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「あ、起きた? ちょっと手伝って」キッチンに入ると母がちらりと、私と私の後から続くユエホワの方を見て言った。「お皿とグラスと、そのほかいろいろ並べてくれる?」

「はーい」私は食器棚の上の段に腕を伸ばし、大皿を取ろうとした。すると、頭の上からぬっとふたつの手が現れて、私が取ろうとしていた大皿を持ち上げていった。

 金色の爪、つまりユエホワの手だ。

「え」私は思わず頭をのけぞらせて、その手と大皿のゆくえを追った。

 ユエホワはとりすました顔で、大皿をテーブルのまんなかにことりと置いた。

 私はちょっとぼう然として、そのさまをながめてしまったのだった。

「小皿は?」するとユエホワが片手を出してきてそう言う。

「あ」私ははっと我に返り、鬼魔にうながされるまま取り分け用の小皿を下の棚から持ち上げた。「え、と、四、枚……?」誰にともなくつぶやくようにきく。

「サンキュー」ユエホワはやっぱりとりすました顔で私の手から小皿をさらってゆき、テーブルの上にことことと置きはじめた。

 私はフォークやナイフやスプーンやをみんなの席にくばりながら――これもやっぱり四人分――この、ある意味特別な晩餐に、少し心臓がどきどきしていた。

 まあ、祖母の家でもユエホワといっしょに食事はしたけれど、それがわが家でとなると、これはもう、どきどきするのも無理はないと思う。

 母は――今どんな気持ちで、ユエホワもいっしょに食べるメニューを作っているんだろう? そんなことを心配していると、

「はーいありがと」と言いながら母はふり向き、ユエホワの並べた大皿の上にスパイスの香りの効いたメイン料理を鍋からひといきに移しかえた。「スープ用のお皿をこっちへ持って来て」

 私がふり向くよりもはやく、ユエホワの方が棚へ近づいてゆき「これ?」とききながらスープ皿を四枚持ち上げてはこび出した。

「ええ、そう。ありがと」母は、いつも私に言うのと同じような調子で、お礼を言う。

 私は、目の前の光景が、ほんとうに現実なのかどうか、どうやったら確かめられるだろうか、というようなことを、ぐるぐると頭の中で回らせていた。

「ああ、いい匂いだなあ」父が言いながら入って来た。「さあ、みんなで食事をいただこう」

 そうして、世にもふしぎで奇妙でキンチョウする食事が――私だけかもしれないけど――はじまった。

「ユエホワ、人間界の食事はどうだい?」父がたずねる。

「うん」ユエホワはふつうのお客様のようにうなずき「おいしい」と言ってちらりと母を見た。

「お口に合ってよかったわ」母もユエホワを見て、まるでふつうのお客様に言うように言葉を返し、さらに「鬼魔界ではいつもどんなものを食べてるの?」と、自分から話をふった。

「えーと」ユエホワはちらりと視線を横に向け、また母を見て「あんまり、食事中に話さない方がいいかも」と答えた。

「あはははは」すると母が笑い出し、私は目をまるくした。

「はははは」父も苦笑するように笑って「お気づかいに感謝するよ」と言った。

 なんだろう。

 これって、ふつうの、父や母の友だちがうちに来た時とおなじような感じの、食事じゃないか?

 私一人がとくに笑いもせず、だまって食べつづけていた。



「アポピス類のことを調べてきたんだけど」食後のお茶をいただきながら、ユエホワがそのことを話しだした。

「うん」

「ええ」父も母も身を乗りだして真剣な顔になった。

「あいつら……ここ何年か、王宮への税をまったくおさめていないらしいんだ」

「税を?」父が目をまるくし、

「まあ、鬼魔にもそういうのがあるのね」母は肩をそびやかした。

「けれどそんなことをしたら、当然王宮の方からなにかおとがめが来るはずだよね?」父は首をかしげた。

「それが、アポピス類はいま種特有の病気がはやっていて、それへの対策とか保障費用とかに大金が必要だからって理由で、ずっと免除されつづけているんだ」

「へえ、種特有の」父がうなずき、

「病気? まあ大変」母が眉をしかめた。

「そう」ユエホワはなにか考えこむように口もとにこぶしを当ててななめ下を見た。「そういわれてみれば、アポピス類の姿はこの数年、鬼魔界でもめったに見ることはなかったし、アポピス類がどうこうしたとかいう話も聞かなかった」

