7-9. 拒絶
「なんですって?」
「ナディア、その目怖いぃぃぃ!!」
カフェテリアのテラス席で、ユウリは叫んでいた。
ナディアの目は、その眼光だけで気の弱い者は数人昇天してしまうのではないかという程、邪悪な光を放っている。
本日最後の授業を終えて夕食を取ると、ユウリは自らナディアを誘って、カフェテリアへとやってきた。
簡単な魔法薬学の実技だったはずなのに、散々失敗を重ねてしまい、また、パーティーを体調不良と偽って早めに切り上げたことも手伝って、ナディアに大層心配されてしまったからだ。
ユウリは、ナディアにだけは、隠しごとはしたくなかった。
だから、パーティーを抜けた時、そしてその翌日、何があったのかを漏らさず話した——ブラコン部分は流石に伏せたが——結果、ナディアの殺気なのだ。
「うわぁ、ユージン様、結構エグいテク使ってくるわねぇ」
「うううう……」
しかも、最悪なことに、二人はカフェテリアでヴァネッサと遭遇してしまっていた。何故か彼女にまで報告する羽目になって、ユウリは益々涙目になる。
「あの冷血漢、ユウリを困らせるなんて、ミンチにして差し上げようかしら」
「待ってぇ、ナディア! そのナイフ、何処から出したのっ?!」
「あら、ナディアちゃん、貴女が手を汚す必要ないわ。こっちには『お兄ちゃん砲』という最終兵器が」
「ヴァネッサさんもぉ! 絶対リュカさんに言っちゃダメですぅぅ」
どれほど優秀なユージンであっても、ナディアとヴァネッサ、リュカまで本気を出したら無傷では済まないだろう。ユウリは必死で二人を止めている。
「大体ユウリ!」
「はいぃぃ!」
びしりとナディアに指を突きつけられて、ユウリは思わず椅子に正座した。
「私、ユウリはヨルンさんのことが好きだと思ってたのよ!」
「え、そうなの?」
「ナディアァァァ! ヴァネッサさん居るからぁぁ!」
その焦り具合が肯定していることに気づいていないのか、ユウリは涙を溜めてナディアを上目遣いで見ている。
「ああ、確かにエスコートはユウリが誘ったんだったわね?」
「う」
「そうよ! オッケーしてもらったって、ずいぶん喜んでたでしょ」
「ぁい……」
「それじゃあ、両想いってやつ?」
「え?」
「ヨルン様、ニッコニコで報告してて、リュカ様嫉妬で大変だったのよ」
「!!」
一気に真っ赤になったユウリに、ナディアとヴァネッサは二人同時に溜息をついた。
これ程までにわかりやすい恋心があるだろうかと、少々呆れてしまう。
「全く、ユージン様はどういうつもりなのかしら」
「ユウリに、プププププロポーズ、ダメ、絶対、殺す」
「ナディア、だから怖いって!!」
ハアハアと肩で息をするナディアを抑えて、ユウリはぽつりと呟いた。
「……勿論受ける気は無いんですけど、それでも、やっぱりどう言って断ればいいのかなって」
「そうねぇ……」
ヴァネッサは考え込む仕草をして、ポンと手を打つ。
「私、いい考えがあるわ」
***
カウンシル執務塔の警備室のドアが開かれ、ヴァネッサが顔を覗かせた。
「フォン、いる?」
「はい」
青い髪が揺れて、彼女の方を向く。
「ああ、良かった。お願いがあるのよ」
フォンはちらりとヴァネッサの後ろに目をやって、二人の女生徒の確認をする。
「貴女のお願いは、いつも面倒なんです」
「お褒めに預かり光栄よ。あのね……」
彼の無機質な嫌味を意にも介さず、ヴァネッサは、カウンシル役員専用ラウンジの使用状況を訪ねた。
専用ラウンジはいわば、談話室のようなもので、けれど、流石にカウンシル役員専用というだけあって、バーやキッチン、応接セットやビリヤードなど、そんじょそこらの飲食店より充実した作りとなっているらしい。
ユウリもナディアも、ヴァネッサがそのラウンジで何をしようとしているか、皆目見当がつかない。
「ラウンジは……現在ロッシ様がキッチンを使用されています」
「ああ、だったら大丈夫ね」
そう言って、彼女はフォンに、三人分の使用許可を願い出た。
「バーはロックしたままで結構よ」
「当たり前です、未成年がいるんですから」
心底呆れたようにいうフォンにウィンクをして、ヴァネッサは二人に向き直る。
満面の笑みで促されて、ユウリとナディアは二階へと続く階段を上った。
魔法機械が埋め込まれた扉にヴァネッサが手をかざすと、複雑な機械音がして扉が開く。
「ふぉぉおお! これがラウンジ……!」
「贅沢な作りね。これも、元四大王国国王在学時の名残?」
「そうよ。昔は『サロン』って呼ばれてたらしいわ」
執務室にも引けを取らないフロアスペースに、高い天井からいくつかのシャンデリアが下がっており、入ってすぐ左手にはバーが備え付けられ、幾つものリカーキャビネットが見受けられる。また、右手にあるパーティションと観葉植物の合間から半開きの扉が見えた。
その扉から、ロッシが顔を覗かせる。
「ああ、ユウリか。丁度良かった、今新作のケーキの味見を……」
「ロッシ様、空気読んでください。女子会です」
にっこり微笑んだヴァネッサにぴしゃりと言われて、ロッシは眼鏡を押し上げたままの姿勢で黙った。
「もうお済みですか?」
「……ああ」
「では、私たちは奥のソファを使いますね。あ、扉はちゃんと閉めていてください」
それには返事をせず、ロッシはキッチンから新作のケーキとやらを抱えて出て来ると、ラウンジを後にし、扉を固く閉めた。
