第205話 ふわもこほっこり★編み物マジック
「ほら、アリサ。そこ、飛ばしちまってる」
「えっ、うそ、どこ!?」
手元に視線を落として愕然とするアリサに、死神ちゃんはかぎ針を使って〈その場所〉を指し示した。
「ねえ、これ、もしかして編み直さないと駄目?」
しょんぼり顔でそう尋ねてくる彼女に死神ちゃんは頷いた。「結構綺麗に編み進められてたのに」と言って肩を落とすと、アリサは泣く泣く毛糸を解き始めた。
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発端は、秋から冬へと移り変わろうというころ。お忍びで第三死神寮の寮長室に遊びに来ていたアリサは、コーヒーを飲みながらマッコイの雑務が終わるのを待っていた。アリサは、マッコイがアームウォーマーをつけて作業していることに気がつき、彼に声をかけた。
「ねえ、アームウォーマーって、いい? 私もこの時期、仕事中に手先が冷えてくるから、そういうの欲しいなと思っているんだけれど。タイピングの妨げになって、結局使わなくなりそうな気もして中々手が出せないのよね」
「指先まではカバーしてはいないから、そこら辺は多少は冷えるけれど。でも、やっぱりあると違うわよ」
「そうなんだ。今年は私も使用してみようかしら。――ていうか、それ、手編みっぽいけれど。自分で編んだの? それにしては、ちょっと作りが雑ね。あなた、編み物かなり得意だったでしょう?」
アリサが不思議そうに眉根を寄せて首を傾げると、マッコイは照れくさそうに「去年、|薫《かおる》ちゃんからもらったの」と答えた。
実は去年の冬に、死神課全体で編み物が流行った。きっかけは、幼女モードに屈したくなかった死神ちゃんが〈精神統一の訓練のための一環〉としてやり始めたからだ。その際に死神ちゃんはマッコイから編み物を教えてもらい、お礼と上達具合の報告を兼ねてアームウォーマーを編んでプレゼントしていたのだった。
アリサはその話をとても羨ましく思ったそうなのだが、そのときにあれこれと口走ったことがきっかけで口論に発展し、そこから二人は少し気まずい状態にあるらしい。――死神ちゃんはその話を聞いて、開口一番「何でそれを俺に話すんだよ」と顔をしかめた。アリサは表情を暗くすると、しょんぼりと肩を落とした。
「たしかにね、〈手編みの何か〉という見返りを求めてジューゾーにプレゼントをしようと画策しようとした私が悪いわよ。あの子の『プレゼントは、その人のことを考えて真心込めて選ぶもの。見返りを求めてするものではない』っていう言葉は正しいわ。でもね、そのときは本当に、本当に羨ましすぎて正しい判断ができなかったのよ。それで、結構酷いことを言ってしまって」
「だから、どうしてそれを俺に話すんだよ。とっとと本人に謝ればいい話だろうが」
「だって、そうは言っても、やっぱり悔しいのよ。――私は、あの子が羨ましいわ」
アリサは死んでもなお恋い焦がれた相手と再会できて、天にも昇るほどの幸せを感じた。そして「もう一度きちんと自分という人間を知ってもらい、仲良くなって、今度こそ本物の恋人同士になりたい」と強く思った。しかし気持ちが|逸《はや》りすぎ、また多忙のためたまに一緒に食事をするのがやっとということもあって〈ああしたい、こうしたい〉という欲求が先行してしまい、そのせいで中々思うようにはいかない。そうこうするうちに、自分の親友たちはどんどん死神ちゃんと仲良くなっていく。それは、アリサにとってとても歯がゆいことだった。
もしも、自分も死神課に勤めていたら。マッコイやケイティーのように、毎日死神ちゃんと顔を合わせられただろうに。もしも、自分も第三班所属の死神であったら。マッコイのように、死神ちゃんと同じ寮内で寝起きをともにできただろうに。――そうであったら、今よりももっと自分を見てもらえただろうに。
「そうは言っても、やっぱり今までの自分に落ち度があったというのも分かっているの。――だから私は心を入れ替えて、もっと積極的に、あなたと
死神ちゃんは返答に窮した。困ったというように眉根を寄せる死神ちゃんに、アリサは申し訳なさそうに笑いながらも「というわけで、ジューゾー」と口を開いた。
「編み物を、教えて欲しいんだけれど」
「だから、何で俺に言うんだよ」
「あら、あなたから教われば、それだけ一緒に過ごせる時間が増えるでしょう? 一石二鳥じゃない」
強かに笑顔を見せるアリサに、死神ちゃんはため息をついた。そして死神ちゃんは、アリサを寮内の編み物サークルに誘ったのだった。
