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不審な訪問者 2

 ロストと名乗った不思議な男は、日を空けずに『水月』の戸を潜った。
 まるで長年通い続けた馴染みの店に入るかのように、ふらりと訪れては、迷惑なことに結構な確率で長時間居座る。いっそ業務妨害だと訴え追い出したいくらいだったが、初めてここに訪れたときと違い、一応今はれっきとした顧客だ。例えその会話の大半が刺青とは関係のない世間話で埋め尽くされていたとしても、無下にはできない。少年は店主として、相手が客である以上その素性に拘らず、飽くまでも客として扱うと決めていた。
 それでも、この大柄な顧客は迷惑な存在だった。自分だけならまだしも、店主の腕を求めて訪れる他の顧客にまで、ほいほいと話しかけるのだ。お陰で仕事の話が中々進まないこともある。何せ、店主と客が図案について相談していると決まって口を挟んでくるのだから、やはり営業妨害も良い所だ、と少年は思う。そして、仕事の邪魔をしてまで出される話は、ほとんどが少年にとっては意味がないようなことばかりだった。
 何故そのモチーフにしたいのか。どうしてこの店に来たのか。
 大抵はこういった話題から入り、徐々に会話を広げて行く。これはその場における第三者である少年にしか判らないことなのかもしれなかったが、男のそれは、まるで尋問じみている、と感じられた。
 最初は、本当に些細な話なのだ。だが、あの懐っこく落ち着く声音で巧みに話を誘導し、いつの間にか顧客の職業や住まいを、そして、もしかするとその性格や性質まで、彼は暴き出しているのかもしれない。そう感じるほどに、男はいとも容易く、秘匿するべき情報の数々をするりと抜き出して行った。
 少年には信じられない。あんな、姿かたちさえ曖昧な存在に、そこまで己のことを話せるなど。
 余りにも客が男に心を許すので、もしや彼らには男の姿がはっきりと認識できるのかとも思った。もやがかったように判然としないのは、自分だけなのかと。だが、それとなく話題に出せば、やはり客の方も男の姿をはっきりとは認識できていないようで、しかしそれを気にした様子もない。
 正直、気持ちが悪いと思った。まるであの男が心を操る魔法を使っているようだ。他者の心の内に潜って、その全てを曝け出してしまう、そんな魔法を。
 そこまで考え、少年は知らず、僅かに震えた。恐らくそれは嫌悪から来るものではなく、怯えから生じたものだったのだろう。心の内を覗かれ、そして踏み込まれる。それは少年にとって、死よりも激しい苦痛を伴うことだ。少年が知らぬ間に忘却した忌まわしい記憶を、もしかすると掘り起こされてしまうかも知れない。無論、記憶を忘れたことすら覚えていない、あるいは認識していない少年の思考がこれに至ることはないが、それでも本能は怯え、恐れ、慄く。
 いつの間にか、店内には男と少年の二人きり。ああそうだ、ついさっき、本日最後の客が帰ったところだった。いや、この男も客なのだから、最後の客、ではないのだろうが。
「そんなに構えるものではないよ。少なくとも、私は精神に作用する魔法など使えない。まあ、信じるか信じないかは店主殿次第だが」
 来客用のソファに座っていた男が、緩く微笑んだ。その言葉に、とっくに冷め切っていた茶を飲む手が止まる。
「……何のことでしょう?」
 にこり。白熱電球の笑みを返せば、男の微笑みが困ったようなそれに変わった。
「いや、酷く怯えているように見えたのでな。少しでも安心させられれば、と思ったのだが」
「…………」
「得体も知れぬ男の言うことなど信じるに値しないかも知れんが、それでも、誓って私はそのような魔法は扱えない。そういった細かいことが得意な知り合いはいるが、それにも限界というものがあってな。相手が踏み込ませたくない領域に踏み込めるほどの精神魔法となると、この広いリアンジュナイルでも、扱える者は五指にも満たないだろう」
 だから安心して貰えると嬉しい、と重ねた男に、店主はやはり、にこりと笑んだ。
