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side アレファルド

 

 踵を鳴らして堂々と歩を進めて行くアレファルドが向かうのは、渡り廊下の向こう側にある建物だ。
 あちらは主に文官が仕事をする行政の中枢。
 本来ならば、アレファルドもそちらに出向き政務を覚えなければならない。
 ……そう、本来ならば。
 もっと早い段階で行政区画に関わってくるべきだった。
 後ろを歩くスターレットとニックスはアレファルドの速足についてこれずに、だんだんと距離が出来る。
 それはどこか彼らの今の関係性にも似ていた。

「ディタリエール伯爵はおられるか!」

 司法を司る法務部の部屋の扉を、アレファルドは勢いよく開く。
 仕事をしていた者たちは目を見開いて困惑気味に来訪者の方を確認する。
 そして、一番奥の一番大きな机の前に座っていた男が眼鏡を外して立ち上がった。

「これは、殿下……珍しい場所においでですな。なにかご用でも? ご用があれば呼び出して頂いてよろしかったものを……」
「……いや、謝罪をしにきた」
「はい?」
「すまなかった」

 頭を下げて、そう口にした王子にその場の者たちは度肝を抜かれる。
 王子が。
 この国で二番目に偉い人間が、歳上とはいえ家臣に向かって頭を下げる。
 驚天動地とはこの事だろう。
 中には腰を抜かした者までいた。

「でっ! 殿下! どういうおつもりですか! そんな伯爵風情に頭を下げるなんて!」

 叫んだのはスターレットである。
 頭を上げたアレファルドに強く睨みつけられれば、ぐっと口を噤む。
 しかしすでに出てしまった言葉は戻せない。

「……私の元婚約者、エラーナの件だ。貴殿の息子が動いてくれねば、取り返しのつかない事になっていただろう。国から追い出す形になった事を心から詫びる」
「! ……私よりも宰相殿へ……」
「無論、このあと行く。だが先に一つ頼みたい」
「?」

 宰相には謝ると。
 その言葉にも驚いた。
 ディタリエール伯爵が首を傾げ、その頼みとやらは、と促すとアレファルドは目を細める。
 本当は口に出したい。
 だが、それは憚られた。
 アレはもう自分のものではなくなったのだから。

「優秀な側近が欲しい。信用に足る者だ。……『爪持ち』のな」
「……っ!」
「…………」

 カッ、と顔を赤くしたスターレットと、眉を寄せたニックスの気配には気づいていた。
 それでも言い放つ。
 そして、最後の条件。
 これをもっと早く王から……父から聞いていれば、卒業パーティーの計画は……いや、それ以前からあの男の扱いは変わっていただろう。
 アレファルドは少しだけ視線を下ろす。
 父は愚かな息子をそこまで理解していたからこそ、ベイリー家の加護について教えてはくれなかった。
 朝、それを話されて愕然とした。
 アレは手放してはいけなかった、本来ならば……。

「………………」

 案の定、ディタリエール伯爵は沈黙でもって難色を示した。
 無理もない。
 あれほど幼い頃から引き合わせ、つけてくれていた長子をあんな形で失ったのはアレファルドの落ち度によるものだ。
 それなのに更に新しいのを寄越せなどと、人の言う事ではない。
 そんな事は分かっている。
 だから先に謝罪を口にして頭も下げたのだ。
 この国ではあるまじき事である。
 それでもやった。
 このあと立ち向かわなければならない宰相は、彼よりも怒り狂っているのだ。
 その前にどうしても確約が欲しい。
 宰相に横槍を入れられ、側近が手に入らないのは……。

(王として、不利)

 人の感情などはなから持ち合わせていないも同じだったが、そのせいでアレを失ったのであればもっと考え、見て、識る努力を怠るべきではなかった。
 今更そんな事を言っても仕方ないのだが、失ったものが自分の中で大きすぎたのだ。

『王』として——。

 気づいてしまえばその空洞はどんどん根深く、凄まじい勢いで広がっていく。
 ……家臣の心が分からない。
 考えた事もなかったが、父の姿を思い返すとなんと、父は人を思いやる人だったではないか。
 いつも穏やかに、笑顔で……家臣の誕生日には花や手紙を贈り、誰と誰が結婚して子どもが何人いるのかもすぐに答えられる。
 宰相やディタリエール伯爵もあの王だからまだ『青竜アルセジオス』にいるのだろう。
 つまりあの王が、アレファルドの父が……『王』だからだ。
 それがどれほど偉大な事か……。

(もっと早くに気づくべきだったと……)