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こうして、アリサはマッコイがいない日を狙って編み物サークルに参加することとなったのだが。初日、何も知らない同居人が死神ちゃんの部屋着にしがみついているコウモリを捕獲しようとして、結構なドタバタ騒ぎが起きた。コウモリはいきなり鷲掴みにされたことに驚き、あちらこちらとパニック気味に飛びまくった。死神ちゃんは「それはアリサだ」と彼らに慌てて伝えたのだが、同居人たちはそれを冗談だと思ったのか、死神ちゃんが制するのも聞かずにコウモリを執拗に追いかけた。そのため、コウモリは一層激しく飛んだ。
壁に激突してべしょりと床に落ちたコウモリはアリサへと姿を変えると、いじめられたと言わんばかりにスンスンと泣いた。寮民たちは顔を青ざめさせると、必死にアリサに謝罪した。
「ごめんなさい。まさか本当に、アリサ様だとは思わなくて……」
「会社の社長さんが、特定の社員寮にばかり顔出してるのがバレたらまずいだろう。いくらそこに友人が住んでいるとはいえ。――だからこいつ、遊びに来るときは姿を変えて、入館記録もつけずにこっそり来てたんだよ。ほら、たまにマッコイがコウモリを連れてるの、見たことあるだろう?」
「そう言えば、そういう光景をたまに目にしてる気がするわ……」
再度頭を下げて謝罪をする寮の住人たちに、アリサは涙を堪えた鼻声で「こちらも隠していたわけだから、仕方がないわ」と返した。そしてアリサはそういった事情があるため、遊びに来ていることは内密にして欲しいということと、編み物サークルに参加したくて来たということを伝えた。住人たちは快く了承すると、アリサを仲間として受け入れた。
アリサとお近づきになりたいと思っていた男性陣は、千載一遇のチャンス到来とばかりにアリサに話しかけた。
「いやあ、それにしても。アリサ様のこと、薫ちゃんからは『仕事以外はてんで駄目』って聞いていたんですが、全然そんなことないじゃないですか」
「あら、ジューゾーはそんな失礼なことを言っていたの?」
「はい、全く、失礼ですよね! 編み物だって、いい具合に上達してきているのに。駄目なんてことないじゃあないですか」
「編み物はねえ。安全に行えていいわよねえ。うっかり宙を舞うこともないし。飛んでも大事には至らないし」
「……えっ? ハンドブレンダーが空を飛ぶって噂、まさか本当のことだったんですか……」
アリサはハッと息を飲むと、ホホホと笑ってごまかした。つかの間気まずい空気が流れて、アリサはわざとらしく咳払いをひとつした。
「まあ、そういうわけで、ただいま絶賛〈仕事以外のこと〉を勉強中なのよ。これもその一環なわけ。だから、申し訳ないんですけれど、作業に集中させてはもらえないかしら?」
アリサがにこりと微笑むと男性陣は必死に頷いて、それ以上はしつこく迫るということはなく、適度な距離を保ってくれた。アリサは安心して、死神ちゃんや女性陣を頼って真剣に編み物に取り組んだ。
しかしながら時おり、アリサはクリスやピエロやケイティーと〈死神ちゃんの隣に座る権利〉を争った。そういうとき、死神ちゃんは決まって彼女たちから離れて男性陣と一緒に編み物を始め、彼女たちから「ケチ!」と抗議の声を浴びせられた。
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「――で、今日もアリサは寮に来ていたわけ?」
寮の雑務を中断させると、マッコイは椅子の背もたれに背中を完全に預け、マグカップを抱えて眉根を寄せた。そしてカップの中のコーヒーに視線を落とすと、ため息混じりに言った。
「別に、アタシももう気になんてしていないし、アタシを避けてこそこそとなんてしてないで、堂々と来ればいいのに。編み物だって、普通に教えるわよ、そんなの」
「ところで、何をそんな口論になったんだよ」
死神ちゃんが顔をしかめると、マッコイは柔和に微笑んで「秘密」と答えた。どうやらその〈口論〉とやらの原因が自分にあるらしいということについて、死神ちゃんは不服に思っていた。しかしながら、それを解明することはできないようだった。
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年末が近づいてくると、死神課の面々は冬季休暇中にある運動会の応援合戦に向けての練習が本格化して、寮にいることが少なくなった。今年は死神ちゃんも応援合戦に参加するため、編み物サークルへ顔を出すことができなくなっていた。
アリサはどうしているだろうかと心配になった死神ちゃんは、サークルメンバーの中で応援合戦に参加しない者に様子を尋ねてみた。すると、参加可能なメンバーが少ないため、サークル自体休止中にしているということを死神ちゃんは知った。
