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「そういえばハピアも、この『同じ赤き目を持つ者として』とアポピス類が君のことを話していたと言っていたよ」父は自分の書いたメモを見下ろしながら言った。「君に、ぜひとも仲間になってもらいたいと言っていた、と」

「は」ユエホワはみじかくため息をついた。「勝手なことを」

「国をつくって、どうするつもりかしら」母は父とユエホワにきいた。「まさか、鬼魔界に戦をしかけるなんてことしないわよね?」

「うーん、さすがにそこまではしないと思うけど」父は腕組みをして天井を見た。「いや、でも……いちがいにはいえないかなあ。なにしろアポピス類は、妖精たちを使って姿を消すという、なかなか手ごわい技を手にいれたからねえ」

「あれって、妖精たちを使っているの?」母が問いかける。

「うん」父がうなずく。「これもハピアから聞いたんだけど、妖精たちの光をあやつる力を利用しているらしい」

「まあ」母は目をまん丸くした。

「その、姿を消す力については」ユエホワは言った。「ピトゥイで対抗できるんじゃないかって思う」

「ピトゥイで?」母と私は同時に、びっくりした声でききかえした。

「なるほど」父は大きくうなずいた。「洗濯魔法か」

「洗濯魔法?」私は父にきいた。いわれてみれば、ピトゥイという魔法――それは、祖母が父の泥んこだらけの服を(そして私の服も)、さっぱりときれいにした魔法だ……よく覚えてるなあ、ユエホワ。一回見ただけなのに。

「そう」緑髪もうなずいた。「アポピス類の体にくっついてる光使いの妖精たちを、ピトゥイで取り去るんだ」

「でも」母は眉をひそめる。「それは、妖精たちを傷つけたり、命の危険にさらしたりしないの?」

「わからない」ユエホワは首を振った。「けど妖精たちがくっついたままでアポピス類を攻撃したとしても、妖精にも同じように危害を加えることにはなる」

「うん」父はユエホワの話にまたうなずく。「妖精に向かってエアリイを投げるよりは、危害が少ないと思うよ」

 ばし、と母がいきなり父の腕をたたいたので、私とユエホワは目をまるくした。

「ははは、あそうだ、ぼくユエホワの寝床を用意してる途中だった」父は苦笑しながら席を立った。「ちょっとサイズは小さめだけれど、組み立て式の簡易ベッドがあってね、急なお客さん用の。あれが役に立ってうれしいよ。じゃあぼくは地下に行くよ」そう言いながら地下への階段を下りていった。

 パタン、と書庫のドアのしまる音がするのと同時に、

「ユエホワ」と母が呼んだ。

「え」ユエホワは、名前をよばれたことにおどろいたような顔をして母を見た。

 私も、おどろいた。同時に、いっきにキンチョウした。なに、なにがはじまるの?

「私はあなたに、謝らなければならないわ」母は静かに話しはじめた。「あなたのことを、よく知りもしないで――知ろうともしないで、ただあなたのことを嫌って、避けていた。祭司さまや私の母、そしてマーシュがあなたのことをとても高く評価するその理由がわからないと、思い込んでいた。だけど今日、それがわかった気がするわ。あなたはとても賢くて、礼儀というものを知っていて、人間がどんな振る舞いや言葉を好んでいるかをよく学んでいる。並大抵の努力ではかなわなかったことだと思うわ」

 ユエホワは言葉もなく、母をじっと見つめていた。

 私ももちろんなにもいうことはできず、見守るだけだったけれど――母はほんとうに、ユエホワの味方というのか、友だちというのか、そんな風に心の持ちかたを変えるつもりなんだろうか、と考えていた。

「だけどひとつだけ、教えてちょうだい」母はつづけてそう言い、とても真剣な目でユエホワをまっすぐ見た。「去年――ポピーがベベロナの家ではじめてあなたに出くわしたとき、どうしてこの子を絞め殺そうとしたの」