もしかしなくても、カウンシルで一番強いのは、実はヴァネッサなのではないかと、ナディアとユウリは顔を見合わせる。
「さて、ユウリ」
「は、はい」
「私とナディアちゃんはちょっと上へ寄るから、あそこで待ってて」
あそこ、とヴァネッサに指を指された場所は、本当に最奥のソファだった。
「え、私も?」
「そう、ちょっと持って降りるものがあるの」
「なら、私が行った方が早くないですか?」
ナディアが戸惑うのを見て、その持って降りるものとやらがどんな大きさかはわからないが、《始まりの魔法》で転送した方が早いのではと、ユウリが提案する。
「いいの、いいの。ナディアちゃんの方が、適任」
「それなら……ユウリ、ちょっと待っててね」
強張った顔で頷いて、ユウリはソファに腰掛けた。
何かを企んでいるようなヴァネッサの笑みで、背筋に嫌な悪寒が走るが、その決定に抗議するほどの勇気はない。
初めて入ったラウンジでは勝手がわからず、お茶も入れられずにソファに沈んだまま、ユウリは手持ち無沙汰に天井を見上げた。
(本当に……なんて言おう)
あのユージンが、あそこまで態度を変えて本音を吐露してくれたことは、正直言って嬉しかった。
ただ、ユウリの都合お構い無しの、一方的なものではあったのだが。
だからこそ、彼女は悩んでいた。
真っ向から拒否することは可能だが、ユウリの気持ちに気づいている節もあった彼が、それで引き下がるとも思えない。
色々あった事件を差し置いて、学園入学以来ではないのかという程悩み悶えるユウリの耳に、がちゃり、と機械扉のロックが外れる音が届いた。
ようやく二人が戻ってきた、と立ち上がって、入室してきた人物にユウリは硬直する。
「え、な、ヨル」
「なんか、ヴァネッサが、ユウリが切羽詰まった相談があるって……大丈夫?」
(ヴァネッサさん!!)
心配そうに覗き込むヨルンに、ユウリは心の中で絶叫した。
先程感じた悪寒は、間違いではなかったようだ。
よりにもよってなぜヨルンなのだと、ユウリは彼女に問い詰めたかった。
「もう体調は、平気?」
「あ、あの、はい……ナディアに、ユージンさんのことを、あの、相談してて」
「ユージン?」
「ええっと……」
優しげな瞳とかち合うと、ユウリは嘘がつけなくなる。
それでも、どこまで話していいのかわからない。
「もしかして……ユージンのプロポーズの件?」
「はわわわわ! なんで、知ってるんですか!?」
「そりゃあ、本人から聞いたから」
苦笑するヨルンに、ユウリの胸の奥がチリリとする。
知られていたこともそうだが、
だからといって、どういう反応を返して欲しかったのかはわからない。
「それについての相談って、何?」
「ユージンさんは……真摯に、話してくれたんです。だから」
「だから、受け入れるの?」
ユウリの言葉を待たずに、ヨルンが呟く。
戸惑って見返すと、彼は未だに困ったような、どこか翳りのある微笑みをたたえていた。
「違うんです。どう断ろうかと、迷ってるんです」
「きっぱり拒絶とはいかないんだ」
ヨルンの言葉に、見えない棘を感じる。それでも、何度か視線をヨルンの顔と自分の爪先に彷徨わせて、ユウリは小さな声で零した。
「だって……私を失うかもしれないって、そう思って悩んでくれて」
ヨルンは、知らずに自分の拳を握りこんでいた。
自分だってそうなのだ、と怒鳴りつけたかった。
——俺の気も知らないで
それは、無責任な八つ当たりだ。
ユウリが知るはずもない。
意図的に避けて、ヨルン自ら、触れないようにしてきたのだから。
ユウリは躊躇いがちに続ける。
「だから簡単に、断っちゃダメって思ったんです」
ヨルンの視線が、いつもと違って鋭い光を宿して、口元がいびつに歪んだ。
「優しんだね、《始まりの魔女》は」
皮肉を込めながら、《魔女》を敢えて強調したヨルンに、ユウリはカッとなる。
「なんで、そんな、意地悪な言い方するんですか!」
ヨルンらしくない責めるような声音に、涙目になりながらも、彼女の言葉は止まらなかった。
「ユージンさんのことを断るって言ってるのは、私が、ヨルンさんがいいからに決まっているじゃないですか!」
見開いた銀の双眸に会って、ユウリはハッと自分の口を抑える。けれど、意を決したように、その瞳を見つめ返した。
「私は、ヨルンさんが、いいんです」
少し上気した頰のヨルンが、咄嗟に何かを言いかけて、襟元をぐ、と掴む。そして、苦しそうに眉根を寄せて、吐き出した。
「君の、その想いに応えるわけにはいかないんだ」
「どうして……」
「俺は、フィニーランド王国の次期王なんだ。フィニーランドは、豊かな土地と豊富な資源があって、だけど、君を危険から守るような……ガイアのような戦闘力も技術もない。ユージンの言うように、《始まりの魔女》を独占することで、今より危険が激化したら、君も、王国すらも、守りきれないかもしれない」
「それって……」
今、彼は、自分を《魔女》としてしか見ていない。
それに気付いたユウリは、愕然とする。
「《始まりの魔女》ではなく、私を知りたいと言ってくれたのは嘘ですか」
「……ごめん」
それは、ユウリにとって、完全な拒絶の言葉で。
「こんな力、好きで持ったわけじゃない!」
溢れ出た涙を拭うことなく、ユウリは絶叫した。
いつもなら、優しく頭を撫でてくれる大きな手が、拳をつくって動かない。
堪らず駆け出ていくユウリを、ヨルンは止めることが出来なかった。