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二十四話

「オイオイオイ。……マジか」


 例の二人が外へ出た。
 しかもその向かった先は、『人喰い虎(ヴォガン)』が住処とする場所付近。


 そんな情報を手に入れ、入念な準備もせず何をしてんだ。『人喰い虎(ヴォガン)』をナメすぎだ。そう叱咤する気で慌てて向かい、連れ帰ろうとした男——ツァイス・ファンカの下で門番をしていたセスタは駆け込んだはいいものの、あまりの光景に絶句。
 思わず声を震わせながら、立ち尽くしてしまっていた。


「その身ひとつでまさか地形を変えちまうとはな……流石に笑えねえぜ」


 ひゅぅ、と冷気を孕んだ風が吹き込み、見渡す景色全てには氷が付き纏っている。まるでどこか別の場所に転移してしまったんじゃないか。そんな錯覚すら覚えさせる芸当。
 数刻前。
 屋敷の前で目にした氷技———『氷原世界』。
 あの時は随分と大層な名前をつけるもんだ。そう思っていたセスタであったが、


「これじゃあ本当に、氷原の世界だろうがよ」


 人間業とは到底思えない絶技を目にし、こりゃ敵わねえとばかりに小さく笑い、天を仰ぐ。
 辺りの気温に感化されてか、雨ではなく、そらからは(あられ)のような小粒の氷がぱらぱらと降り注いでいた。


「お前もそうは思わねえか? なあ———」


 すぐ側。
 セスタと同様に、無謀な真似だと言って止めるべく駆け出していたもう一人の男


「———ベリアス」


 ベリアスと呼んだ金色の長髪を後ろで結った美丈夫に声を掛ける。


「そう、ですね」


 どこか歯切れの悪い調子で返事をする彼は、思案していた。考え込むように。けれど、何処か悔しそうに。
 悩ましげな表情で己自身の考えを吟味し、言葉を選んでいた。


「僕も、同じ考えですよ。規格外。そう呼ぶに相応しいかと思います」
「……にしては随分と、不服そうな顔をしてるように俺にはみえるが」


 ま、ベリアスの気持ちも分からんでもない。
 そう言って、セスタはくしゃりと髪を軽く掻き、表情に影差すベリアスを横目に、目尻にシワを寄せた。


「強かったもんな、『人喰い虎(アイツ)』」
「ええ、そうですね。強かったですよ。凄く」


 まるで直に刃を交えたかのような言い草で過去を懐かしむように会話を続ける二人。
 彼らの視線の先には氷像——『人喰い虎(ヴォガン)』の死体が凍りついたモノが映っていた。


 かつてツァイス・ファンカが口にした言葉。
 Aランク二人。Bランク上位が一人に、Bランクが一人。
 その者たちが対峙し、歯が立たなかった。そのメンバーの内二人こそが、セスタとベリアスの二人であったのだ。


 言わずもがな、Bランクの一人としてツァイス・ファンカ自身も参加しており、最後の一人は


「王都で治療を受けてる領主様がこの事を知ったら、一体なんて言うんだろうな。地形やら天候やらを変えちまうような規格外なヤツが一人で『人喰い虎(ヴォガン)』のヤツを倒したって聞いたらよ」
「奇想天外な事実ですから、呆けるんじゃないですかね」
「ついでに嘘をつくなって怒鳴ったりしてな」


 ベルトリアが領主。
 バルバドス・ファンカ。
 Aランク冒険者に引けを取らないとまで噂されていた武闘派領主の名を口にし、確かにあり得そうですねとベリアスは空笑いをした。


「にしても、あの小僧の魔力量はバケモンだな」


 すでに術者は去った後。
 にもかかわらず、氷の雨は止む事を知らないとばかりに降り頻り、景色を氷原へと一変させた氷が溶ける気配はない。


「てっきり俺は、ベリアスとの力試しの際、坊主が見栄を張っているとばかり思ってた」
「疲れた様子はありませんでしたが、流石にここまでとは僕も思ってませんでしたよ」
「お嬢もきっと、そう思っていた筈だろうな」


