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二十話

 コンディションは最高。
 イメージトレーニングも道中に何度も繰り返した。
 肌を撫でるような冷えた空気。
 陰鬱めいた曇り空は絶好の氷日和であり、これならばいける。余裕だ。そんな自信に満ち満ちていた。
 さぁ、鼻を明かしてやる。
 絶滅させる勢いで狩り尽くしてやる。
 そうだ、これこそが……俺の実力だァッ!!


 などと、意気込んでいたのはいつまでだったか。


「————」


 気づけば、感情の消えた面持ちで俺は空を見上げていた。
 氷日和の曇り空だというにもかかわらず、どうしてかこの空が今はとても恨めしい。そしてその理由は、すぐ側に転がっていた。


 無数に転がる青白い物体。
 冷気を発するそれは、氷漬けにされた塊だった。
 数にして約10数個。


「こんな、筈じゃ……」


 無かったんだ……。
 と、言葉を絞り出す俺のすぐ側に転がっていた塊は全て、アウレールの成果。
 空振りに空振りを重ね、最後は乱雑にあたりを好き放題に凍らせ出したあたりで俺は戦力外通告を受け、彼女の成果を他の魔物に取られないように見張っておくという誰でも出来そうな役割を請け負う事となっていた。


 とは言えど。
 見張りをしろと言われたものの、他の魔物どころか、生き物の気配すら皆無。


 がむしゃらに俺が凍らせるも、逃げられる。
 凍らせるも、逃げられるというイタチごっこを続けたせいで、辺りにいた魔物の大半が逃げてしまった事に気付かぬまま、俺はぼんやりと空を眺めていた。


「……にしても、暇だなあ」


 半ば自業自得とはいえ。
 張り切っていた反動もあってか、消化不良を起こしていた俺は行き場をなくしていたそのやる気をぶつけようと探すも——やはり見つからない。と、思いきや。


 辛うじて視認出来るかどうか、といった場所で黙々と狩りを行うアウレールとは別に、その真逆の方向に何やら見覚えのない白い物体が一つ。


「ん?」


 何だあれは、と。
 目を凝らしてみると、よてよてと覚束ない足取りでそれは移動をしていた。
 4本足の魔物。白い毛並み。
 体長のほどは距離があり過ぎて予測不能。


 そんな折、そう言えば、と。
 ある事を思い起こす。


 ———丁度、あの山の麓付近にいるらしい。


 辺りを見渡せば、ベルトリアを出る際に門番の男が口にしていた山がすぐ近くに見えており、いつの間にやら気付かぬうちに麓にまで来ていたのだと理解をし、


「———『ウォルフ』?」


 言葉を脳裏に浮かべるより先。
 そんなワードが口を衝いて出ていた。


 しかし、聞いていた話だと凶暴と言っていた筈なのだが、そんな様子は全く見受けられない。
 それどころか、怪我でもしているのだろう。遠目から確認したところ、相当に弱っている事がありありと見て取れた。


「……警戒は、一応しておこっか」


 足取りからして、俺の下へと向かってきているようにも思える『ウォルフ』らしき四足歩行の魔物。
 敵意は感じられないが、それでも、と。
 警戒度を上げると同時、呼応するようにパキリ、と足下に薄氷が広がった。


 じーっと、警戒も兼ねて見つめ続ける俺であったが、その『ウォルフ』らしき魔物はゆったりとした歩調で俺の下へ一直線に向かってくる。
 はじめは偶々かと思っていたが、どうにも時折、目が合ったりする事から目的地としている場所が俺の下であると確信めいたものを抱く。
 とは言っても、敵意のようなものは一切感じられず、明らかに弱っている事もあり、どうしたものかと俺は攻めあぐねていた。


 そして、一歩。また一歩と距離は縮まり。


「それで、俺に何か用かな?」


 数分もしないうちに、その距離の殆どは失われていた。
 全長3m程の狼のような魔物。
 見るからに毛並みの良さそうな絹のごとき体毛が小風に靡いており、宝石のようなアイスブルーの瞳が一瞬だけ、俺を捉える。


 けれど、『ウォルフ』らしき魔物は一瞥だけして興味を無くしたとばかりに目をそらす。
 次に向かった先はアウレールが狩った小柄なイノシシの魔物の側。そして有無を言わさず、そのまま——


「————」


 ガブリ、と。
 カチコチに凍り付いていた氷の塊に齧り付いていた。


「ちょ、ッ!?」


 あまりに敵意がなさ過ぎて、俺はその行為を呆然と眺めてしまうも、すぐに我に返り、目を剥いて声を上げる。
 しかし、俺が驚愕に目を見張るも、『ウォルフ』らしき魔物は御構い無しにガリガリと氷に齧り付く事をやめない。


