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三十一話

 ベルトリアの街にて購入した黒のパーカーコートを目深に被った二人組こと俺と、アウレール。
 加えて、追従するように歩く『ウォルフ』とその背に乗せられて運ばれている氷漬けの男が一人。


「……さっきからてめえらヤケに顔を隠したがってんなぁ? なんかワケありか?」


 ツェネグィア伯爵領。
 その街に着くや否や、ぐっとフードを引っ張り、目元あたりまで隠した俺とアウレールに対しての男からの言葉。


「ただでさえ俺サマみてえな氷漬けのヤツがいるから目立つってのに、そんなナリしてちゃぁ注目してくれって言ってるようなもんだぜ?」


 けらけらと、面白おかしそうに男は嗤っていた。


「あんまり顔をツェネグィア(ここ)では見せたくないんだよ」


 淡白に俺はそう答える。
 すると男は、「へえ」と興味深いと言わんばかりの少し弾んだ声音で相槌を打った。


「……ま、そのワケを俺が今喋らなくとも、先のあんたの話が本当ならばきっと、顔を隠したい理由は遠からず分かるよ」
「あん?」


 先の話が指し示す話題について覚えがなかったのか。
 不思議そうに首をかしげる男であったが、親切にそれを教える義理はない。


「まあいい。それより、てめえら奴隷館の場所はわかるのかよ?」
「……生憎とここは故郷でね」
「ひゃはは、そうかい。そういう事かよ。なんとなくだが、事情がのみ込めて来たぜぇ」


 男は愉悦に悶え、口角を吊り上げる。


「よくよく見りゃあ、てめえの所作にはどこか品がある。間違っても『冒険者』らしくはねえわな」


 思考は加速し、男の推理は広く展開されて行く。
 喜色ばんだ表情から発せられる声は、止まる事を知らない。


「顔を見せたくねえ事情持ちの二人組。しかも片割れは『エルフ』ときた」


 ますますもってきなくせえ、と、男の目が口ほどにものを言う。一部からは『引きこもり』の種族とまで言われている『エルフ』が人間と二人で歩いている。
 それは、本来ならば異様とも言える光景なのだ。


「身体に染み付いちまってる貴族めいた挙措。あからさまに隠したがる顔。ここまでくりゃガキでも分かる。それに——」


 男の視線が、動く。
 それは這うように、まずはじめに俺の首あたりに向き、そして手。最後に、足。


「少ししか見えなかったが、てめえの身体、傷だらけじゃねえか」


 そこではじめて、何となしに聞き流していた俺の胸中に、僅かな動揺が生じた。
 身体中に刻まれた傷痕。それは、マクダレーネとの鍛錬の際についたものではなく、忌むべき記憶と結びつく産物。俺の服装は常に長袖なのだが、その理由は身体の傷を隠したいが為であった。


 見目が悪いからではない。
 同情されたくないからでもない。
 恥ずかしいと感じているからでも、ない。


「…………」


 身体に刻まれた生傷は、二年前のあの時に付いたものだ。そして、その事に対して誰よりもアウレールが気に病んでいた。
 マクダレーネは言っていた。
 あまりに年月が経ちすぎているから、傷痕を消す事は叶わなかった、と。だから、アウレールは自分を責めていた。もし、己自身が治癒の魔法をが使えていたならばこんな事にはならなかったのにと。


 一撃一撃が憎しみの込められた凶撃。
 出来るだけ苦しむように苦しむようにと刻み込まれた生傷は、凄惨の一言に尽きる程。
 まともな感性を持っている者ならば間違いなく直視は出来ないであろう身体。


 その事に対してアウレールが並々ならぬ罪悪感を抱いていたからこそ、俺は傷痕をさらす事を好まない。
 肌をさらす行為は、罪悪感を煽っているようで心底嫌だったから。


「『だから強くなった』ねえ。てめえが強くなった理由ってのは、ソレか」


 合点がいった。
 そう言わんばかりに男の笑みが一層深まった。


「ま、権力がある立場ってのは恨まれやすいもんだ。誰から恨まれてたかは知らねえが、良かったじゃねえか。腕一本で済んでよォ。それでそれで、一体てめえはどこの誰の恨みを買ってたんだぁ? ひゃはは、なぁに、今更だろ? この際だ、言っちまえよ。なあ、なぁ?」


 煽るような言い草。
 口に出して答える気は毛頭なかったが、それでも俺は男の発言に対して考え込んでしまっていた。


 果たして俺は一体、誰の怒りを買っていたのか。
 そんな事を考えている最中、新たな声が聞こえた。
 

「黙れ」


 それは底冷えするような重々しい声音。
 アウレールから発せられる殺意の奔流。
 瞳の奥に湛えられた圧は計り知れず、眼光だけで人を射殺せると錯覚させる程に、向ける殺意の度合いがケタ違い。刃のように冷たく、鋭い威圧は、辺り構わず吹き荒れる。


