第220話 きらめき★ニューイヤーコンサート
イベントホール裏にある楽屋に呼び出されたマッコイは、部屋に入るなりギョッとした。そして慌てて死神ちゃんに駆け寄ると、勢い良く膝を掴んで足を閉じさせた。――死神ちゃんはソファーの上でぐったりと仰向けになっており、恥ずかしげもなく足を大きく広げて、だらしなく平らになっていたのだ。
向かいのソファーでは、アリサがノートパソコンを膝の上に置いて仕事をこなしていた。マッコイは呆れ返ると、彼女に向かって言った。
「ちょっと。急に呼び出されたと思ったら、一体これは何なのよ。スカートを穿いているときくらい、足を広げさせないでよ。パンツ丸見えじゃないの」
「何度も閉じさせたわよ。でも、勝手に開いていくのよ。だから、諦めたの。――ていうか、あなたが私やケイティーにジューゾーを抱っこさせない理由がよーく分かったわ。……脱力した幼児って、尋常じゃないほどに重たいのね」
アリサはげっそりと肩を落とすと、小さくため息をついた。すると、死神ちゃんは一応起きていたようで、疲れ切った声で弱々しく「人を幼児扱いするな」と抗議した。
本日はニューイヤーコンサートの|最終リハーサル《ゲネプロ》の日だった。共演者である天狐が年末年始に帰省し、準備等の兼ね合いもあって、コンサート本番は一月の月末あたりで予定が組まれた。
ほとんどの部署がカレンダー記載の休日通りに休めるわけではないにもかかわらず、チケットは完売しているのだとか。そのため、|主催者《アリサ》は〈全ての人に満足してもらえるショーを〉と意気込んだ。ビジネスモードの彼女は一切の妥協を許さず、稽古もみっちりと行われた。その時点ですでに死神ちゃんと天狐はヘロヘロになっていたのだが、最終リハではとうとう限界を迎えたようだった。
「ゲネが終わったあと、二人とも疲れ切ってソファーにぐったりと沈んでね。天狐は、おみつさんが着替えさせて連れ帰って。だから、ジューゾーのほうは私がって思ったんだけど、これが全く持ち上がらないのね」
「それでアタシに連絡してきたわけね」
マッコイは呆れ気味にフウと息をつくと、死神ちゃんに声をかけた。すると、死神ちゃんは〈抱っこして〉と言わんばかりに、無言で手を伸ばしてきた。慣れた様子で死神ちゃんを抱き上げるマッコイを感心の眼差しで見つめると、アリサは「さすがねえ」と口を開いた。
「おみつさんもだけれど、やっぱり年季が違うわね。私じゃあ、そんな簡単には持ち上げられないわ。むしろ、持ち上がらなかったし」
「|薫《かおる》ちゃんとお付き合いしたいなら、これはマストスキルだと思うわよ」
「……そういう関係になるころには、元の凛々しい姿に戻っているはずだもの」
目を逸らすアリサに、マッコイは再び呆れてため息をついた。死神ちゃんはもぞもぞと身じろぐと「早く帰りたい」と呟いた。マッコイは頷くと、まるで魔法少女と見紛うようなアイドル衣装を死神ちゃんから脱がすべく、脱衣スペースへと連れて行ったのだった。
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翌日、死神ちゃんが共用のリビングに顔を出すと、同居人たちがねぎらいの言葉をかけてくれた。死神ちゃんは苦笑いでそれに応えてソファーに腰掛けると、クッションを抱きしめてため息をついた。同居人の一人が、そんな死神ちゃんを見てニヤニヤと笑った。
「何だよ、おっさん臭い。幼児は、寝たらすっきり元気になるもんじゃあないのか?」
「さすがに疲れが残ってて、まだ少し眠い。ていうか、幼児扱いするなよ」
同居人を睨みつけると、死神ちゃんは大きくあくびをした。そしてビジネスモードのアリサの恐ろしさを、同居人たちに語って聞かせた。
「音楽に合わせてダンスするのが出し物のメインなんだが、あいつ、腕が少しでも下がってるだけですごくケチつけてくるんだ。それはもちろん大事なことかもしれないが、リアル幼女な天狐は、その厳しさに耐えられないからさ。稽古もたしかに疲れるんだが、二人の間を取り持つのが一番疲れるんだよ……」
同居人たちは、哀れみの表情で静かに死神ちゃんを見つめた。リビングには、死神ちゃんの哀愁漂うおっさん臭いため息がこだました。
一転して、同居人の一人が明るい口調で「でも、楽しみだな」と言った。死神ちゃんはクッションから少しだけ顔をあげると、眉根を寄せて同居人を見つめた。
「何だよ、もしかして来る気なのか?」
「当たり前だろ? 薫ちゃんがキャピキャピしてるのを見てると、なんか元気になれるからな。――面白くて」
「ていうか、ここだけの話、第三のメンバーはチケットが割引価格なのよ。〈同居人には見慣れた光景だろうから、チケットを購入してまでは来ないだろう〉ってことで。どっこい、その日休みの第三メンバーは全員参加っていう」
「は!? 全員来るのかよ! 個々人で休日満喫しろよ!」
「満喫した休日を送りたいから、見に行くんだろ」
同居人たちは互いに顔を見合わせると「ねえ」と言って笑った。死神ちゃんが口をあんぐりと開けて呆然としていると、クリスが照れくさそうに小さく挙手をした。
「私も見に行く。ていうか、むしろ、関係者席にご招待なんだ」
