが!」
苛立たしげに頬を引きつらせると、エルフさんは彼から袋をひったくった。ギャアギャアと不当なクレームを並べ立て、チェンジだと繰り返す彼を無視して、彼女はカカオをパティシエに手渡した。パティシエは何やら魔法を唱えて〈特別なチョコレート作り〉を開始した。
エルフさんは死神ちゃんがそこにいるということに気がつくと、ブースの中から出てきて死神ちゃんを抱き上げた。そして天使のような笑顔で死神ちゃんに頬ずりをしながら「やっぱり可愛い。今日もお日様の香りだわ」と呟いた。その様子に、尖り耳狂は「信じられない」とでも言いたげに愕然として硬直していた。
しばらくして、チョコレートが完成したとブースの中から声がかかった。エルフさんは死神ちゃんを解放してブース内に戻ると、パティシエからチョコレートを受け取った。それを尖り耳狂に渡すかと思いきや、彼女は〈渡すフリ〉をしてチョコを引っ込めた。
「――で。これ、尖り耳に捧げるんでしたっけ?」
「ああ、そうだが」
「じゃあ、全尖り耳の安全を守るべく、尖り耳の代表としてこの私が頂いとくわね」
そう言って、彼女は無情にもチョコレートを頬張った。無表情でバリバリとチョコを噛み砕く彼女を呆然と見つめていた尖り耳狂はふるふると震えると、ブワッと涙を浮かべて「悪魔め!」と叫んだ。そして彼は死神ちゃんの手を乱暴に掴み取ると、泣きながら教会へと走り去ったのだった。
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「ということがあったんだが、意外とお似合いなんじゃあないか。あの二人は」
「やめてあげて。あの子、本気で傷つくから」
思案顔で首を傾げた死神ちゃんに、サーシャが表情もなく淡々と返した。死神ちゃんは苦笑いを浮かべると、買い物かごにクーベルチュールを放り込んだ。今年はみんなでチョコレートを作ろうと約束していて、本日はその材料を買いに来ていたのだった。
ピエロはニヤニヤと笑うと、手にしたチョコを眺めながら言った。
「でもさ、媚薬効果を期待したいなら、チョコじゃあ駄目だよね! もっと効き目のある――」
「
「せっかくだから、マジモノの媚薬の入ったチョコ、作っちゃう? 作っちゃう!? あちし、誠心誠意指導するよん!」
死神ちゃんが苦い顔を浮かべていると、クリスがそれに食いついた。死神ちゃんは二人をじっとりと睨むと「お前らからは、チョコ、もらわないようにするわ」と呟いた。そして二人をその場に残して、死神ちゃんはサーシャを伴いレジへと向かった。ピエロとクリスは謝罪の言葉を述べながら、必死に死神ちゃんのあとを追ったのだった。
――――チョコをもらってときめくのは、チョコに興奮作用があるからではない。真っ直ぐな気持ちを一緒に受け取るから、ときめくのだと思うのDEATH。