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第219話 死神ちゃんと釣り人

「にゃんこが帰ってこないんだわ」


 死神ちゃんは出勤して早々、モニタールームで苛立たしげに鼻息を荒くするグレゴリーに呼び出された。何事かと思っていると、開口一番そのようなことを言われた。死神ちゃんは目を|瞬《しばた》かせると、首を捻って尋ねた。


「また、とり憑いたまま仕事放棄ですか?」

「いや、相手は既に灰化済みだ。その後、帰ってこようとしねえんだ」

「はあ……?」


 死神ちゃんが訝しげに眉根を寄せると、グレゴリーはモニターのひとつににゃんこを映した。彼女は先ほどまでとり憑いていただろう冒険者の傍らで、にゃんこよろしく丸くなっていた。
 時おり、冒険者に何かを投げられては嬉しそうにそれに飛びつく彼女を呆然と眺めながら、死神ちゃんは抑揚のない呆れ声でボソボソと言った。


「どういうことだ、餌付けされてやがるぞ……」

「ホント、気を抜くとすぐに〈ただの猫〉に成り下がってよ。まったく、勘弁してくれや。おかげで、俺も上がれねえんだわ」


 夜勤の現場責任者を勤めたグレゴリーは、本来ならばもう退勤している時間である。しかしながら、にゃんこが帰ってこないことで上がることができないらしい。そのため、面倒くさそうに頭を掻く彼は少しばかり殺気立っていた。


「別に、|早番の責任者《ケイティー》にあとのことは任せて、帰ったらいいじゃあないですか」

「あいつ、現行犯でとっ捕まえねえと、猫のごとく姿くらますからな。戻ってきたところをふん捕まえて、課長のデスクまで引きずっていくことを考えると――」

「ああ、獣人の運動能力を考えたら、|人間《ケイティー》じゃあ無理ですもんね。――で、これを連れ帰ればいいんですか?」


 死神ちゃんが頬を引きつらせると、グレゴリーは「話が早くて助かる」と言って頷いた。例の冒険者は死亡により〈死神罠の発動までにかかる時間〉のカウントがし直されて、すでに〈新たな死神罠〉が発動するほどの時間が経過しているという。死神ちゃんにはその〈新たな死神罠〉として出動してもらい、持ち前のコミュニケーション能力で冒険者をたぶらかし、ついでににゃんこを回収してきて欲しいのだという。死神ちゃんは彼に苦笑いを浮かべると、ため息とともにダンジョンへと降りていった。

 死神ちゃんが五階の水辺地区にいる冒険者の元へとやって来たのとちょうど同じタイミングで、冒険者が奇声を上げて勢い良く立ち上がった。何事かと思い近づいてみると、死神ちゃんの存在に気がついた彼は顔を真っ赤にして必死に叫んだ。


「すまねえ、手伝ってくれ! たもを! そこにあるたも網をとってくれねえか!」


 死神ちゃんは慌ててたも網に手をかけた。その横では男が鬨の声を上げて一生懸命に竿との格闘を続けていた。


「こいつは大した大物だ!」

「一体、何がかかっているんだ!?」

「魚影からして、カジキか何かだろう」

「こんなところで、そんなもんが釣れるわけないだろう!」

「釣り上げてみてからのお楽しみと行こうじゃあないか! 絶対に釣り上げるぞ! うおおおおおおおお!」


 死神ちゃんは、たもを握りしめ、緊張の面持ちで男の勇姿を見届けた。男は力強く竿を振り上げながら「たも!」と叫び、死神ちゃんは即座にアシストした。その甲斐あって、男は大物を見事に釣り上げることに成功した。
 死神ちゃんは水からあげられた獲物を見て、信じられないとばかりに愕然とした。


「嘘だろ……。本当にカジキが釣れたよ……。どうなっているんだよ、一体……」

「嬢ちゃん、すごいだろう! しかも、こいつな、ダンジョンで釣れるヤツは特殊でよ、冷凍すると大剣として使用できるんだ」

「ますますもって、どうなっているんだよ!」


 死神ちゃんが素っ頓狂な声を上げると、男は快活に笑った。すると、魚の匂いに釣られて丸まっていたにゃんこが起きてきた。〈それも頂戴〉と言わんばかりに足元に擦り寄ってくる黒ローブ姿の骸骨の頭を、男は申し訳なさそうに笑いながら撫でてやった。