「ですから、何の話でしょう?」
「……ふむ。まあ、店主殿がそう言うのであれば、今の私の話は戯言だとでも思ってくれ」
 そう言って、男は持っていた湯飲みを口元に運んだ。
「そうですか。……それはそれとして、兎に角、お客様のご迷惑になるようなことだけはしないでくださいね。まさかそんなことはないと思いますけれど」
「勿論だとも。しかし、私も一応客なのだが?」
 店主の言葉に、男が悪戯っぽく笑う。
「……そうですね、それは失礼致しました」
 一拍を置いて、少年の方も相変わらずの笑みを返すが、心の内ではこの得体の知れない男が一刻も早く帰ることだけを祈っていた。そんな店主の心情を察したのかそうでないのか、それは判らないが、出された茶の最後の一口を飲み干してから、男は立ち上がった。
 やはり、判らない男だ。こういった些細な立ち居振る舞いはやけに優雅だと言うのに、言動や行動は素朴そのもので、その不和がなんとも気持ち悪い。尤もこの不快感は、男そのものを不快だと思うが故に生じているものに過ぎないのかも知れないが。
「さて、そろそろ店じまいかな。では、今日はこれでお暇するとしよう」
「そうですか」
 男の言葉に少年も立ち上がる。顧客である以上、見送るのが店主としての務めである。
「しかし、こう毎日いらっしゃらなくても良いのですよ? お仕事もあるでしょうに」
「はっはっはっ。いや、仕事の方は現在部下に丸投げしていてなぁ。なに、優秀な部下だ。私のような使えぬ上司がおらずとも仕事くらい回してくれるだろう。寧ろ、邪魔者がいなくてせいせいしているやも知れん。何も心配はいらんよ」
 この男を上司に持った部下とやらの不幸を思いつつ、少年の唇が曖昧な笑みをかたどる。
「そう構えなくて良い、と言っただろう? ……この国には探し物をしに来ただけだ。それが済んだならば、すぐに出て行くさ」
「……探し物、ですか」
 今の発言からすると、男はどうやらこの国の人間ではないらしい。他国の人間か、旅人か。それは判らないが、金の国に籍を置く者ではないことは確かだろう。
 しかし、いくらこの国の住人達が様々な大陸の地を引いた多国籍民族だとは言え、ここ数日自分の店に通い詰めていた客が外部から来たということすら知らなかったとは、我がことながら驚きである。それと同時に、店主は男に対して更に警戒を強めた。
 これほどまでに親しげに話しかけ、相対する他者の内情を造作もなく晒させていく反面、この男は、自分のことは欠片も表に出していなかったのだ。それこそ、この国の人間でないということすら、気付かせないほどに。
「店主殿は、なかなか警戒心が強いらしい。いや、己のことを話さなかったのは私の方だからな。自業自得と言うやつか」
「……別に、気にしていないので、貴方もどうかお気になさらず」
「そう言わずに聞いてはくれないか。そもそも私は赤の国、グランデル王国の人間でな。とある事情により失せ物を探しているのだが、それがどうやら金の国にあるらしいと知り、こうして足を運んだのだ」
「はぁ」
 グランデルと言うと、ギルガルド王国の隣に位置する国だ。首都であるここからならば、国境まで徒歩で二か月以上はかかるだろうか。何にせよ、心底興味がない。良いから早く帰ってはくれないだろうか。こちらの心の内を見透かしたような物言いは、とても居心地が悪いのだ。
「この失せ物というのがまた、厄介でな。おいそれと口に出せるようなものではない。そうでなければ、もっと人員を割いて大々的な捜索ができるところなのだが」
 男は周囲を窺うように声を潜めて言ってみせたが、少年にはその仕草が、何処かわざとらしいもののように思えた。
「何を失くしたのかは知りませんが、探し物なら、中央の行政府でも訪れてみてはいかがでしょう? この国は他の国と比べて排他的ではないので、高官の方々も他国の方に親切ですし、そもそもグランデル王国はギルガルド王国の友好国ですから。大切なものなら、こんなところで情報を集めるよりも確実だと思います」