 裏切られて……その裏切るという行為の裏の想いの深さに愕然として目を背けたのは、あの感情だけはもう、二度と。

「……よいでしょう……今の殿下ならば使いこなせるかもしれません」
「!」
「ただし、まだ幼い故にアレは暴れ馬と言ってよいでしょう。質だけは保証いたしますがね。……殿下次第です」
「感謝する」
「…………ただ、本当に幼い。九つになったばかりです。……どうか、あまり無茶は……」
「分かっている」

 九つ、という歳を聞いて三男か、とあたりをつけた。
 あの男には弟が六人もいたが、上から数えて三男坊。
 確かにとても幼い。
 それでもなんとか——今度は——信頼して、信頼されるような関係を築いていかねばならないだろう。
 アレはもう自分のものではなくなった。
 父である伯爵に掛け合ったところで戻っては来ない。
『竜爪持ち』は、王には必要だ。
 だから彼の弟に頼るしかない。
 アレときちんと関係を築いてこなかった、自分が悪いのだ。

「で、殿下……」

 ディタリエール伯爵にもう一度礼を言ってから、法務部の部屋をあとにする。
 その場に用のないスターレットとニックスもアレファルドについて部屋を出た。
 そして弱々しい声でアレファルドを呼んだのはスターレット。
 いつもの澄ました顔はどこにもない。

「今回ばかりはもみ消せんぞ、スターレット。すでに父の耳にも入っている」
「っ!」
「あの様子ではディタリエール伯爵も存じておられるだろうな。宰相も把握している事だろう」
「…………」

 国王に伝えたのはアレファルドだ。
 あの男が梟の脚に括った手紙に全部書いてあった。
 それを握り潰す事も出来ただろう。
 だが、アレファルドは迷う事なく父に告げて…………相談をした。
 どうしたらいいだろうか。
 どうしたら——誰も失わずに済むだろうか、と。
 父は具合の悪そうな顔色のまま、だがとても穏やかに微笑んだ。

「そして、ニックス。お前の不正も証拠が出ている」
「えっ?」

 ギョッとした童顔を睨みつける。
 確かに彼らは恋敵ではあるが、公私の区別はしっかりつけられると思っていた。
 ただのミスならば下の者に擦りつけて仕舞えばいい。
 ああ、アレファルドもこれまではそう思っていた。

「な、なんの事ですかぁ?」
「リッツフェルトは俺に逆らえない」
「…………」

 可愛らしい顔貌をしたニックスの、その自慢の形が歪む。
 リッツフェルトの名前を出せば、なんともあっさり尻尾を出す。
 あとはカーズが早まった真似さえしなければ、全員の口を噤ませて終わらせる事も無理ではないが……。

「構わん、人はミスをするものだ。スターレット、正しい報告書を今週中に作ってこい。ニックス、リッツフェルトは俺がもらうぞ、アレは使える。……カーズは帰ってきたらとりあえず説教だな……」
「……わ、我々を処罰なさらないのですか」
「罰するのは簡単だが、お前たちが自分のために愚行を犯したと知った時の、リファナの悲しみ様を思うとどうにもな」
「「!」」

 そう、スターレットもニックスも『リファナとともにいたい』からこんな事をしたのだ。
 しかし、今回の事は家も国も省みない犯罪。
 相手を蹴落とすために、周りをまったく見ない行いだった。
 それが彼女にバレたなら、彼女はどんなに悲しむだろうか。
 そう言われて目が覚める。

「あ……っ」
「…………」
「お前たちの気持ちは分かっている。俺と同じくリファナを愛しているんだろう? それならば、俺に尽くせ。俺はこの国をもっと栄えさせ、リファナの幸せな生活を守らなければならない。……リファナとともにある時間は……調整しよう。だが一つ約束しろ。これだけは」

 彼女の魅力を誰よりも理解しているのは自分だと自負しているが、もしかしたら彼らもそう思っていたのかもしれない。
 それほど彼女に想いがあるなら、きっと約束してくれるだろう、と真正面から二人を捉える。

「リファナが泣くと思う事は……するな」
「!」
「……リファナが……泣く、事……」
「そうだ」

 二人は俯いた。
 心の底から後悔し、反省しているものに見える。
 これで行いが改まるとは……正直あまり思ってはいない。
 アレファルドは自分自身含め、こいつらも大概腐っていると理解している。
 その腐った部分はゆっくり削ぎ落として正していかねばならないだろう。
 そう思いながら進み、吹き抜けになった中庭の渡り廊下まで来てから……空を見上げる。

「フン……」

 鼻で笑って、爪先を宰相の執務室がある方へと向けた。

(俺は王になるぞ……フラン)

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