「ごめんなあ。こいつはさすがにあげらんねえよ。これな、すっごくレアモノなんだよ」


 にゃんこは男の言葉にしょんぼりと肩を落とすと、再び丸くなって寝始めた。死神ちゃんがその様子を呆れ返って眺めていると、男が苦笑交じりに言った。


「こいつ、俺にとり憑いてきた死神なんだがよ、俺が死んでもいなくならねえんだ。それどころか、まるで猫のように振る舞って……。面白いよな」

「ああ、うん、そうですね……」


 死神ちゃんが苦い顔を浮かべて言葉を濁すと、男は不思議そうに首を傾げた。しかしすぐさま笑顔を取り戻すと、彼は「飯にしよう。お礼にご馳走するよ」と言って死神ちゃんの頭を撫でた。
 彼は焚き火の準備が整うと先ほど釣ったという魚に塩をまぶし、串に刺して火の周りに並べた。魚が焼きあがるのを待ちながら、彼は死神ちゃんとの会話を楽しんだ。

 ダンジョン内でおにぎりが産出されるようになったのと同じくらいの時期に、ダンジョン内の水辺に魚が実装されることになった。もちろん、食用としてではあるが、一部は加工してアイテムとして使用が可能であるというのは死神ちゃんも知っていた。しかしながら、まさか大海原で荒波に揺られながらの中、運に恵まれし者だけが対決することを許される〈|漢《おとこ》のロマン〉がこんな場所で釣れるとは、さすがの死神ちゃんも想像はしてはいなかった。しかも、武器になるとは露ほども思わなかった。
 男はそんなロマンを追い求める釣り人であるのだが、彼の追い求めているロマンは、どうやらカジキ程度のものではないらしい。死神ちゃんがわくわくとした面持ちで話の続きをせっつくと、男はもったいぶるかのように声を潜めた。


「俺は、まだ誰も釣り上げたことのないものを釣ってみたいんだ。釣り人のロマンってやつだな。――で、俺が探し求めている獲物なんだが、実は魚というよりも〈竜〉なんだ」

「そんなすごいものがここで釣れるのか!?」


 驚いて思わず声を張り上げた死神ちゃんに、釣り人は口元に人差し指を立てて〈静かに〉のジェスチャーをとった。そしてキョロキョロと周りを見渡して誰もいないことを確認すると、彼はホッと胸を撫で下ろした。
 彼は何かの文献で〈竜を釣り上げしものが世界を救う〉という文言を目にしたそうで、それ以来ずっと竜を追い求めているのだという。世界を救うということには特に興味はないそうなのだが、そんな世界規模の釣りをやり遂げることができたら、釣り人として最高の人生となるのではないかと思ったらしい。


「そんなわけで、俺の獲物がここにいるかは分からねえが、こんな不思議なダンジョンの中なら何でもアリだろうと思って挑戦してみてるってわけさ」


 釣り人はニッと笑顔を浮かべて、焼きあがった魚を死神ちゃんに手渡した。死神ちゃんは受け取ると、早速それにかじりついた。皮は香ばしくパリッと焼きあがっており、身も脂がいい具合に乗っていた。先ほどきちんと朝ごはんを食べてきたにもかかわらず、死神ちゃんはもう一度お味噌汁とご飯のセットを出されてもぺろりといけそうな気がした。
 死神ちゃんが嬉しそうに魚を頬張っていると、骸骨が〈ずるい、よこせ〉と言わんばかりに死神ちゃんにのしかかってきた。釣り人はおかしそうに笑うと、アラや脂の多い場所を取り除いてから骸骨にも魚を分け与えた。

 食事が終わったら、男が帰り支度を始めるものと死神ちゃんは思っていた。しかし、男は再び釣りを再開させた。グレゴリーを早く帰らせてあげたい死神ちゃんは、どうしたら帰るなり死ぬなりしてくれるだろうかと考えた。すると、タイミング良くイカボクサーがぬったりと顔を出し、釣り人に襲いかかった。
 これで終わると思っていた死神ちゃんはホッと胸を撫で下ろしたのだが、釣り人は動じることなく竿を銛へと持ち替えた。死神ちゃんが驚いてギョッと目を剥くと、彼はイカに向かって思い切り走り出した。