 少年としてはこれ以上ないほどにまっとうな意見を言ったつもりだったのだが、男は僅かに苦笑した。
「……そうだな。失くしたことを他国に知られては非常に困るものを失くした、と言えば良いだろうか」
「はぁ」
「失くしたものも大概だったが、それよりも失くし方が致命的だ。万が一これが公になった場合、グランデルだけで済む問題ではなくなってしまう。事は複雑に絡み合い、今となっては諸悪の根源が何者なのかすら定かではない、……のではないだろうか。いや、私も未だ確信を持って言える訳ではないのだが。しかし此度の一件はあまりにも単純すぎる。目に見えるものだけを捉え続ければ、いずれ不和が生じてしまうだろう。しかし、そうなった段階では最早後戻りが効かないのだ。国が国として動けば、それは国の意思。決して誤りであってはならない、明確な意思表明。少なくとも、王はそう考えているのだろう。故に、この一件は私が責任を持って内密に処理しなければならない。グランデルが誤らぬよう、誤っても後戻りが効くよう、私が私の一存を以て全てを見定める。そうしなければ間違いなく戦争に発展するからな」
「え、ええ、と……」
 突然並べ立てられた言葉達と、その最後に飛び出た戦争というフレーズに、少年が目に見えて動揺する。
「うん? ああ、お前も王が間違ったと思うか? 奇遇だな。私も常にそう思って生きている。特に今回の件は見誤った節があるのではないだろうか。あらかじめ予測がついていたのなら、敢えて乗る必要はなかったのではないだろうか。王が挑発を甘んじて受け入れることすらも策の内に入っていたのだとしたら、少なくとも本件に関しては王が初手を誤ったと断ずるより他ない」
 男の発言に、少なからず少年は驚いた。グランデル王国のことはあまり知らないが、それでも自国と友好関係にある国のことだ。簡単なお国事情のような話くらいなら、風の噂で聞いたことがある。
 曰く、全ての民が敬い、全ての民が無条件に信頼を寄せる、奇跡のような王だと。国王としての才は、連合国の中でも最も優れているだろうと。
 尤も、ここギルガルド王国の幼い王も半ばグランデル国王を盲信している節があるらしい、という話も同時に聞いている。そんな国で聞こえる噂話だ。事実以上にグランデルを持ち上げるような話に脚色されていると考えるのが妥当だろう。
 それでも、こうも堂々と自国の王を非難するような発言をする者が存在するというのは、純粋に驚きだった。グランデル王国という、恐らく王を崇拝する人口が多い祖国の地を離れたが故に口が緩くなっているだけかも知れないが、これまでの男の様子を考えると、そう決めつけて良いかは甚だ疑問である。もしかすると、目の前のこの男は、グランデル王国において、国王を糾弾する発言ができるほどの地位を持っている者なのかも知れない。そう考えれば、質素な格好や気さくな言動に不釣り合いな漂う気品も、納得がいくような気がする。
「まあ、王の初手が誤っていたとしても、その誤りを誤りでなくすために、私が此処に居るのだ。随分と厄介な話になりそうだが、致し方あるまいよ」
「……貴方、は、一体、何者なんですか……?」
 最初に会ったときよりも更に警戒が強い、いっそ敵対心すら窺わせるような声が、男の耳を叩く。だが、やはり男は気にした素振りも見せず、にこりと人好きのする笑みを浮かべた。
「これは参った、喋りすぎてしまったな。できれば、今聞いたことは忘れて貰えると有難い。……そうだな。私が私のことを語らぬが故に店主殿を不安にさせてしまっているようだったから、私なりに店主殿に歩み寄るために妥協した結果、だと思って貰えれば」
 浮かべた笑みをそのままに、男が少年に向かって大きな手を差し出す。
「どうだろう。これで少しは、私と仲良くしてくれる気になっただろうか」
 出されたそれは握手を求めているのだろうと判ったが、少年は、どうしてもこの不可解な男の手を握る気には、なれなかった。

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