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第211話 死神ちゃんと残念⑦

 死神ちゃんは五階の〈水辺区域〉の中でも、ひときわ閑散とした場所にやってきた。すると、川の中州でエルフの盗賊が膝を抱えているのを発見した。死神ちゃんがふよふよと近づいていくと、彼は心なしか嬉しそうな表情を浮かべて手を振ってきた。


「おう、あけおめ」

「おう、あけおめ。……ていうか、俺と遭遇して嬉しそうにするだなんて、お前にしては珍しいな。正月早々、何か変なものでも食って|中《あた》ったか?」


 死神ちゃんが盗賊を〈残念そうなものを見る目〉で見下ろすと、彼は不機嫌に顔を歪めて「その顔、やめろ」と唸るように言った。死神ちゃんは着地すると、肩を竦めて彼の隣に腰を下ろした。


「そうは言っても、お前が〈残念〉なのは本当のことだしなあ」

「新年早々さ、人の心を抉りに来るの、やめません?」

「そうは言っても、これもお仕事の一環なんでね」


 彼――残念は悪態をつきつつも、嬉しそうに頬を緩めて膝にあごを埋めた。どうやら良い初夢を見たらしく、彼はそれを喜々として語った。死神ちゃんは聞きながら相槌を適当に打つと、不憫そうに彼を見つめて首を傾げた。


「――で、そんな幸せな気持ちに満たされている中、どうしてこんな辺鄙な場所で寂しく膝を抱えているんだよ」

「だから、その憐れむような目、やめろよ! ――俺はね、今、設置宝箱が熟成するのを待っているんです」

「はあ……?」


 死神ちゃんが眉根を寄せると、残念は「えっ、知らないの!?」と言ってぎょっとした。何でも、設置宝箱は出現後、誰にも開けられることなく時間が経つと赤く発光するのだそうだ。その現象を冒険者の間では〈宝箱が熟成する〉と呼んでいるという。通常の設置宝箱よりも赤いもののほうが、良いものが入っていることが多いのが由来だそうだ。


「熟練のお宝ハンターの中には〈設置宝箱がよく出現するポイント〉を独自にまとめた地図を持って、そこだけを重点的にチェックして回る人もいるらしいぜ」

「ああ、言われてみれば、俺も赤い宝箱を何度か見かけたことがあるかも。――でも、この宝箱は赤くないじゃないか」


 死神ちゃんは残念がもたれかかっている宝箱に視線を投げると、心なしか顔をしかめた。残念はあっけらかんとした表情で頷くと「だから、赤くなるのを待ってるんだ」と言った。
 ギルドの長期休暇明けは、熟成赤宝箱が発見される率が高いらしい。おそらく、休暇中に宝箱が熟成するのだろう。だから、ハンター達は長期休暇が明けてダンジョンの入口の門が開かれると、スタートダッシュで地下に潜っていくのだそうだ。今回は彼も、微かな希望を胸にスタートダッシュしてみたそうで、運良く宝箱を見つけることができたのだとか。


「設置宝箱は一度開けられてしまうと、しばらくは同じ場所には出現しないらしいんだ。つまり、こいつは休み明けよりも前からここにあるはずなんだよ。だから、待っていれば熟成するかなって。――他の冒険者がやってきて取られそうになるとか、一日待ってみても赤くならなかったら、諦めて開ける予定だよ」

「ちょっと待て。ということは、今から夜まで、ずっとここに留まるってことか?」


 死神ちゃんが苦虫を噛み潰したような顔を浮かべると、残念は当然とばかりに「そうだよ」と答えた。そしてにっこりと笑うと、死神ちゃんの頭をポンポンと撫でた。


「長時間滞在になるから、死神罠が発動するだろうなとは思っていたけど。やって来た死神がお前で本当に良かったよ。他のヤツだとさ、話し相手にならないじゃん。骸骨が背後で威圧的な雰囲気発しながら浮いている状態でじっと独りで座ってるの、すげえつらいだろうし」

「だからさっき、お前、嬉しそうに挨拶してきたんだな……。勘弁してくれよ。俺、とっとと帰りたいよ」


 死神ちゃんが情けない声でそう言い肩を落とすと、残念は「そう言うなって」と言ってケラケラと笑った。
 昼過ぎになると、中洲と川岸を繋ぐように点在する石が川の増水で姿を消した。残念は|狼狽《うろた》えるどころか「これで他のやつらに宝箱を奪われずに済む」と胸を撫で下ろした。と同時に、死神ちゃんのお腹がグウと鳴った。残念はおかしそうに笑うと、「昼飯にしよう」と言ってポーチの中から食べ物を取り出した。
 彼の昼ご飯を半分分けてもらうと、死神ちゃんは嬉しそうにそれを頬張った。至福の笑みを浮かべた死神ちゃんが「これはマンマの店のだな」と呟くと、残念は驚嘆して目を見開いた。


