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三十五話

「———もし、俺が。魔法の才能に恵まれていたら……今頃どうなってたんだろうね」


 青空の下。俺は、そんな事を呟いていた。
 感傷に浸りながら、一字一句吟味し、言っても仕方のない『イフ』を俺は語る。


 歩く獣道。
 墓地へ続く道をひたすらに、俺とアウレールは歩いていた。側には無言を貫く『ウォルフ』が一匹。
 ベルトリアの街を出た時と何も変わらない並びだ。
 数十分後ほど前に、俺たちは奴隷館を後にしていた。勿論、囚われていた『エルフ』は解放している。けれど、側に解放した彼らの姿はどこにも無かった。
 否、俺たちがソレを望んだのだ。


 アウレールが『エルフ』嫌いで、彼らは、俺のような『人間』が嫌い。お互いに相容れない者同士だからこそ、行動を共にするという選択肢は存在せず、既に別れを告げていた。


「もし、ナハトが魔法を扱えていたなら……まず間違いなく、ナハトと私は出会っていなかっただろうな」


 寂寥感に似た何かが、言葉に篭っていた。


「だが、お前の母親が死ぬ事は無かったかもしれない」


 母親の死について、アウレールには話してある。
 その原因も含め、俺の知る限りを。
 だからだろう。そんな返答が、返ってきた。


「アウレールと離れ離れ、かあ」


 離れ離れという事は、この心地の良い居場所はないという事になる。知らずに生を終える事になる。
 それは嫌だった。どうしようもない迄に


「それは、嫌だな」


 嫌だった。
 母親の墓参りという事あって、少しらしくない考えが己の中で先行し、蠢いている。


「例えもし、生をやり直せるとして。魔法の有無すらも、決められるとして」


 もしかすると、あり得たかもしれない未来の一つ。
 ツェネグィアの人間として、安泰に暮らせる未来があり、今とは異なった当たり前の日常が存在した未来が、あったのかもしれない。


「だとしても」


 血の繋がった家族に囲まれ、真っ当に育てたかもしれない未来があったとして。望めばそれを掴めるとして。
 ……たとえ、それが幸せだとして。


「俺は、この道を選ぶんだろうなあ」


 歪んだ道と言われようとも、きっと俺は、『イマ』を選ぶ。


「生まれ変わっても、多分俺はこの道を選ぶよ。親族連中に命を狙われて、蔑まれて、腕を斬り落とされて。そんな未来が待ってると知っていても、俺は『イマ』を選ぶと思う」


 手を、伸ばす。
 右と、左の両方の手をゆっくりと。


 そして親指をアウレールの頰にあて、グイッと上に軽く押し上げた。


「で。俺はきっと、生まれ変わってもまたアウレールと一緒に笑ってると思う」


 アウレールの普段はどちらかというと無愛想で、あまり感情を表に出さない。
 でも、そんな彼女も時折、感情を表に出してくれる。
 笑ったり、怒ったり。感情を吐露し合う時間が俺にとっては何ものにも代え難くて。


「何故なら、このひと時を知ってしまったから」


 そう言いながら、俺は手を離す。
 少しだけアウレールはぽかん、と面食らったような表情を見せていたが、


「コレを手放すのは、幾ら何でも出来ないや」


 この幸せが訪れるならば、過去など誤差程度でしかなく。待ち受ける未来の為に俺は歪んだ道を進むのだろう。そう、言い切れた。


「そう、か」


 アウレールが、小さく笑う。
 お前らしい答えだ。彼女が向ける笑みが、まるで俺に対してそう言っているように感じた。


「うん。だから———」


 発言の途中。けれど、俺はそこで言葉を止めた。
 いつの間にやら墓地のすぐ目の前にまで来ていた事に対して、ではない。
 眼前に広がる無数の墓標。その一つ。
 記憶に深く刻まれていた母親の墓場。その隣に見慣れない墓標が一つ加わっている事に目をひかれ、そして、その墓標に参拝する男にまた、視線を奪われた。



