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十八話

 そう口にしても尚、色よい返事を頑なに寄越さず、口を真一文字に結ぶ彼女は、心底分からないと言わんばかりに疑念の色を瞳に湛え、俺を見詰める。
 

 その自信はどこからやってくる。
 どうして、そうも駆り立てられる。
 死ぬのが怖くないのか。傷つく事に恐れはないのか。
 証明だなんて、意味も分からない物のために、貴方は『人喰い虎(ヴォガン)』に挑むのか、と。


 際限なく湧き出る積み重なった疑問の数々。
 思考の渦に沈むツァイスは、訝しんでいた。


 ———貴方は一体、何を考えているのか、と。


 何も分からない。
 理解の埒外だからこそ、不安は余計に掻き立てられる。
 そしてごちゃ混ぜになった多くの事柄が頭の中を支配し尽くして、考えは混乱し、肝心の言葉は出てこない。


「俺は昔から変わらず、平穏を欲してるだけなんだ」


 けど、人の都合が横溢するこの世界において、そんな細やかな願いですら叶えられなかった。
 詰まる所、俺は平穏に過ごせるのならそれで良かったのだ。でも、ただ望んでいるだけではダメだと気付かされた。無力であればあるほど、平穏は遠退いていたのだと知ってしまったから。


 この世界は、優しくない。
 全くもって、優しくない。
 だから証明したかった。平穏を今の俺は掴み取れるのだと。襲い掛かる理不尽を、殺せるのだと。


「でも、平穏はやってくるものじゃない。掴み取るものだ。己が手で、手繰り寄せるものだ」


 彼女は黙って、俺の言葉を聞いて待っている。


「殺されるかもしれない? 勝てないかもしれない? そういった目に見えない事を宣われても、俺には関係がないね。そんなものは知らない見えない聞こえない。これはもう理屈じゃないんだよ。守ると決めた。なら、その証明をしなくちゃいけない。土手っ腹に穴あけて、腕を斬り落とされて、生を諦めかけていたかつての自分と俺は早く決別をしなくちゃいけない。平穏を掴み取れると、証明しなくちゃいけないんだ」


 脳裏にちらつくかつての己に、楔を強く打ち込むのだ。
 でなければ、いつまでも無力だった頃の自分自身。あの時の俺自身に引き摺られてしまう。


 自分の無力さ故に、自身が死に追い込まれるのはまだ許せる。けれど、この17年間生き続け、漸く見つかった信を置ける者。アウレールだけは失いたくなかった。
 『恩讐を忘れない』


 俺にとってこのフレーズは、ただの照れ隠しだ。
 そもそも俺は、真に家族と呼べるような。
 一切警戒せずに済む、気の置けない間柄のひとが、欲しかっただけなのだ。


 だから、この依頼は意味を持つ。


「貴女には全く関係のない話だけど、元々俺は無力な人間でね。誰よりも臆病で、誰よりも不安に駆られ続けてきた弱虫さ。だから欲する、証明を。自分を納得させられるだけの証拠を」


 本当は、マクダレーネに匹敵するくらい強くなりたかった。彼女を倒せるくらい強くなりたかった。
 けど、なにより一年という約束だった。
 恩がある彼女に、これ以上厄介になるわけにはいかない。だから、俺は他の指標が欲しかった。


「貴女にはとてもじゃないが、理解は出来ないだろうね。でも、そういう理由なんだ」


 これは俺のわがまま。
 もはや理屈の域をとうに超えている。
 この考えを理解出来る人間がいるとすれば、それは俺と似たような境遇を味わった人間しかあり得ない。


「俺自身が守ると決めた。なら、俺はひたすらそれを貫き通すだけ。その道を進む為に、俺は『証明』と言う名の橋を求めた。それが『人喰い虎(ヴォガン)』だったというだけの話。守り切れない未来は俺が許さない。ゆえに、貴女がどれだけ脅威に思っていようと、それを俺は世界を凍らせてでも斃してみせるよ」
「……歪んでるわね」
「だろうね。俺自身もその自覚はあるよ」


 マクダレーネや、クラウスは例外だとしても、俺という人間は基本的にアウレールしか信用が出来ない。人間の貴族ともなるとそれは特に顕著で、今この瞬間も、神経を張り巡らせ続けている。


 人畜無害に映る目の前の少女——ツァイス・ファンカにすら疑ってかかっている現状だ。邪推した目で見る。その度に自分自身が嫌いになりそうで仕方なくなり——けれど、こればかりはどうしようもないといつも納得してしまう。


「でも、」


 ———依頼者としては、斃せると口にする人間より斃すと公言する人間の方が余程、信が置けるでしょ?