「何も知らないやつが、知ったような口を利くな……!!」
「あ?」


 返答が返ってくるとしても、俺からだと考えていたんだろう。意外な人物からの返答に、男は呆けた声を上げていた。


「そもそも、私は人間が嫌いなんだ。『エルフ』も獣人も。例外はあるが、それでも殆どの者が嫌いだ。それこそ、誰も彼もを今すぐにでも殺したいくらいに」


 アウレールも、理不尽に己が生を掻き乱された者の一人。
 燻り続ける怒りというものは、どれだけ割り切ろうと思おうが、年月が経とうが沈静化する事はあり得ない。
 けれど、俺たちはそれを力尽くで抑え込んでいる。


 それは何故か。
 その理由は単純明快、俺たちは平穏を求めているからだ。だが、この世界が優しくない事なんて俺たちが誰よりも分かっている。だから力を身につけた。
 降りかかる火の粉を払えるように。


 アウレールの右の手が伸びる。
 堰を切ったように溢れ出る怒りの奔流は漏れ出たまま、乱れ狂う憤怒に身を任せて男の頭部を容赦なく掴んだ。


 トリガーは既に、引かれている。
 俺にとっても、アウレールにとっても二年前のあの日の事はそれ程までにタブーなのだ。


「これ以上、無駄口を叩くなら」


 メキリ、と骨が軋む音が響いた。
 男は割れるような痛みに苛まれ、苦悶に満ちた顔で途切れ途切れの呼吸音をもらしている。
 だが、止まらない。
 男の命の灯火が小さくなろうとも、関係がないのだ。
 頭の隅に無理矢理に追いやっていた記憶を無遠慮に掘り返されたせいで気にするまいと努めようとも、それを嘲笑うかのように頭の中で蛍のごとくかつての光景が乱れ舞う。


「私は私を抑えらない」


 ピシリとひび割れるような決定的な音が鳴り、痛みに悶える声が湧いた。


「わ、分かった。もう何も言わねえ、から……」


 アウレールの言葉が決して冗談の類ではないと肌で感じていたのか、今までの縹渺とした様子はなりを潜め、男は掠れる声で答える。


「ふん」


 はじめからそうしていれば良いものを。そう言って彼女は言葉を締めくくり、掴んでいた男の頭部を解放する。


「ひ、ひひひ……やべえやべえ。危うく天に昇っちまうところだったぜ」


 貪るように肺に空気を取り込んでから、相変わらずの軽口を男が叩くも、そこに先程までの元気は備わってはいなかった。


「だが、そんなこんなしてる間に着いちまったなオイ?」


 奴隷商が営む奴隷館の目の前にたどり着き、ぴたりと足を止めた俺を見て男はひゃはは、と嗤う。
 そこは、二年前まで俺が足繁く通っていた場所。
 ツェネグィア伯爵領には他にも奴隷館はあるものの、やはり俺の勘は間違っていなかったのだと男の反応から感じ取る。


 だから俺は、奴隷館へと足を進めた。


「あん?」


 本来ならば、氷漬けにしている男を利用する予定だったが、恐らくこの奴隷館ならばその必要性もないだろう。
 だが、事情をのみ込めていない男は俺が一人で先行するその姿に疑問を抱いているようでもあった。


 開け慣れた扉。
 ツェネグィア伯爵領(ここ)へ本当に戻ってきてしまったのだと改めて実感しながら、引き開けると、先客がいたのか。貴族めいた服装の男と、その客に対応する肥え太った男が一人。
 未だ風化しない記憶に深く根付いていた人物。
 見間違えるはずもない。


 二年前と変わらない姿で、その男はいた。


「……本日はどのようなご用件で?」


 黒のパーカーコートを目深に被った俺の姿を見て、奴隷商の男は、訝しむように尋ねかけてくる。
 既に先客と思しき男とは商談を終えていたのか、真っ先に俺の目の前へとやって来ていた。


 程なくして、あからさまに顔を隠す服装から何かワケありか、と感じ取った奴隷商の男は値踏みでもするかのようにぎらりと目を輝かせる。
 俺はというと、相変わらずの粘着質な声に変わらないなと破顔していた。


 続くように入ってくるアウレールと『ウォルフ』。
 そして、氷漬けにされていた『切り裂きジャック』。


 その姿を見るや否や、奴隷商の男はぎょっと驚いて立ち竦んだ。じわりと、心なし彼の額に汗が垂れているようなそんな気がした。


「お、お前……」


 絞り出すように発された言葉は、氷漬けにされた男に対してのもの。信を置いていたからこそ、余計に信じられないといった様子であった。


 しかし、俺はそんな事は知らないとばかりに話を進めんと声を上げる。


「いつも通りだよ」


 そう言って、顔を隠すフードに手をかけた。
 そしてこれ見よがしに被っていたフードを捲り上げて行き———


「壊れ者が欲しいんだ。売ってくれるか?



      ————奴隷商」


 隠していた相貌が、あらわとなった。

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