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二十三話

 俺の意思に従い、翼をはためかせ、『氷』によって創造された氷竜は宙に身を躍らせる。
 視覚すらも同化しており、氷竜が見下ろす視線の先には大地を踏みしめる『人喰い虎(ヴォガン)』が一体。


 上空に浮かぶ敵に対して、『人喰い虎(ヴォガン)』が取れる手段はたった一つ。
 俺が予期するよりも先。それはやってくる。


 パカリと再度開かれる顎門。
 先手必勝と言わんばかりの即断即決の先制攻撃。
 此度は前回ほど溜める時間を要さず、扇形を描くように灼熱色の高熱の奔流は放たれる直前、


『上、等ッッ!!』


 その攻撃に呼応するよう、続けざま氷竜の口内へ向かってあたり一帯の冷気が大きく吸い込まれ、ほんの僅か、肩が上がった。そしてまるで衝撃を受け流さんと対策をするように翼は曲げ広げられ、身体は弓なりにしなる。


 真っ向から迎え撃つ。
 そう言わんばかりの姿勢に、『人喰い虎(ヴォガン)』も気が付いたのか、備えるように己の五本爪を強く凍りついた大地に叩き付け、爪を食い込ませる。


 そして、


「ガアアアアアァァァァアアッッ!!!!」
『あは、はははっ。いっけええええええぇぇええ———ッッ!!』


 極寒の冷気の奔流と、灼熱色の業火が如き奔流が同時に放たれ———衝突。
 これでもかと言わんばかりの余波が風となり、衝撃となってあたり一帯へ襲い掛かる。




「竜の一撃は、全てを非情なまでに破壊し尽くす」


 力と力のぶつかり合い。
 滅多にお目にかかれないであろう、しのぎを削る衝突を眼前に、アウレールは普段通りの平坦な声音でそう呟いた。『エルフ』という長寿の種族であるが故に、伝承というものは限りなく確かなものとして伝えられている。
 その中の一つ。
 ドラゴンに関するものも、僅かではあるが彼女も耳にした事があったのだ。


 暴力の化身。生態系最強種。
 そういった呼び声も高く、他の追随を許さない圧倒的過ぎる力を保有しているが故に、崇め、恐れられてきた種族の頂点。
 竜の一撃は、全てを非情なまでに破壊し尽くす。ゆえに、気分を害させるな。関わるな。敵対だけは、何としてでも避けなければならない。
 それが、先祖たる『エルフ』が残した伝承。


 そして、今まさに紛い物とはいえ、限りなく近づけた氷竜を目にし、かつて耳にしたその言葉が無意識に彼女の口をついて出ていた。


「ガウ?」


 そんな呟きに対し、忠告を守り、アウレールの作った足場の上で傍観に徹していた『ウォルフ』らしき魔物は首を傾げた。


 ぱら、ぱら。と、辺りには小さな氷の結晶が今まさに舞っている。


 氷竜の息吹(ブレス)と、『人喰い虎(ヴォガン)』の息吹(ブレス)が衝突するや否、氷の奔流は炎を凍て付かせており、その凍て付いた部分がまた新たな奔流によって砕け散る。


 それが赤味を帯びた結晶となり、空に舞う。
 さながらそれは幻想風景。
 力と力の衝突を余所に、目を奪われるような光景が生まれているからか、『ウォルフ』らしき魔物は『非情なまでに破壊し尽くす』というワードに疑問を抱いたのだろう。


「なに、直にわかるさ」


 そう確信をしているのか。
 半ば投げやりに微笑するアウレールの様子から何かを感じ取ったのか。
 向けていた視線を彼女から、咆哮同士の応酬へと移し、じっ、とまた見つめ始める。