「イカはッ! 目と目の間ッ!」


 勢い良くジャンプした釣り人はそう叫ぶと、銛をイカの眉間に突き刺した。するとイカはそのたった一発でぐにゃりと力無く倒れた。


「ええええええ、一発KO!?」

「すごいだろう? お嬢ちゃん、もしも料理するなら、覚えときな!」


 プロの格闘家ですら倒せなかった魔物を一発で仕留めた一般人を、死神ちゃんは呆然と見つめるしかなかった。このダンジョンに来る一般人は、どうしてこうも強者が揃っているのだろうかと心中で呟くと、死神ちゃんは小さくため息をついた。
 イカがアイテムや食材に姿を変えると、彼はそれを魔法のポーチと魚籠に嬉しそうに詰め込んだ。荷物もそろそろいっぱいだから帰るか、と呟くと、男は竿を片付けようと手に取った。その瞬間、竿が水辺にぐんと引き寄せられた。


「おっ、また大物か?」

「さあ、どうだろうな。本日最後の大仕事、いっちょ行ってみましょうかね!」


 彼は竿を手にしている方の腕を捲ってニヤリと笑うと、両手でしっかりと竿を握った。そしてまるで綱引きのような状態から、竿を一気に振り上げて獲物を水の中から引きずり出した。獲物は勢い良く宙を舞うと、針のついたままの口を大きくがパッと開けて彼めがけて落下してきた。釣り人は顔を青ざめさせると、盛大に悲鳴を上げた。


「うわあああああ! ピラニアシャークだあああああ――ッ!」


 悲鳴は、魚の中に飲み込まれて消えた。食事を終え、口の周りを灰だらけにして揚々と水の中へと戻っていく謎の魚を見つめながら、死神ちゃんは首をひねって「ピラニア? サメ? どっち?」とポツリと呟いた。



   **********



「お花、ひどいのね! 嘘つきなのね! マッコ、どこにもいないのね!」

「シフト表を見りゃあすぐに分かるだろ、そんなもん。簡単に騙されてるなよ」


 グレゴリーに小脇に抱えられたにゃんこは、死神ちゃんを睨みつけると必死にジタバタと暴れまわった。帰ろうと声をかけられてためらったにゃんこに、死神ちゃんは「マッコイがグルーミング用ブラシを用意して待ってくれている」と嘘をついた。すると、彼女はあっさりと死神ちゃんにくっついて帰ってきたのだった。


「職務放棄したのを怒られると分かってて帰るのを渋った割に、グルーミングには簡単に食いつくんだもんな。こんなに簡単な釣りはないな。まるで入れ食い」

「仕方ないのね! 美味しい魚と、神がかったグルーミングを無視できる猫なんかいないのね! ――ああああああああ!」


 死神ちゃんは今回、持ち前のコミュニケーション能力を冒険者ではなく、同僚に発揮したのだった。それにより連行されたにゃんこは、必死に「お仕置きだけは勘弁なのね!」と叫んだ。どうやら、今回は減給だけでは済まず、何やら懲罰が発生するらしい。
 しばらくして、グレゴリーが大きな袋を抱えて嬉しそうに戻ってきた。そして袋を待機室の中でもとりわけ目につくところに置くと、颯爽と帰っていった。


「嫌なのね! 出してなのね!」


 その大きな袋にはにゃんこが入れられており、彼女は顔だけを外に出し、首には〈釣り人の魚をせしめるために、仕事を放棄した食いしん坊は私です〉と書かれたプラカードをぶら下げていた。丸一日の見せしめの刑に処された彼女はひどく気分を損ねたが、美味しいものを食べ、死神ちゃんと一緒にお風呂に入り、マッコイにグルーミングされ、一晩ぐっすりと眠ったら、死神ちゃんに騙されたことはおろか、自分がやらかしたことまですっぱりと忘れてしまったという。




 ――――うまい話に釣られると、痛い目に遭うことがあるのDEATH。

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