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7-8. ユージンの本音

 幸いにも、サマーパーティーの翌日は週末で、ユウリは昨夜の出来事を振り払うよう、朝一から部屋中を大掃除している。

 あの後会場で合流したヨルンには体調不良を告げて、早めに寮へと帰った。
 何処と無く距離を感じるヨルンと会場に居続ける勇気はなく、加えてユージンからの理不尽な求婚に、ユウリの心のキャパシティーはゆうに超えていたのだ。

 本棚の裏側まで磨き上げて、汗を拭う。
 悶々と考えるのは性に合わない。
 サンドイッチでも作って、庭園で読書でもしようとシャワーを浴びた。
 今の季節に白く優麗な花を咲かせるユーリーンという植物があって、ユウリは最近その花壇のベンチがお気に入りだ。
 大好きな花に囲まれて、ランチをしながら本を読む。我ながらいいアイデアだと、花壇に着くまでは思っていた。

「ですから、兄上」
「いいの、いいの。俺はずーっと落ちこぼれのまま上級が合ってる」

 花壇を区切る茂みからベンチへと一歩踏み出して、そこに二つの人影があることに気づく。
 その内の一人が、今、多分この世で一番会いたくない人物だとわかって、ユウリは心の中で悪態をついた。

(なんで、こうなる!!)

 そろりと後ずさろうとして、優しげな紺と目が合ってしまう。

「あれ?」

 後ろに足を踏みしめようとした格好のまま固まっているユウリに、ウェズが声を上げる。
 その声に、こちらに背を向けて立っていたユージンも振り返り、ユウリは逃亡が失敗したことを悟った。

「御機嫌よう、ユウリちゃん」
「こ、こんにちは、ウェズさん」

 挨拶を交わした二人に、ユージンの眉がピクリと動いて、紺の双眸がより細くなる。

「そんな顔するなよ、ユージン」

 無自覚に殺気立つ弟に向かって、苦笑しながらウェズが言う。

「ユウリちゃんとは、魔法組織学の授業で一緒になったんだ」
「へえ、兄上は未だ組織学の単位を取られてないんですね」

 間髪入れずに言い放たれて、ウェズはう、と言葉に詰まる。

「あの教師は、俺の苦手なディベートベースの試験が好きなんだよ」
「苦手、などと言っている場合ではないでしょう。曲がりなりにもガイア王国の王子が」
「ちょ、ユージンさん!」
「いいんだよ、ユウリちゃん」

 ユージンの歯に衣着せぬ物言いに、ユウリが声を上げるが、ウェズは困ったように弱々しく微笑むだけだった。

「ユージンの言う通りなんだよ……俺みたいなのが兄で、ごめんね、ユージン」
「謝罪をするくらいなら、さっさと単位を取って卒業しろ、とさっきから言っているんです。煩わしい学園生活が終われば、王宮で十分に実務を学べるでしょう」
「そう……だね……」

 瞳を伏せて、ポツリと呟くように返すと、ウェズはパッと顔を上げ、相変わらず苦笑しながら、ユージンの肩をポンと叩く。

「じゃあ、出来の悪い兄は、一人寂しく勉強でもするよ」
「そうしてください」
「じゃあね、ユウリちゃん。ユージンとのデート楽しんで」
「デッ!? いやいやいや、ウェズさん、絶対違いますから!」

 くすくすと笑いながら、ウェズは花壇から出て行った。
 額に手を当てて眉間に皺を寄せるユージンを見上げ、ユウリは多少の軽蔑を含めて言う。

「ユージンさん、ちょっと酷いです」
「……ああ」

 さっと頭を防御する姿勢をとっていたユウリは、意外にも肯定されて拍子抜けする。
 その様子を見たユージンは自嘲気味に笑った。

「俺は、生まれた時から優秀だったらしい」
「は? なんの自慢ですか?」
「いいから、聞け」

 ぎろりと睨まれて、頭の防御はそのままで、ユウリは口を噤む。

「魔力の量、質ともに、兄上を遥かに凌駕する俺に、父上——ガイア王国国王陛下は歓喜したらしい。物心ついた頃には、朝から晩まで家庭教師達から様々な知識と技術を詰め込まれて、気付いた時には次期王位継承権まで与えられていた。第一王子である兄上を差し置いて」

 ユウリは、いつかナディアとリュカに聞いた話を思い出していた。
 優秀すぎる第二王子であったがために、有無を言わせず王位継承権を賜ったユージンに、旧王妃派はウェズを担ぎ上げて反発しているという。
 当のウェズはあの通り、旧王妃派が発破をかけても、のらりくらりとかわしているらしい。

「ある日、陛下は俺を玉座の間へと呼び出して、王座の側に控えるように言った。そこへ、兄上がやってきて——陛下は、俺の目の前で叱責したんだ。俺に、嫉妬するのはよせ、と」

 その瞬間、ユージンは見てしまった。
 兄の瞳から光が消え、そこに残った胡乱な翳り。

「俺は子供すぎたんだ。優秀であればあるほど褒められ、期待され、それに答えることだけを考えて……兄上の気持ちなんか、一切目に入っていなかった。俺が俺である限り、あの人は比べられ、謂れのない中傷を受ける。さっさと学園を去ったほうが、あの人のためだ」
「ユージンさん……」

 実の父親にすら、落ちこぼれの烙印を押されたウェズ。
 実の父親から、過度の期待を掛けられたユージン。
 彼らは、各々が自ら与えられた役を演じるように、その評価に忠実な振る舞いをしているように見える。
 交わらない光と陰。
 彼ら兄弟にとって、()()在らなければならないかのように。