「――」ユエホワは、少しの間氷漬けになったように動かなかった。「――ガーベラ……さんの、孫だって聞いたから」糸のように細っちい声で、答える。

「――私の母の事を、知っていたのね」

「ああ」鬼魔はまぶたを伏せうなずいた。「このまま逃がしたら、いつか鬼魔界を脅かす存在になるかも知れないと思って」

「ええ、そうね」母は静かな声で言い、こくりとうなずいた。「それはあなたの言う通りよ。ポピーはいつか、母や私をもしのぐ、最強のキャビッチ使いになる。そして」私を見て、またユエホワに目を戻す。「あなたたち鬼魔を、一匹残らず殲滅するわ」

「――」ユエホワはまた少しの間、氷漬けのように固まった。

 母もユエホワをまっすぐに見つめたまま、真剣な顔でだまっていた。

 私はなにひとつ言葉をはさむことができずにいた。

「――助けてくれたことや、こうしてかくまってくれることには、感謝してる」やがてユエホワが、少しかすれ気味の声で言った。「けど俺も鬼魔だ。鬼魔界の存在は、全力で守る」

 母はだまったまま、ユエホワを見つめつづけていた。

「これだけは、ゆずれねえ」ユエホワもあごを引き、真剣な顔で母を見つめ返した。

「ポピーは、強いわよ」母が言う。

「うん」ユエホワはうなずく。「知ってる――さっきも、アポピス類がここに来たのを追い払ったっていうし」

「――え?」母の顔が、ショウゲキの表情になった。「なんですって?」私を見る。「ポピー?」

「あ、うん」私はなぜかそわそわと身じろぎした。「なんでか知らないけど急にここに来て、ユエホワはどこだって言ってて、それであの」肩をすくめる。「ママの、キャビッチで」

「でも」母は首をふりながら、椅子から立ち上がった。「そいつら、姿が見えないんでしょ? どうやって――まさかピトゥイとか、使えないわよね」

「あ、えとエアリイで」私はどうしたらいいかわからないまま、母が小走りに近づいて来てぎゅっと抱きしめられるのに身をまかせた。「位置つきとめて、そのあとリューイとエアリイの同時がけで」

「ええっ」母はがばっと私の肩をつかんで引きはなした。「同時がけ? いつの間にそんな技をおぼえたの? おばあちゃんが教えてくれたの?」

「あ、いや、適当に」私はがくがくと揺さぶられるため深く考えることもできずありのままに話した。

「適当? 適当に同時がけができたっていうの? なんなのそれ?」母はさけぶように言った。

「でも当たらなかった」私は頭がくらくらしながら最後にそう伝えた。

「なんてこと――ああ、ポピー、よかった、無事で!」母はもういちど、ありったけの力をこめて私を抱きしめた。

 私は苦しさに顔をしかめながら、ユエホワが

「じゃあ俺、親父さん手伝ってきまーす」

といってさっさと地下へ下りていくのを見送った。

 ――あんたが、よけいなこと教えるから!

 心の中で、そう毒づきながら。



           ◇◆◇



 翌朝、起きて下におりると、やっぱりユエホワがいた。

 そしてやっぱり私たち家族といっしょにユエホワも朝ごはんを食べ、その後私が家を出るときには父と母のうしろの方で、ユエホワが手をふりながら見送っていた。

 ――今日学校が終わって、家に帰ったら、やっぱりユエホワがいるわけなのかな。

 私は箒で飛びながら、そんなことを思った。

 ――え、ずっとはいないよね?

 飛びながら、首をふる。

 ――いつまでいるのかな……アポピス類をやっつけるまで?

 こんどは飛びながら上を見上げて考える。

 ――やっつけるのは、つまり、アポピス類がつくったっていう国を、メツボウさせるってことなのかな。

 こんどは飛びながら、肩をすくめる。

 ――いや、そこまでするっていったら、かなり大変なことになるよね。

 こんどは首をかしげる。

 ――それこそママがいってた、戦ってやつになっちゃうじゃん。どうするの?

 こんどは飛びながら、はあー、とため息をつく。

「ポピー、なにかお芝居のお稽古してるの?」

 突然うしろからヨンベの声が聞こえ、私は箒ごと飛び上がった。

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