「ほう」父もなにか考えこむように腕組みしてななめ上を見た。「つまりその病気のために、外を出歩くことをひかえていたのかな」

「うーん」ユエホワは眉をひそめた。「だけどおかしいんだ……アポピス類の中でそんな病気がはやってることを、ほかの鬼魔たちは誰も知らなかった」

「え」父はぽかんとし、

「どういうこと?」母は首をかしげた。

「実をいうと俺も、この税の話を聞くまで――そんな大病がはやってるなんてこと、まったく知らなかった」

「ええっ」父がキョウガクした。「鬼魔界随一の情報通の君が知らないなんてこと、あるのかい」

「よっぽど厳重にかくされていたのか、それとも」ユエホワは声をおとした。「じつはそんな病気なんて、うそっぱちのでっち上げなのか」

「ぷっ」私は思わずふき出した。

「え」父がおどろいて私を見、

「なに?」母はすこしほほえんで私を見、

「なんだよ」ユエホワは口をとがらせて私を見た。

「いや、なんでもない」私は両手をふったけれど、笑いをこらえなければならなかった。うそっぱちのでっちあげって、自分もおなじことしてるくせに。

「で、ほかにもいろいろ聞きまわってみたところ」ユエホワは少しのあいだ私を横目でにらみながら話をつづけた。「やっぱりアポピス類はいま、鬼魔界の中にはいなくなってる可能性が高いようなんだ」

「いったいどこに?」父がきく。

「ほかの鬼魔たちに病気をうつさないようにほかの世界へ移動したわけではないということなのね?」母はたしかめる。

「俺が思うに」ユエホワは赤い目を真剣なまなざしにして話した。「あいつら……アポピス類のやつら、自分たちだけの国をつくろうとしてるんじゃないかと」

「国を?」父が声をたかめる。

「でもいったいどうして?」母が首を振る。

「んー」ユエホワはまた下を向いて、なにか思い出していた。「二十年ほど前、アポピス類の先代のリーダーと陛下が諍いをおこしたっていうのは、たしかにあった……それが直接の原因かどうかはわからないけど」

「ああ」父は納得したように何度もうなずいた。「イズバニア運河閉鎖事件だね」

「そう」ユエホワがぱっと顔をあげ、父とふたりうなずき合う。

「なにそれ?」母が問いかけたが「まあ今はいいわ。それで?」と取り消した。

 さすが。私は母のためにうなずいた。それ話し出すとぜったい、夜明けまでつづくからな……ユエホワはともかくうちの父は。

「それで今回、俺をさらおうとしたのはおそらく、まあ鬼魔界の動きについていろいろ情報をもってる俺を参謀的な立場として引き入れようとしてたんじゃないかと思う。赤い目がどうこうっていってたけど」と、そこでユエホワはまた私を見た。

「うん」私はうなずいた。「ハピアンフェルがそういってた」

「アポピス類ってのはヘビ型鬼魔で、ほとんどすべての個体が、赤い目をしてるんだ」ユエホワは自分の目を片手でおおいながら話した。「まあ突然変異でちがう色の個体もごく少数存在はするけど……やつらは『同じ赤き目を持つ者として』っていうフレーズを好んで使って、仲間同士の団結力を高めようとする傾向がある」

「ほうほう」父は生徒が好きな科目の授業を受けている時のように(たとえば私にとってのキャビッチ投げ)、目をきらきらさせた。「同じ赤き目を持つ者として」くりかえしながら、いつの間に持っていたのか手もとのノートにさらさらと書きとめる。「なるほど」

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