「……兄は、俺を恨んでいるだろう。だからこそ俺は完璧な王にならなければならない。非の打ち所がない、譲ってよかったと思われる王になることが、知らずに何もかも奪ってしまったあの人に対する、俺の償いだ」
「それって」

 あの冷酷な紺の瞳が、見たことのない柔らかな光をたたえている。
 ユウリに、建前だけの求婚した時すら見せなかった柔和な表情。

「ユージンさん、めっちゃブラコンだったんですね」

 思わず溢したユウリの脳天に、ガツンと拳骨が落ちる。

「痛ァァァ!!」
「兄上には、言うなよ」
「な、なんでですか! 言えばいいじゃないですか。あんなツンツンした態度じゃなくって、デレたらいいんですよ! ウェズさんは優しいから、ちゃんとわかってくれます」
「……そうかもしれんな。でもどれもこれも憶測で、もし俺の考えが間違っていたとしたら、どうなる?」
「それは……めっちゃウェズさんに失礼ですね……」

 ユージンはふ、と笑う。
 ユウリの言う通り、もしかしたらユージンの危惧は全て的外れで、それを兄が知ったら、より傷つけてしまうだろう。
 だから、今の関係が一番良いのだと、ユージンは思っていた。
 ウェズに対して執拗に卒業を薦めるのには理由がある。
 優秀な弟と、落ちこぼれの兄。
 学園に留まることによってそう言われ続けるなら、卒業してしまって、実務に移った方が余程兄に有益なのではないだろうか。
 例えそれが将来、ユージンの補佐をするための実務であったとしても。

「難しいんですね、兄弟って。いつも比べられて……二人とも、別々の人間なのに」

 今までユージンの擦り寄ってきた者達は、いつもウェズを比較対象として彼を褒め称えた。
 第一王子より優秀な第二王子。
 兄を飛び越えて熟練クラス入りしたほど優秀。
 上級クラスの兄と違い、カウンシル役員になり次期王を約束された弟。

 ——それを、この女は

 ウェズを優しいと言った。
 兄に無愛想な態度をとるユージンを、酷いと言った。
 ユージンとウェズを、別々の人間だと。
 自分ですら忘れかけていたことを、彼女はなんの躊躇いもなく口にする。
 心無い王の隣に、心優しい《魔女》。
 やはり、欲しいと強く願った。
 ヨルンに心動かされているユウリに酷く苛立ってぶつけた、半ば八つ当たりのようなプロポーズではなく、今なら素直に口に出せるかもしれない。

「昨日は、悪かった」
「はい!?」

 唐突に謝られて、さらにユージンに謝られたという事実に、ユウリは驚愕する。
 ユージンの拳がコツンと頭上に置かれて、その優しげな仕草に、彼女は困惑した。

「お前が血濡れてリュカの腕の中にいるのを見た時、俺は背筋が凍った」
「え?」
「失うかもしれないと、焦ったんだ」

 何を言い出すのだろう、とユウリはまじまじとユージンを見つめる。

「俺には正直、愛だの恋だのというのはわからない」
「……でしょうね」
「だが、お前を正妃にしたいという気持ちは本当だ」
「!?」

 紺の双眸に真っ直ぐ射抜かれて、ユウリは目が反らせない。
 ユージンは、それでも淡々と続けた。

「命令でもない、提案でもない、俺からの要望だ。だから、幽閉するとか、囲い込むとか、そういった意味は一切ない。もし受け入れてくれるなら、何不自由ない生活を約束する」
「ちょ、ちょっと待って、ユージンさん」
「これが俺なりの、精一杯の誠意だ」
「あの……」

 熱がこもる視線に、ユウリは口籠る。こんな瞳をしたユージンを、見たことがなかった。
 頭に置かれていた手が彼女の頰に触れて、びくりと肩を震わせると、ユージンは僅かに微笑む。

「警戒するな。もう無理強いはしない」
「でも、その……」
「良い返事を期待する」

 そう言って彼は、ユウリの頰に軽く口付けて、呆然とする彼女を残して去っていった。
 早鐘を打つ心臓が痛い。頰に手を当てたまま、ユウリは心の中で叫ぶ。

(何、その反則キャラチェンジ!)

 ユージンにもあんな感情があったんだ、という事実に、ユウリは戸惑いを隠せない。
 いつもは一方的に断ち切るように話す彼が、あんな目をするなんて、知らなかった。
 あの求婚の裏に、そんなユージンの本音が隠れていたなんて、想像すらしなかった。

(どうしよう……)

 彼の告白は、真摯だった。
 それに、ウェズを想う気持ちも。
 だからと言って、手放しに受け入れられる話では、到底なかった。
 ユウリの想い人は、ユージンではなく。
 不意に、目を逸らしたヨルンの横顔が浮かんで、息が詰まった。
 嫌われたかもしれないと、だから、逃げるように嘘までついて自分の部屋へ帰ったのだ。
 どうしていいのか、わからない。

 考えが纏まらず、このままここで読書する気にもならなくて、ユウリは区切りの茂みを飛び出す。そして、その勢いのまま、何かにぶつかった。
 よろけるユウリの目に、同じようにたたらを踏んだ男が映る。

「ご、ごめんなさい」

 ぺこりと頭を下げて、ユウリは自分の寮への道を急いだ。
 男はフードを深く引き下げながら、その後ろ姿をいつまでも目で追っていた。

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