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三十四話

 血潮が沸き立ち、怒りに相貌は歪む。
 俺は、こんなに激情的な人間だっただろうか。そんなふとした疑問が脳裏を過るも、瑣末でしかないと即座に切って捨てる。
 腕を砕かれ、苦悶に満ちた表情を浮かべながら苦痛に喘ぐ奴隷商の声は頭がシャットダウンしており何も聞こえない。そこで漸く理解する。
 嗚呼、やはり俺という人間は、どうしようも無いまでに親族連中(コイツら)が嫌いであったのだ、と。


「は、ぁ———」


 息を吐く。
 辺りに満ちる冷気によって、白く視覚化された息の色が眼前に立ち込めた。
 己自身のコンディションに問題はない。
 後は行動に移すだけ。明確な殺意を込めて、リガル・シューストンを射抜く。


「ひ……っ」


 ひどく及び腰な声が聞こえた。
 けれど関係ない。俺にシューストン(コイツら)の事情なぞ、関係がなかった。
 だから右の手を、掲げる。


 奴隷館。その内装を上から覆い尽くす氷が、細長の菱形を模って行く。上、横、下。
 視界を覆い尽くす程にそれは生成され、リガル・シューストンの表情には怯えの色が帯びる。そしてそれは周囲の人間へと伝染し、その護衛や奴隷商まで行き渡っていた。


「魔力切れって言葉をしらねぇのかよてめえはよ……!!」


 期待していたのか。
 気落ちした声音で血を吐くように言葉をこぼす『切り裂きジャック』。
 もうどうしようもないと分かっているからか、彼の場合、恐れよりも諦念の感情の方が優っているようでもあった。


 準備は整った。
 後は、意思のこもった『雹葬』に命令を下すだけ。
 鋭利に尖ったソレを、殺到させるだけ。


 過去と、現在。
 蓄積した積年の恨みが滂沱の如く溢れている。
 瞳はまるで見通せぬ闇の(うつほ)のように昏く、そして底しれない何かを湛えている。
 だから、なのだろう。
 彼らの怯えが治る様子は見受けられない。
 滲み出る俺の感情に、満ちる(敵意)に彼らは怯え続けていた。


「これで———」


 眼前を支配するは氷の世界———氷原の地。
 世界の主は俺自身であり、ルールも全て俺が決める。そこに抗命は許されていない。
 拒めば凍り付き、望めば寒風が吹き込む。
 己が身を守る為の唯一無二の業であり、己自身の中で唯一信を寄せられるモノ。


 俺の『氷』は、この優しくない世界に蔓延る『理不尽』ですらも、凍りつかせられる。
 それを知っているからこそ。それを俺自身が望んでいるからこそ、続く言葉を口に——。


「ナハト」


 今まさに、思い描いていた言葉を口にしようとしていた刹那。名を呼ばれた。
 この状況下の中で、唯一俺が耳を傾ける声。


 だから、肩越しに俺は振り向く。
 少し、悲しげな表情を浮かべるアウレールがそこにはいた。続く言葉を待つ。けれど、一向にその言葉はやっては来なかった。


「……ナハト」


 もう一度、名を呼ばれる。
 伊達に付き合いが長くはないからか、それだけで彼女が言わんとする事を理解出来てしまった。
 アウレールは、俺の心情を見透かしているのだ。
 心配、しているのだ。


「私は、ナハトのする事を支持するし、起こそうとしている行為に苦言を呈すつもりは毛頭ない。その気持ちは、誰よりも私自身が分かっているから。だから、本心から本当にそう思っているのなら、私は止めはしない」
「アウレー、ル?」
 

 何を言っているのか、分からなかった。


「殺しは、本当にどうしようもなくなった時だけ。そう決めていたお前の心情を私が知らないとでも思ったか」


 そう言われて漸く、思考を支配していた激情がすぅっと引いていく錯覚に見舞われる。
 掲げていた手はどうしてか、小刻みに震えていた。


「ナハトは、優し過ぎる」


 それが私がお前に付いてきた理由の一つでもあると、アウレールはそう言って言葉を締めくくる。


「俺が、優しい?」
「ああ、そうだ」


 考えた事もなかった言葉に狼狽する俺とは対照的に、彼女はひどく落ち着いた様子で返答をした。


「自覚がないようだが、お前は底抜けに優しい。私が断じよう。ナハトは優し過ぎる」


 優しいから、俺では殺せない。
 そういう事なのだろうか。
 違う。それは違う。シューストン(コイツら)は障害だ。感性も、何もかもが破綻した屑だ。だから、呵責を抱く必要もないし、俺は殺せる。何より、恨みがある。真っ当な理由がある。だから、だから———


「———俺、は」
「それだ。それなんだ。だから、優し過ぎるんだお前は……!」
「どういう、事?」


 意味が、分からなかった。
 優し過ぎるから、人を殺せるという事……?
 それなら、優しいとはきっとならない。ならば彼女が言いたい事というのは一体、何なんだろうか。
 疑念が思考の悉くを埋め尽くし、動揺が身体に伝染して行く。