「お前、マンマと顔見知りなのかよ。さすが、顔が広いな」


 まあな、と言って死神ちゃんは得意気に胸を張った。それから二人は〈共通の知り合い〉の話で盛り上がった。死神ちゃんはふと激おこさんのことを思い出すと、彼女が過去に受けた仕打ちについて話した。すると彼は苦い顔を浮かべて「加害者、同一人物だったりして」と呟いた。
 その後も、彼が時おり行動をともにする|竜人族《ドラゴニュート》さんとのエピソードなど、楽しい話を死神ちゃんはいろいろと聞いた。そうしているうちに、死神ちゃんはうつらうつらと船を漕ぎ始めた。昼寝をしていいかと尋ねる死神ちゃんに、残念は驚いて眉根を寄せた。


「お前、昼寝とか、見たまんまの幼女かよ」

「うるさいな。ちょっともう、限界。無事に箱を開けられたら起こしてくれ」

「は? 何その、ちょっと素敵なベッド! ご丁寧に、可愛らしい寝間着に変わってるし! ますます幼女かよ!」


 死神ちゃんは騒ぎ立てる彼を無視して、もぞもぞとベッドの中に潜り込んだ。すると、彼は唐突に歌を歌いだした。それは心地の良い子守唄で、死神ちゃんはあっという間に夢の世界へと旅立っていった。
 目を覚ました死神ちゃんは、開口一番「まだ箱開いていないのかよ」と不服げに漏らした。あくびをしながらベッドから降りると、死神ちゃんは満足気に伸びをした。


「ああ、よく寝た。お前、吟遊詩人にでも転職したら? 盗賊よりよっぽど向いていると思うぞ」

「そりゃあ、まあ。エルフですからね。魔法使いとか吟遊詩人のほうが、向いているでしょうね。――でも俺は、ロマンを追い求めたいんです」

「で、そのロマンは一体いつになったら赤くなるんだ」

「それは、俺も聞きたい……」


 彼がしょんぼりと肩を落とすと、死神ちゃんは呆れ眼で鼻を鳴らした。
 しばらくして、死神ちゃんは時間が気になり始めた。死神ちゃんの退勤時刻が迫ってきていたのだ。マッコイ曰く〈各種団体からクレームがあっても面倒なので、世界が云々関係なく順守する〉ということで、死神ちゃんは二十時を越えて働くことができない。つまり、逆を言えば、二十時までは残業をすることが可能である。しかしそれを過ぎたら、果たしてどうなるのだろうか。中番の同僚がやって来て、持ち場を交代でもしてくれるのだろうか。
 死神ちゃんは初めての事態に、そわそわと落ち着かなかった。しかし、そんなことに悩まされるのもつかの間のことだった。――死神ちゃんは、別の問題を抱えることとなったのである。

 十八時を過ぎたころ、死神ちゃんは空腹にさいなまれるようになった。それを皮切りに、喜怒哀楽が激しく、すぐに疲れ、すぐに眠たくなり、すぐに空腹になるという〈幼女の身体であるがゆえの欠点〉が次々と死神ちゃんに襲いかかった。


「ええええ、お前、さっきお昼寝してたじゃん! なんでまた、うとうとしてるんだよ!」

「うううううう……。だって、お腹減ったし、そのせいで、なんか、疲れた……」

「幼女かよ! 頼むから、死神らしく振る舞おうぜ。な? ――な!? ほら、泣くなよ! 落ち着け! 落ち着け!?」


 グズグズと鼻を鳴らしながら目にいっぱい涙を溜め、今にも泣き喚きそうな死神ちゃんを、残念は必死にあやした。しかし残念なことに効果はなく、死神ちゃんはぷるぷると震え続けた。子守唄を再度歌ってみても、空腹のほうが勝っているのか寝つけないという。彼は思い出したかのようにポーチに手を突っ込むと、慌てて何かを取り出した。


「あった! まだおやつが残ってた! ――ほら、これやるから、泣くなよ。な? 頼むから!」

「……こんなんじゃあ、ちっとも足りない」

「文句言うなら返せよ」

「……やだ。ありがとう」


 すっかり幼女モードの死神ちゃんに、残念は呆れ返って深く息をついた。


「美味いか?」

「うん……」

「そっか、良かったな」


 素直に頷く死神ちゃんの頭を、残念はポンポンと撫でた。それと同時に、眩しいほどの赤い閃光が視界を遮った。思わず、死神ちゃんと残念は目を細めた。やがて、眩い光は〈ほのかな発光〉くらいに落ち着いた。死神ちゃんと残念は、声を揃えて「おお」と呻いた。


