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 それから私たちは、ピトゥイの練習をはじめた。

 ピトゥイは、たしかにとてもむずかしい魔法だった。

 どのくらいむずかしいかというと、お昼をまわり、もうすぐお日様がかたむきはじめるという頃になってもまだ、誰ひとりとして――生徒も、先生も――使えるようになっていなかったほどだ。

 魔法大生の人は三人いるので、私たちも三つの班に分かれた。それぞれに、学生の人が一人ずつついて指導してくれるというやり方だ。

 午前中にまったく成果が出なかったので、マーガレット先生の提案で、午後からはどの班が最初にマスターするかを競うことになった。ごほうびは、学校の畑のミイノモイオレンジで作るシャーベットだ。

 そのシャーベットが、学校の大きな冷凍庫の中ですっかり冷えて固まってできあがってしまってからも、やっぱり誰ひとり、ピトゥイを使えるようにはなっていなかった。

 ――うちのおばあちゃんなんかは、すごくかんたんそうに、指を振るだけで使えてるのになあ……なんでできないんだろう。

 私はすっかり疲れきった頭でそう思うのを、何十回となくくり返していた。

 ほんとうに、なぜ発動しないのかがわからない。

 呪文は

「ピトゥイ」

 これだけだ。

 たったひと言。

 一秒もかかるか、かからないかぐらい。

 いつものようにキャビッチを頭上に持ち上げ「ピトゥイ」とさけぶだけで、自分にかかった呪いの枷から解き放たれるという理屈のようだ。

 だけど使えない。

 発動しない。

 キャビッチが、いつまでも手のひらの上にある!

 魔法大生の人たちはもちろん、最初にお手本として自分自身でピトゥイをかけてみてくれた。

「ピトゥイ」彼らが叫ぶと、彼らの手の上のキャビッチはしゅるん、とおなじみの音を残して消えたのだ。

 魔法が――ピトゥイが発動したという、証拠だ。

 まあ、誰も彼らに呪いをかけてはいなかったので、その効果がはっきり目に見えるわけではなかったのだけれど。

 でもとりあえず、ピトゥイは発生したはずだ。

「ポピー」ヨンベが、すっかり疲れはてた顔で私を呼んだ。

「ん? どうしたの、ヨンベ」私は急いでふり向いた。正直いって、むなしい誦呪をしなくてすむことがうれしかった。

「妖精ってさ」ヨンベは、本当にこれ以上練習をかさねたら病気になって倒れるんじゃないかとうたがわれるほどに、ショウスイしきっていた。「呪いをかけたりするの?」

「う」私は思わず目をきょろきょろさせてしまった。

 正直いって、そこまで妖精の本を読みこんでいないから、妖精が呪いをかけるのかどうかはわからない……けどたぶん、今日のこのピトゥイの練習は、呪いじゃなくて妖精そのものをはらい落とすためのものだ。

 そう、ゆうべユエホワが話していた、アポピス類への対抗策だ。姿を消す力への。

 でも、考えてみたら私たちがそれを聞いたのはゆうべ遅くなってからだったのに、けさ学校に来たらもうすでにピトゥイの習得が決められていたっていうのは、びっくりするほど話が早いと思う。

 まさか、ユエホワが自分で学校に来て、マーガレット校長先生に話をするわけないし。

 うちの親が、ゆうべ夜中かけさ早くに、ツィックル便をマーガレット校長先生に送ったんだろうか?

 でもそこから、魔法大学の学生さんたちを呼ぶのも、手間と時間がかかることだろうし……

「うーん」私は無意識のうちに腕組みをして空を見上げ、眉をしかめていた。「どうなんだろう」

「どうした?」私たちのコーチ役のケイマンという人が、近づいてきた。「なにかわからないことがある?」

「あ、あの」ヨンベが背すじを少しのばして質問した。「妖精って、人間に呪いをかけたりするんですか?」

「――ああ、えーとね」ケイマンは一瞬横を見て、それからちょっとこまったように笑った。「妖精には、まあ多少いたずらをするものもいたようだけど、本格的な呪いまで使うものは、歴史上では確認されていないはずだよ」

「へえー」私とヨンベははじめて得た知識にいくどもうなずいた。

「でも、じゃあなんで今日中にピトゥイを習得しなくちゃいけないんですか?」私たちのとなりにいたほかの生徒が、質問に加わった。

「それは」ケイマンはまたちらりと横――遠くにいるマーガレット校長先生の方だ――「ぼくらが聞いてるのは、姿の見えない不審者から身を守るためのものだってことだけど」

「でも、呪いを解く魔法がなんの役に立つんですか?」

「呪いをかけられたら、妖精の姿が見えなくなってしまうんですか?」

「妖精じゃないなら、だれがその魔法をかけてくるんですか?」

 私たちのまわりにいたほかの生徒たちも、質問しはじめた。皆、むなしい誦呪をしたくないのだろう。

「ええと、それはね」ケイマンは、皆からの圧力をおさえるかのように、両手を胸の前にひろげて立てた。「ええとつまりその」

「呪いで姿を消してるんだよ」ルーロという人が、ケイマンにかわって答えた。

 でもその姿は見えず、皆きょろきょろと左右を見回した。

「敵の方にかかってる呪いをはらい落とすためさ」またルーロの、ぼそぼそとつぶやく声が聞こえた。

「ルーロ」ケイマンが、自分の真うしろにふり向いた。「俺のうしろにかくれるなよ」

 すると、ケイマンの背後からルーロがゆらりと姿をあらわし、ひひひ、と声もなく笑った。

 皆は(私も)思わず後ずさりしてしまい、だれもなにも言えずにいた。

「敵ってつまり、妖精以外の敵がほかにもいるってことなんですか?」ヨンベだけが冷静に質問をつづけた。すごいと思う。

「くくく」ルーロがまた、邪悪げな笑いをもらした。「まあね」

「えっ」

「それって」

「鬼魔?」ほかの皆もつぎつぎに声をとり戻した。

「君」ルーロがふいに、私を指さした。「ポピーっていうの」ぼそぼそと名前をきく。

「え」私は、まわりの皆の注目をあび、一瞬身をちぢこまらせたが「あ、はい」と正直に答えた。

「ガーベラの孫の?」ルーロはつづけてきいた。

 私の頭の中に、去年のいまわしい記憶が一瞬でよみがえった。

 この問いかけにうなずくと、次はどうなるか。

 私の腕は無意識に、キャビッチスローの構えに入っていた。

「ポピー」ヨンベの声が、遠くから聞こえた。

「おっと」ルーロはちょっとあわてたように、ケイマン同様両手を胸の前にひろげて立てた。「ストップストップ」

「あっ、ごめんね、だいじょうぶだよ」なぜかケイマンもあわてたように、ルーロと私の間に立ちふさがった。「お前もうあっち行け。もどれ」背後のルーロを追いはらうように言いつける。

 ひひひ、と謎の無声笑いをのこして、ルーロは自分の受け持ちグループの方へ立ち去った。

 私は、ほっと肩を落としながらキャビッチを持つ手を下ろした。

「ポピー、だいじょうぶ?」ヨンベが心配そうに聞いてくる。

「あ、ごめん」私はあわてた。「ちょっと、頭がつかれたみたい」はははは、と笑ってごまかした。

「そうだね、もう今日は、ここまでにしようか」ケイマンがついにその決意をしてくれたおかげで、誰もピトゥイを習得できないまま、今日の学校は終わりとなった。

 ミイノモイオレンジシャーベットがどうなったのか、その後先生たちから何も話がなかったので、たぶん先生たちだけで食べちゃったんだろうと思う。

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