「魔物を殺す事と、己の都合で人を殺す事。その二つは全くの別物だ。……優し過ぎるから、殺す事に躊躇いを抱く。優し過ぎるから、それでも殺そうと身体を動かすことが出来る」


 身体を束ねるのは、守りたいという意思。
 突き動かすのもまた、守りたいという渇望。


「でも、俺は」


 もう一人、殺している。
 そう言おうとした時だった。


「なら、どうして刺し殺さなかった?」
「……っ」


 俺は、凍らせる事であの護衛の心の臓の機能を停止させた。それはまぎれもない事実。だが、それだけなのだ。
 凍らせただけで、殺しきれてはいないのだ。
 あれは、仮死状態。
 その理由は明白だ。俺が、口では威勢の良い事を言っておきながらも、最後まで殺す事に躊躇っていたから。


「だから、無理をしなくてもいい」
「でも、アイツらは……!!」


 アウレールを奴隷にしようとしたんだぞ……!! そう言おうとする俺だったが、彼女自身がそれを遮った。


「あんな屑共を殺したが為に、ナハトが人を殺した事に対して悔恨に苛まれてしまう未来の方が、私はどうしようもなく怖い」


 まるで、俺が間違いなく苛まれてしまうと。
 彼女の言葉はそう、確信しているようでもあった。


「だが、それでも構わないというなら止めはしない。そこの屑を殺したいと思うお前の気持ちは、私が誰よりも分かっているから」


 貴族という存在は、アウレールも憎いだろう。
 憎悪の対象であり、彼女だって殺したいと思っているはずだ。なのに、アウレールは振り上げた手を降ろせという。他でもない俺の為に。


 流し目で、リガル・シューストンを確認する。
 下半身は凍りつき、容赦ない殺気にあてられていたからか、目から無様に涙をもらしながら、小さく震えていた。
 こんなヤツに俺は良いようにされていたのかと、やり場のない怒りがこみ上げると同時、どうしてか、無様を晒すリガル・シューストンを殺す事がひどく馬鹿馬鹿しいものに思えてしまった。


 自身の殺意が、沈静化していくのが手に取るように分かった。


「は、ぁ」


 深い、ため息を吐く。
 次いで、


「ほんと、叶わないなあ」


 観念したように、苦笑いに酷似した微笑を俺は浮かべ、手を降ろした。
 狙いを定め、今か今かとやってくるその瞬間を待っていた鋭利な『雹葬』は、手を降ろすと同時に綻び始め、力なく崩れて落下して行く。


「そう、だった。俺が『鬼』になるのは、どうしようもなくなった時だけ。復讐をする為に帰ってきたわけじゃないのにね……それに、貴族を殺すのは拙いや」


 腐っても貴族である。
 殺してしまえば、こちらにどんな理由があれど、引くに引けなくなってしまう。平穏を望む俺としては、それは拙かった。


 だから、俺はリガル・シューストンに向けて振るう筈だった手を代わりにと、奴隷館の扉に向けて振るう。
 パキ、リと凍り付く音が耳朶を叩いた。


「……今回だけは、見なかった事にするよ。だけど俺たちにも用事がある。あんたらには当分、ここで大人しくして貰う。だから、扉を凍らせた」


 相応の魔力を込めて凍らせた扉は、ちょっとやそっとでは壊れないだろう。
 たとえ外部の人間に気づかれようとも、俺たちの用事はリガル・シューストン達を助け終えるまでにはきっと終わっている。


「あんたも、ここに置いていくよ」


 その言葉は、『切り裂きジャック』に向けてのもの。


「ひ、ひひっ、そうかよ。殺されねえってんなら俺サマとしてはなんでも良い。まあ……そこの『エルフ』にゃ、感謝しねえとなあ?」
「お前に感謝される謂れはない。口を閉じろ。虫唾が走る」
「へぇへぇ。なら黙らせて貰うぜ。ったく、てめえら二人ともおっかねえったらありゃしねえ」


 それだけ言って、彼は言葉通り口を閉じて視線を逸らした。
 足を、進める。
 親しみ深い場所へ。奴隷が囚われる奴隷屋敷と名付けられた掃き溜めのような場所へと。暗い牢へ、と。


「奴隷は、『エルフ』だけ貰ってくよ」


 去り際。
 俺は奴隷商に向けてそう言い放った。
 けれど、返答はない。異議を唱えたところで、それは意味を成さないと分かっているからだろう。


「それと、」


 緊張の糸が切れたのか、貪るように肩を上下させ、呼吸を繰り返すリガル・シューストンとその護衛に向けて


「あんた達とは、もう二度と会いたくないもんだ」


 恐らく、次こそは迷わず殺してしまうだろうから。
 それだけを告げて、俺はその場を後にした。

 

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