「宝箱、赤くなったな! ほら、早く開けてみろよ! 何が入っているのかなあ!?」

「急かすなよ! こんなに長いこと待ったんだ、絶対失敗はしたくないし!」


 興奮して急き立ててくる死神ちゃんを窘めると、残念は解錠に必要な器具を一揃い用意して、慎重に箱開けに挑んだ。無事に罠を解除して鍵を外すと、彼は逸る気持ちを抑えて生唾を飲み込んだ。そしてゆっくりと箱を開け、死神ちゃんと二人でその中を覗き込んだ。――そして、二人して微妙な表情を浮かべた。
 中には石のかけらがひとつだけ、コロンと粗雑に入れられていた。残念はそれを拾い上げると、なんとも言えない微妙な面持ちで眺めた。死神ちゃんは彼の顔を覗き込むと、表情もなくポツリと言った。


「なあ、それ、ハズレなんじゃないのか?」

「いや、一応は当たり……」


 ダンジョンから産出する魔石は属性強化石だけではなく、体力や知力などを補助するというものもある。冒険者に特に人気があるのは、知力石や幸運石だ。これらは水晶のように高熱で溶かして一塊に再成形することが可能で、冒険者達は〈かけら〉の状態で手に入れた石を溜め置き、一定個数溜まったらダンジョン一階にある宝石加工の専門店に持ち込むのだという。


「――で、それは幸運石なわけ? だったら、お前が一番欲しそうなものだよな」

「いや、これは敏捷石……。正直、効果のほどは不明ということで、大抵の冒険者が手に入れたらそのまま売り飛ばす代物だよ」

「それってやっぱり、ハズレなんじゃあないか。――こんなに待って、結果がこれって、お前、相当残念だな」

「いや、ちょっと待って!? これ、よくあることらしいから! だから別に、俺が特別残念なわけじゃあないんだ!」

「……それってさ、宝箱は熟成してるんじゃなくて、腐敗してるんじゃあないのか?」

「いやでも、人によってはびっくりするほどのお宝を入手したって言うんだよ!?」

「まあ、新春福袋の全てが全て、当たりが入っているわけじゃあ無いっていうのと同じだと思えば、よくあることだよな」


 残念は声をひっくり返して、必死に反論をした。しかし、彼が必死になれば必死になるほど悲壮感は募っていった。ほんの少し沈黙があったあと、死神ちゃんはポツリと「残念だな」と呟いた。残念はブワッと涙を浮かべると「帰る!」と叫んで、いつの間にか顔を覗かせていた石に向かってジャンプした。しかし、彼は足を滑らせて石からずり落ち、そのまま川に流されていった。
 残念の何とも残念な退場を見届けると、死神ちゃんはスウとその場から姿を消したのだった。



   **********



 死神ちゃんは待機室に姿を現すなりペタリと座り込むと、「年明け初日から、大変な目に遭った」と呟いた。ケイティーとマッコイが近づいてくるのに気がつくと、死神ちゃんは二人をぼんやりと見上げた。


「あれ? マッコイ、お前、早番だったろ。どうしてここにいるんだよ?」

「|薫《かおる》ちゃん、今日はおやつを持っていってなかったなと思って、お腹減って動けなくなるだろうから、迎えに来たのよ。もうお夕飯の準備はできているから、帰ったらすぐさま食べられるわよ」

「ほら、|小花《おはな》。私のおやつ、分けてやるよ。寮に着くまでの足しにしな」


 死神ちゃんはケイティーからマフィンをひとつ受け取ると、弱々しくそれにかじりついた。そしてじわりと涙を浮かべると、小さな声で「おいひい……」と呟いた。
 マッコイは死神ちゃんが食べ物を食べやすいようにと、抱きつき抱っこではなくお姫様抱っこのような状態で死神ちゃんを抱えた。目を細めてちまちまとマフィンを口に運ぶ、完全幼女モードの死神ちゃんにキュンと来たのか、同僚たちはこぞって自分のおやつを死神ちゃんの膝の上に献上した。
 マッコイはそんな同僚たちの様子に苦笑すると、やんわりと「ご飯前にこの量を食べたら、ご飯が入らなくなるわ」と言って窘めた。すると、同僚の一人が死神ちゃんの頭を撫でながら言った。


「薫ちゃんなら、このくらい、ご飯前でもペロリだよな?」

「うん、俺、大丈夫。ありがとう、みんな」


 へにゃりと笑った幼女に、その場にいた全員がキュンと心臓を射抜かれた。ハッと我に返ったケイティーは、もうすぐさま退勤しないとまずい時間だと言って|保護者《マッコイ》を急き立てた。もくもくとお菓子を食べ続ける死神ちゃんを抱え、慌ててパタパタと帰っていくマッコイを、ケイティー達は笑顔で見送ったのだった。




 ――――福袋の中身が残念でも。おみくじの結果が残念でも。初夢が良かったのであれば、いいスタートがきれているはず。めげずに前向きに、新しい一年をスタートさせるとよいのDEATH。

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