 やめさせないと。と思ったその時だった。
 ぐぅーっと情けない音が『ウォルフ』らしき魔物のお腹から響き渡る。
 次いで、悩ましげな鳴き声が続く。


「……もしかしてお腹、減ってるの?」
「ガウ」


 此方を向き、返事をするかのように一言。
 即答だった。まるで言葉を理解してるのではないか。
 つい、そんな疑惑が湧いてしまいそうになる程に。


「ぷっ、は、ははっ、ははは、あははッ」


 この『ウォルフ』らしき魔物はお腹を空かせており、偶々見えた氷の塊もとい、アウレールが捕獲したイノシシっぽい魔物が欲しくてやってきたらしい。
 人間めいた所作に笑いのツボを刺激されながらも、破顔させつつ、俺はコミュニケーションを取ろうと試みる。


「ごめんけど、それはアウレールが獲ってきた獲物なんだ。残念だけど、俺の一存では渡せなくてね」


 そういうと、目に見えて悲しそうにくぅーんと鼻を鳴らす。人懐っこいというか、実に世渡り上手そうな狼である。


「でも」


 丁度暇をしていた事だ。
 せっかく見つけた暇潰しを早々に手放す必要もあるまい、と俺は含みのある言葉を口にし、


「俺の監督不足で持っていかれたなら、その限りじゃないけどね」


 意味深にそう言い放つ。
 すると今度は噛み砕くのではなく、持って行こうと氷塊をくわえ、引っ張ろうと試みるも、動かざること山の如し。


「ま、『氷』で思い切り固めてるから容易じゃないと思うけどね」


 どうして言葉を分かるのか。
 疑問が脳内で渦巻いていたけれど、そんな事よりも、必死に氷塊を持って行こうとする『ウォルフ』らしき魔物の行為がどこか愛くるしくて。


 怒られないかな……。
 などと少し警戒しながらも氷塊に必死になっているうちに俺は見るからにもふもふした大きな尻尾を触るべく、こっそりと移動をする。


 そして、夢中になっているのを良い事に


 むんずと掴む。


「———!」


 刹那。
 頭に電流が流れでもしたかのような衝撃に襲われ、


「ふ、ふわっふわ!!」


 堪らず、感想が反射的に口端からもれ出た。
 ツェネグィアにいた頃に使っていた貴族らしい高級な寝具など、目じゃないくらいのさわり心地。


 も、もう一度! とばかりに、にぎにぎと力を込め、ふわふわを味わう。
 けれど、もこもことした『ウォルフ』らしき魔物は尻尾を握られているにもかかわらず、小柄なイノシシを中に凍らせた氷塊を何としてでも持ち帰りたいのか、俺の事など気にも留めていない。


 実に好都合だった。


 尻尾の次は背中。
 足、肉球、耳。


 すっかりされるがままになっていた『ウォルフ』らしき魔物を堪能し、最後……!!
 と、思い、最難関である騎乗をしようとしたところで



「……一体お前は何をしてるんだ」



 ガリガリと未だにひたすら氷塊へ噛り付いている『ウォルフ』らしき魔物の大きな背中にまたがろうとしたところで、声がかかる。それは、親しみ深い声だった。


「え、えっと……!」


 あまりに夢中になっていたからか。
 時間すら忘れてもふもふを堪能しているうちに時間は随分と経っていたらしい。その証拠に、アウレールのすぐ側には更に20ほどの氷塊が並んでいた。
 曇り空なせいで、時刻の変化が分かりづらいものの、相当な時間が経過しているに違いない。


 必死に上手い言い訳を探そうと試みるも、すぐ側の狼と戯れていた事実は最早否定しようもなく。


「あ、あのさ!!」


 うまく働かない頭をフル回転させ、どう言い訳しようかと数秒ほど悩んだ末。


「餌付けしていい?」


 そう言うや否、ぽかん、と。
 何を馬鹿な事を言ってるんだと言わんばかりの拳骨が、返事代わりに飛んできた。


「あいたっ!?」


 やって来た痛みにほんの僅か悶え、手で頭をさすりながらもぼふっ、と『ウォルフ』らしき魔物の背中に俺は顔を埋める。
 もこもこしていて気持ちが良かった。


「……はぁ」


 ダメだこいつ。
 すっかりもこもこに駄目にされてしまった俺を見て、アウレールは深いため息を吐くのだった。

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