「言葉が無くとも、いやでも理解が及んでしまう。竜とはそういうものだ」


 言葉を口にしながら横目に、『ウォルフ』らしき魔物を一瞥する。そして、己が手を白絹のような毛に覆われた体へと乗せた。


「案ずるな」


 魔物には、至って単純なものが多い。
 疑い深い人間とは異なり、食べ物を貰ったならばくれた者に対し好意を抱き、懐く。
 だからだろう。
 己に優しくしてくれた者が窮地に立たされている。そう考えているのか、『ウォルフ』らしき魔物の瞳には、不安染みた色が帯びていた。ゆえに、アウレールは心配はいらないと、慰めるように手を置いたのだ。


「ナハトは負けない。負けるはずが無い。天すら味方している現状、敗北などあり得ない。……それになにより、」


 殊更に言葉を区切り、まるで自分の事のように不敵に笑う。


ナハト(アイツ)は最強の氷結師だ。アイツに凍らせられないものなど———有るはずがない」


 そうだよな。


 感情を乗せて、空に向かって微笑むと、まるで当たり前だと言わんばかりに氷竜の息吹(ブレス)の威力が一段と強まり、大気が更に悲鳴をあげた。





 そして、時間にして数十秒。
 体感では永遠にも感じられた応酬に幕が下りようとしていた。



『ガアアアアアァァァァァァアッッ!!!!』


 それはまさしく竜の咆哮。
 紛い物とは到底思えない覇気を込められた叫びと共に放出される冷気の奔流。拮抗していた衝突は、ジワリ、ジワリと優劣が浮き彫りとなり、じりじりと食い込んでいた筈の『人喰い虎(ヴォガン)』の足下が押し込まれて行く。


 衝突を続ける氷と炎。
 しかし、その面積は段々と偏り始め———


『これで、終わり……っ!!!』


 駄目押しっ!!!
 勝負を決めにかかるべく、正真正銘最大出力による竜の咆哮(ドラゴンブレス)が放たれる。それにより、氷原の世界に存在していた炎の奔流が冷気の奔流に押し潰され、


 上空から容赦なしに放たれた竜の咆哮(ドラゴンブレス)が地上に直撃した瞬間を契機に、地震と錯覚してしまう程の激震が大地に殺到。
 次いで、直撃した場所を中心として瞬く間に広がる氷原世界。否、『氷獄世界(・・・・)』。


 だが。


 竜の咆哮(ドラゴンブレス)が直撃した場所に、『人喰い虎(ヴォガン)』の姿はなく。
 一瞬先の未来としてあり得たであろう氷像の姿はどこにも見当たらない。


 眉を顰めながらも、氷を以ってして居場所辿り、人外たる敏捷さで駆け走る存在を認識。
 何処に向かっているのか。それを正しく理解したからこそ、俺は不敵に笑う。


「氷竜は倒せないから本体である俺をって? は、ははっ。ほんっと!! 頭いいねえお前!!!!!」


 見つからないようにと遠回りをして肉薄をする『人喰い虎(ヴォガン)』の目標は、俺自身。
 息吹(ブレス)同士の撃ち合いの際、勝てないと悟や否、実に利己的な判断を下して身を引きたのだろう。そのお陰もあってか、傷らしい傷は見当たらない。


「けど、氷竜だけが切り札なわけじゃない」


 またしても手を大きく掲げ、声帯を震わせながら叫び散らす。


 降り頻る雨。
 満たされた氷原。
 氷竜の一部。それらがまるで磁石によって引き寄せられる砂鉄のように上空へと引き寄せられて行き、ある形を形成する。


 それは壮大なツルギ。
 両刃の氷剣。『雹葬飛雨』の刃とは比べものにならない程の大きさを誇り、その全長はゆうに『人喰い虎(ヴォガン)』を越している。
 名を———


「『断罪の氷劔(カスティーゴ)』」


 俺の頭上でゆらりと浮遊する劔。その数、4。
 その背後では、氷竜が悠然と佇んでおり、何処もかしこも氷の刃で埋め尽くされていた。


 気温も極端に低くなっており、白く染まった息を吐く『人喰い虎(ヴォガン)』は恐らく氷点下の温度に慣れていないのだろう。
 頻りに息を吐き、身体は寒さに震え、所々凍てついている。限界である事は火を見るよりも明らかであった。