 辺りを、再三に渡って見回す。
 規模が、屋敷の前で見せた時とはケタ違いである。


「まあ、仕方ねえって」


 肌を刺すような冷気を己が身で感じながら、薄い苦笑を顔にのぼらせる。


「誰がこれを予想するよ。予測が、出来るよ? 辺り一帯を氷原に染めた挙句、それを武器として戦う。天すらも味方につける」


 オマケに、


「加えて、あの『氷竜(バケモン)』だ。見たところ、使役しているような感じだった。『人喰い虎(ヴォガン)』を倒したい、倒したいと俺も思っちゃいたが、流石にあれには同情する。ありゃ、相手が悪過ぎだ」


 傷らしい傷を負わせる事すら出来ず、氷漬けにされてしまった『人喰い虎(ヴォガン)』に目をやり、セスタはそう言葉をもらしていた。


「とはいえ、人を無闇矢鱈に襲ってた『人喰い虎(クソ野郎)』だ。こっちとしては万々歳なんだけどな」
「そうですね。手のつけようが無かった『人喰い虎(ヴォガン)』が倒されたんです。氷原(このくらい)は目を瞑らないとですね」


 行商人すらも遅い、人の出入りが最近はめっきりと減っていた。だからこそ、ギルドへ依頼をし、他方へと冒険者を募っていたのだ。


「だぁーっ。お嬢にはコレ、どうやって言い訳すっかなあ」


 天候が悪いことを加味すれば、恐らくこの様子だと一日や二日で溶けるという事はあるまい。
 『人喰い虎(ヴォガン)』という魔物に脅かされるよりは何十倍もマシではあるが、なんらかの策を講じねばならないという事は必然。


 目先の問題として、この非現実的な光景をどう説明したものか。その事に対してセスタは頭を悩ませる羽目になっていた。


「言い訳も何も、たとえ僕たちがどう足掻こうが、この結果を変える事が出来るとは思えませんけど」
「だよなあ」


 やっぱ、俺たちにはどうしようもないよな? と、半ば投げやりにセスタはベリアスの言葉に同調し、笑う。


「まあでも……あの激闘を見せられて、『人喰い虎(ヴォガン)』討伐報酬が金貨150枚、なんて言うのは随分と安いよな」
「そう、ですね……」


 本音を言うならば、見誤っていたのだ。
 実力を。『人喰い虎(ヴォガン)』の戦闘力を。


 金貨150枚といえば、王都に軽く一軒家が建つ金額だ。
 金貨1枚あれば、人一人が一年の間、なんの不自由もなく暮らせる額。
 常人ならば金貨150枚であれば腰を抜かす程の金額だと言うのにセスタはそれを安いと断じる。
 そしてベリアスも、その言葉に反論を述べない。


 それ程までに凄絶だった。
 当初の予定通り、呼び寄せたAランク三人がかりで倒せるかと考えたならば、即座に首を横に振るだろうと断じれる程に、『人喰い虎(ヴォガン)』の強さはケタ違いだったのだ。


「ですが、依頼は依頼。依頼書に記載した金額以上を渡すわけにもいかないでしょう」


 それが、当初の約束なのだから、とベリアスが言う。


「まぁ、な。だから、金以外の事で何か報いて……」


 そう言いかけた時だった。
 ふと、何かを思いついたかのようにセスタの言葉が止まる。


「そういや、『ウォルフ』みたいな魔物が随分とあの坊主と嬢ちゃんに懐いてたな……」


 ならば。と。
 考えが巡る。


「それに、嬢ちゃんの方は『エルフ』。何かと不都合も多い、か」


 そうひとりごちり、次の瞬間。


「なあ! ベリアス!!」
「……どうしました?」


 急に声を上げたセスタへと視線を向け、ベリアスは何事かと言わんばかりに疑問符を浮かべる。


「この後なんだが、少し時間あるか?」

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