アリサに近況伺いのメールを打ってみると、サーシャに教わりながら編み物は継続中だという返事が来た。死神ちゃんは、彼女が〈頑張り〉を続けているということを知って胸を撫で下ろした。すると、アリサからさらにメールが送られてきた。そこには〈初めてジューゾーから、何かの返事ではないメールをもらった。とても嬉しい〉というようなことが書かれていた。死神ちゃんは心なしか申し訳なく思うとともに、苦笑いを浮かべた。
それから数日後。死神ちゃんたちが寮に帰って来てみると、玄関屋根の内側に身を隠すようにしてコウモリが止まっていた。ジッとしたまま動かないコウモリを見て顔を青ざめたマッコイは、慌ててそれを保護し、寮内に引き入れた。
マッコイは寮長室に入ってすぐに暖房をつけた。部屋が温まってくると、もこもこのタオルに包まれたコウモリはようやくもぞもぞと動き出した。死神ちゃんたちは勤務が明けたあと、運動会に向けての練習を行い、その足で夕飯を食べに行った。だから、
「何で連絡しないでずっと外で待っていたのよ!」
「連絡しようと思ったんだけれど、そう思ったときにはもうコウモリ姿で外に出てしまっていたものだから」
「ピクリとも動かないから、すごく心配したじゃない!」
「あまりにも外が寒くて、うっかり冬眠しそうになったのよ……」
気がつけば、アリサはマッコイの腕の中で元の姿に戻っていた。マッコイは彼女の体を必死に擦ってやりながら、死神ちゃんに隣の部屋から毛布を持ってきて欲しいと頼んだ。
自分が普段寝る時に使っている毛布で申し訳ないと言いながら、マッコイは死神ちゃんの持ってきてくれた毛布でアリサを包んでやった。アリサは薄っすらと微笑んで礼を述べると、毛布の中でガサゴソを何かを漁りだした。――毛布の隙間から出てきたのは、赤い手編みのマフラーだった。
「ねえ、見て。初めてにしては頑張ったほうだと思うのよ。これ、プレゼントしたら、喜んでもらえるかしら?」
「ええ、そうね。きっと、もらった人はとても喜ぶと思うわ。――アンタ、不器用なのに、頑張ったわね。すごいじゃない」
マッコイが目を細めて微笑むと、アリサは嬉しそうに微笑み返した。アリサはそのマフラーを、そのままマッコイの首に巻いた。驚く彼を気にすることなく、アリサは満足げに頷いた。
「うん、やっぱり、赤にしてよかった。あなた、肌の色が薄いほうだから、絶対こういう色が似合うと思ったのよ」
「えっ、これ、アタシに……?」
「ええ。――避けてたのは、気まずかったからではないの。驚かせたくて……」
アリサははにかむと、先日の口論の件を謝罪した。そしてマッコイに何やら耳打ちをすると、苦笑いを浮かべて「ごめんなさいね」と言った。マッコイが心なしか眉根を寄せると、アリサは申し訳なさそうに笑った。
「私、後悔したくないのよ」
「あら、欲張りね。それは困るわ」
「せいぜい困りなさいよ。――ね、今度、一緒にお洋服を見に行きましょう。あなた、せっかくお洒落するようになったのに、モノトーンな色合いばかりでしょう? もっと、いろんな色に挑戦しなさいよ。私が見立ててあげるわ」
「――アンタのそういうところ、嫌いじゃあないわ」
楽しそうにクスクスと笑い合う二人に、死神ちゃんは「何の話をしているのか」と尋ねた。二人は声を揃えると「秘密」と言った。
死神ちゃんは不思議そうに首を傾げたが、気を取り直すと「ところで」と言いながらポーチを漁った。
「俺も、アリサにプレゼントしたいものがあるんだが」
「あら、奇遇ね。アタシもプレゼントしたいものがあるのよ」
アリサが目を|瞬《しばた》かせると、死神ちゃんとマッコイはそれぞれ「慣れない編み物に頑張って挑戦し続けたご褒美」と言って袋を差し出した。
「いやだ、薫ちゃん。真似しないでよ」
「お前が真似したんじゃあないのか?」
「これ、私のために編んでくれたの? 二人とも」
袋の中身はアームウォーマーとレッグウォーマーだった。死神ちゃんはアリサがアームウォーマーを欲しがっていると聞いていたのを覚えていて、それを編んだ。マッコイは「きっと薫ちゃんのことだから、彼女のためにアームウォーマーを編んであげるだろう」と見当をつけてレッグウォーマーを編んだという。アリサは弾けるように笑うと、二人に抱きついた。
「ありがとう。大切にするわ。――大切にする」
心なしか声を震わせたアリサを、死神ちゃんとマッコイは抱きしめ返した。そして「温かい飲み物を入れてくるわね」と言って、マッコイは寮長室を後にした。死神ちゃんはようやく、身も心も、いろいろなものが解けて暖かくなった気がしたのだった。
――――いろいろな思いやしがらみが絡めば絡むほど、人間関係って難しいし解けなくなることがある。だからこそ、時には失敗したり迷惑をかけたりすることもある。でも、お互いのちょっとしたさじ加減で、いい塩梅を保つことはできるし、もっとよりよくすることだってできる。毛糸の扱いもそれと同じ。やっぱり編み物って、奥が深いと思うのDEATH。