 口を閉じ、ゆっくりと歩み寄る。
 参拝する男は何やらひとり事をもらしながら、墓標へ一升瓶に入った酒を垂らしており、俺たちの足音に気づく気配は直前まで見受けられなかった。



「あんたも、墓参りに?」


 母親の墓のすぐ隣。
 そこで参拝をしているものだから、俺はそう声を掛けていた。ベルトリアで購入した黒のパーカーコートのフードは外しており、素顔があらわになった状態。


「嗚呼……そうなんだ。昔、随分と世話になったヤツでよ。せめて、一度くらい顔を出しとかねえとって———」


 酒を注ぎ終わったのか。
 空になった一升瓶を側に置いてから、男は肩越しに振り返り、そして、言葉が不自然に止まった。


 けど、それも一瞬。
 まるで幽霊でも見たかのようにひどく驚いていた男であったが、強張った表情を戻し、小さく笑って語り始める。


「思って、な」
「へえ」


 俺も、つられるように一緒になって笑った。
 その理由は、彼の反応が面白かったから、ではない。
 男の事を、俺自身が知っていたから。知己同士であったから。でも、お互いにそれを明かさず、話を続ける。
 その方がお互いに都合が良いと理解しているから。


「ソイツ、オレに飯を奢れと言っててよ。だから、こうして持ってきてやったんだ」


 墓の側には、先程中身を垂らし、空となった一升瓶が一つと、封を開けていない同様の酒がもう一つ。


「交わした約束は、守らなきゃいけねえからな」


 恩を受けた相手との約束は、尚の事。
 そう言って男は言葉を締めくくる。


「さて、と」


 んーっ! と、腰を抑え、伸びをするや否や男は墓標に背を向けた。


「オレは用が済んだんでな。ここらでお先にお暇させて貰うさ」


 そう言って、男は踵を返し、歩き始める。
 中身の入った一升瓶は、放置されたままだった。


「これ、忘れてるよ」


 遠ざかる男に向けて、少し声を張り上げて言い放つ。
 すると、彼は足を止め、「あー……」と、間延びした声をもらした。


「それ、坊主にやる」
「なんで? これはあんたが飲む分でしょ?」


 一本は墓標に注ぐ為に。
 そしてもう一本は己自身が飲む為に持ってきたのではないのか。そうなのではと思っていたからこそ俺は疑問を声に出していた。


「なんだかな、飲む気になれねえんだ」


 乱雑にくしゃりと髪を軽く掻き毟りながら困り顔で男が返答をする。


「だから坊主にやるよ。



     ———オレの、奢りだ(、、、)


 それを聞いて、俺は笑みを深めた。
 程なくして、そっかと口にして、置かれた酒を受け取る事にした。


「なあ、坊主」


 去り際。
 身体の節々に、まるで奴隷のような痛々しい傷跡が刻まれた男は足を止めたまま、俺に向けて問い掛けた。


「今、楽しいか?」


 心配をする言葉。
 だからこそ、俺は声を弾ませる。


「楽しいよ、凄く。大事なひとも出来たしね」
「そう、か。なら良い」


 それだけ告げて、彼は再び歩き始めた。
 俺は、そんな彼に聞こえるように、一層声を張り上げ、辺りに言葉を響かせる。


「———だから、一等大事な『イマ』この時間が、タカラモノなんだ」
「はっ、そうかよ……そう、かよ」


 少し上ずった声で、次第に細々となりながらも俺の言葉に対する返答が聞こえる。
 

「……くたばってねえなら、くたばってねえで、連絡寄越せっての」


 風にさらわれてしまい、俺の耳にその言葉は届かない。けれど、何を言っているのか、何となくだが分かってしまった。事情を知るアウレールも、心なし笑っている。


 ——まぁ、でも。


「元気そうでなによりだよ。坊主(ナハト)


 聞こえた言葉は、とても心地の良いものだった。

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