「えー、いいな、クリスちゃん! 私達だって同居人なんだから関係者なのに、そういうの無かったよ!」
「私ね、グッズのひとつを担当したの。だから――」
「すごいな。美術家が手がけてるって、ガチもガチじゃん!」
「力作だよ。当日は物販ブースで私の作った〈オリジナル〉を展示して、予約受付するらしいから、楽しみにしててね」
クリスと他の同居人たちがわいわいと楽しそうに話すのを、死神ちゃんは唖然として聞いていた。そして心の中で「物販だなんて、聞いていないんだが」と呟いた。
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コンサート当日。クリスが言っていた通り、イベントホールの入り口には物販スペースが用意されていた。まだコンサート開始までかなり時間があるというにもかかわらず、グッズを買い求める者が長蛇の列を作っていた。目玉商品は受注生産のリアル可動アクションフィギュアだそうで、死神ちゃんは予約受付に並ぶ人の量を見て〈こんなの出るとは聞いていないんだが〉と憤るよりも先に、驚きすぎて引いた。
物販に顔を出すと混乱を招く恐れがあるということで、死神ちゃんはフィギュアのでき栄えをチェックすることができなかった。そのため、死神ちゃんは楽屋で配布チラシを見せてもらった。そこには〈原型師には美術家クリストス氏を起用〉と書かれていた。
同僚の一人が「リアル可動フィギュアとかあったら、売れるだろうね」という話をしていたのは、つい今月のことである。だからまさか、こんな短期間で商品化がなされるとは、死神ちゃんは思っていなかった。そもそも、死神ちゃんのところに誰も了承をとりには来ていなかった。きっと、今日のイベントに間に合わせるために、クリスに無理を言ってとにかく原型だけは作成しようとなったのだろう。死神ちゃんは〈事後承諾だけはやめてくれと言っているのに〉と遺憾に思いつつも、ギャラをいかにふんだくるかの算段に考えを巡らせた。
少しして、天狐が楽屋に現れた。彼女は緊張で顔を青ざめさせ、いつになくぷるぷると震えていた。死神ちゃんは「あれだけ練習したんだから大丈夫」と言って彼女を励ました。
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「では、皆さん。お疲れ様でーす!」
エルダが笑顔でグラスを掲げると、関係者一同は笑顔でそれに応えた。
コンサートは昼と夜の二回公演だったのだが、死神ちゃんたちの〈活動可能時間〉を考慮して夜の部は十九時には終了した。その日はそのまま解散をして後日改めて打ち上げということで、本日がその打ち上げの日であった。お店は、年末の運動会で天狐と行く約束をしていたカフェだ。しかも、運動会での公約実行を兼ねてということで、打ち上げ費用は天狐が総負担してくれていた。
乾杯の挨拶もそこそこにさっそくパンケーキを頬張っている死神ちゃんに苦笑いを浮かべると、アリサはため息まじりに言った。
「あなたのトーク力を信じてMCのリハはしなかったから、少しハラハラしたわよ」
「でも、尺はばっちりだったし、大ウケだっただろう? なら、いいじゃあないか」
死神ちゃんはあっけらかんと返すと、クリームがたっぷりと乗ったパンケーキを口に運んだ。
死神ちゃんはコンサートが始まるや否や、魔法少女のような可愛らしい衣装に見合った小走りでステージ上に現れる――ということはせず、おっさん臭くのたのたと歩いて出ていった。そして、これまたおっさん臭く「おう、俺だ。みんな、よく来てくれたな」と挨拶した。舞台袖で見ていたアリサは、一瞬で顔が青ざめたという。しかし、死神ちゃんの毎日の勤務風景をテレビで見て知っているファンの方々は〈これこそ、薫ちゃんだ!〉と思ったようで、会場はドッと笑いに包まれた。
その後も死神ちゃんはノリノリで幼女らしく可愛らしさを振りまきながら、ステージ上を天狐と一緒に右往左往したかと思えば、またおっさん臭くのらりくらりとトークをした。そのギャップが堪らないらしく、会場は大いに盛り上がっていた。
天狐は生クリームでべったりと口周りを汚したまま、ニヤニヤと笑って言った。
「始まる前は緊張しすぎてどうしようと思っていたのじゃが、やればできるものじゃな!」
「お前、前と比べたら、だいぶ緊張に強くなってきたよな。偉いぞ」
「うむ! これはますます、春の〈ぶんかさい〉で演劇をせねばならぬのう」
「何故そうなる」
クフクフと楽しそうに笑いながら口元のクリームをおみつに拭われている天狐に、死神ちゃんは思わず眉根を寄せた。しかし彼女は気にすることなく「演目は赤ずきんちゃんが良いのじゃ」だの「赤ずきんちゃんがわらわで、お花は猟師さんじゃぞ」と言って目を輝かせた。そしてさらに、天狐はクリスに美術監督の打診をし始めた。死神ちゃんは市民の文化祭がとても大掛かりな何かへと変わりつつある気がしてきて、苦笑いを浮かべるしかなかったのだった。
――――なお、ペドが可動フィギュアを大量に予約していたのを知った死神ちゃんは苦い顔を浮かべると、ことごとくキャンセルさせたという。また、ケイティーも観賞用と保存用で二つ注文していたと知り、死神ちゃんは頭を抱えたそうDEATH。