 と、言うと彼女は一瞬だけ呆け。
 そして、笑みを顔に刻んだ。


「それも、そうね」


 これ以上は何を言っても止められないと判断したのか、


「ええ、分かったわ」


 納得の意を示し、再度背を向けた。


「だから、少し待ってて貰えるかしら。『人喰い虎(ヴォガン)』の姿絵と、主に住処にしている場所の地図を持ってくるから」


 そう言って、今度こそ彼女は部屋を後にする。
 そしてツァイスと入れ替わるように、部屋の扉前で待機していた一人の男が顔を覗かせ、部屋に足を踏み入れる。


「先ほどぶりです」


 言葉を口にしてから、一礼をする金色の長髪を後ろで短く結った男性。
 彼は、先程の力試しの相手をしていた門番の男——ベリアスだった。


 そして、俺も礼には礼をと頭を下げる。
 すると彼は、笑みを張り付けて、言葉を述べた。


「有難うございます。依頼を、受けて下さって」


 鼓膜に届いた言葉は、感謝をあらわすものだった。


「貴方は反対しないのか?」


 彼が返すであろう言葉を理解した上だからか。
 冗談混じりな様子でアウレールがそう言うと、ベリアスはまさかまさかと首を左右に一度振る。


「セスタから聞きましたよ。貴女は、そこの彼が僕に勝つ事を微塵も疑っていなかったと」


 セスタとはベリアスと共に門番をしていたもう一人の男性の名前だ。
 が、しかし、アウレールからすればそれがどうしたという話でしかなく、堪らず眉根を寄せた。


「実際に相手取った人間と、傍から見ていた人間。感じるものは全くの別物、と言う事ですね。そしてそれは貴女が一番分かってると思いましてね。彼の側で今まで見ていたであろう貴女が誰よりも」
「否定はしない」
「でしょうね」


 そして、ベリアスの視線が次に俺へと向く。


「あれだけの魔法を行使して、汗一つかいていない。疲れた様子もなく……いやはや、自分自身の実力不足を痛感させられますね」


 掛け値無しの賛辞を送られ、俺は素直にそれを受け取った。悔やむ様子もなく、晴れ晴れとした屈託のない笑みにあてられ、自分自身の表情筋がほんの僅かに緩んだ事を自覚しながら。


「いいや、貴方がはじめから全力だったら、きっと結果は違ったと思うよ。だから、今回は俺の運が良かっただけ」
「……謙虚、なんですね」


 驚いたと言わんばかりに瞠目し、ベリアスは言葉をもらす。扉越しに、ツァイス・ファンカとの会話が聞こえていたのだろうか。
 意外だ、と見詰めてくる瞳が口ほどに物を言っていた。


「意外も何も、歪んでると言って差し支えないくらい、ナハトは意思が強いだけで、驕りとは程遠い人間だからな」
「ちょ!? 今、アウレールってば俺が歪んでるって言わなかった!?」


 今しがた発覚した驚愕の事実。
 何気なしに発せられた一言に目を剥きながら、俺は必死に抗議をせんと声を荒げる。


「そもそも、ナハトはあの少女に歪んでると言われて肯定していただろうが。何を今更」
「いやいやいや!! あの子に言われるのとアウレールに言われるのとじゃかなり変わってくるからね!?」


 そりゃあ、ちょっとばかし歪んでるような自覚はあったけどさあ……。
 でもでも、面と向かって言わなくても良くない? 胸に秘めておいてよー……もー……、あ、でも、隠されるのもそれはそれで嫌かも……でもでも!!


 などと手で頭を抱え、ぐぬぬと唸りながら身体を揺らす俺を見て、アウレールは俺の苦悩を余所に苦笑する。


「結構、抜けてるところが時折目立つが、頼りになる時は凄く頼りになるやつだ。きっと、悪いようにはならないだろうさ」


 そう言う彼女の言葉に、「そう、ですね」と苦笑いを浮かべながらベリアスも肯定した。


 それから数分後。
 色々と取りに向かっていたツァイスが戻って来る直前。
 俺が歪んでしまったのはやはり親族連中(アイツら)が悪い。と責任の全てを押し付け、俺の頭の中に蟠る悩みはひとまずなりを潜めるのだった。

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