「ガ、ァァァァアアッッ———!!!」


 しかしそれでも尚、諦める事なく闘志の炎を燃やし、『人喰い虎(ヴォガン)』は懸命する。
 最後の、一撃。
 身を躍らせ、薄い氷の膜の上に立ち尽くす俺へ狙いを定めて放つ五本爪による猛撃。俺を引き裂かんと振るわれるソレであったが、それでも———、


「残念だけど、俺にそれは届かない」


 手を振り下ろす。
 肉薄し、切迫していた筈の前の足。妖しい輝きを纏わせた五本爪による一撃だったが、それよりも早く俺の手が振り下ろされ、それと同時。
 揺らめいていた一振りの『断罪の氷劔(カスティーゴ)』が地面に縫い付けるように『人喰い虎(ヴォガン)』の足を刺し貫く。


「……ガ、ァッ!?」


 そして続けざま。
 残っていた『断罪の氷劔(カスティーゴ)』も、『人喰い虎(ヴォガン)』の肢体に狙いを定め、残った手、足へと殺到し、地面へと『人喰い虎(ヴォガン)』を完全に縫い付ける。


 もう、勝負はついた。
 そう言わんばかりに、俺は自分で作った氷の足場から飛び降り、『人喰い虎(ヴォガン)』へと背を向ける。
 泰然とした佇まいで浮遊していた氷竜も、役目を果たしたと言うように氷の身体が刻々と崩壊し、その欠片が地面に落下して行く。


 パキリ、パキリ。


 聞き慣れた氷結音はどこまでも鼓膜を揺らす。
 まだ終わっていない。
 そう訴えるが如きうめき声が聞こえてくるが、


「いいや、もう勝負はついたよ」


 ———『断罪の氷劔(カスティーゴ)』が身体に刺さった時点で、お前の勝ちは無くなったんだ。



「終わった、か」


 少し離れた場所から、声が聞こえる。
 アウレールの声。


「うん。ちょうど、」


 俺は彼女の言葉に対し、笑みを浮かべながら肯定する。


「今終わったよ」


 パキ———リ。


 いやにひどくその氷結音は耳朶を叩き、ひゅぅ、と冷気を孕んだ小風が髪を靡かせる。


 背後には、


「そうか。お疲れ様」



 それはそれは大きな氷像が、まるで地面と一体化するようにソコには存在していた。
 辺りからは陽の光がすっかり失われており、日暮れの時刻。


「あのさ、アウレール」
「ん?」
「肩、貸して貰っていい?」


 もう殆ど見えてなくてさ。
 そう言うより早く、言いたい事を理解していたのか、返事をくれるより先に歩み寄って肩を貸してくれた。


「アウレールが狩ってくれた魔物はぺちゃんこになっちゃったけど、これで野宿は回避だね」


 『断罪の氷劔(カスティーゴ)』の余波によって、近くに放置されていた小ぶりのイノシシは原型をとどめておらず、その上、周辺一帯はカチコチに凍り付いている。
 しかし、ツァイス・ファンカより託されていた依頼は完遂。だから野宿は避けられた。そういうと、アウレールはくすりと楽しそうに笑った。


「そう、だな」


 直後、ガリガリガリ、と。
 脅威が去った事を理解したのか、ここ掘れワンワンとばかりに凍った地面を引っ掻き始める『ウォルフ』らしき魔物の爪の音が響く。


「あー、悪い事しちゃったかなあ」
「余程美味しかったんだろうな」


 必死にアウレールが狩っていた小ぶりのイノシシめいた魔物を探す『ウォルフ』らしき魔物の行動を俺は耳で予測し、彼女は目で確認し、まるで何事も無かったかのように笑うのだった。

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