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第196話 死神ちゃんとキックボクサー④

 死神ちゃんが小さな森へとやって来てみると、〈|担当のパーティー《ターゲット》〉と思しき闘士が顔面に青タンをこさえて体育座りしていた。彼はぼんやりと空を眺めながら、側を行き交う切り株お化けのきのこをツンツンと突いていた。死神ちゃんは切り株の一匹にまたがると、何事もないかのごとく彼の周りをチョロチョロと動き回った。
 彼は死神ちゃんに気づくことなく呆けたまま、近くを通り過ぎるきのこを流れ作業のようにツンツンし続けていた。しかし突然きのこから突き返されて、彼はギョッと目を剥いた。目の前で死神ちゃんがにっこりと笑っていることに気がつくと、彼は顔をくしゃくしゃにして死神ちゃんに泣きついた。


「うおおおおおおん! 筋肉神~っ!」

「何だよ! いきなりマックスで泣き出すなよ!」

「助けてくれよ、筋肉神! 俺は一体、どうしたら良いんだ~っ!」


 おいおいと声を上げて泣く闘士――ケイティーのレプリカにぞっこんの、少しM気質なキックボクサーに、死神ちゃんは思わず顔をしかめた。一体どうしたのかと死神ちゃんが尋ねると、彼はしょんぼりと肩を落とした。


「乙女心と秋の空って言うけどよ、ありゃあ男にも当てはまることなのか。それとも、単に今が秋だから人肌恋しくなるのは仕方ないことなのか」

「現在の季節は関係ないだろう。――何だよ、女闘士以外にも気になる相手ができたってわけか」


 彼は気まずそうに頷くと、ボソボソと話し始めた。
 何でも、彼の所属するキックボクシングジムに女性が一人入会したのだとか。彼女はあまり若いとは言えず、全くの素人でもあったため、誰もが〈健康維持のための習い事で来たのだろう〉と思っていた。しかし、彼女は初レッスンから素晴らしい才能を開花させたそうだ。キックボクサーは女闘士に惚れているにも関わらず、そんな才能溢れる彼女にうっかりときめいてしまったのだという。


「彼女、本当にすごいんだ。あのキレのある蹴りで是非とも蹴られ……彼女が育ってきたら、いつか手合わせしたいなと今から楽しみで。しかも彼女、実は既婚者らしいんだが、旦那が飲んだくれすぎて頭にきて出てきたそうで。格闘経験といったら、その旦那を叩きのめしていたくらいとか言って笑っていたんだが、俺はその旦那が羨ま……惚れた女がありながら、傷心の彼女を慰めたいと少しだけ思ってしまって」

「ちょっと待て。何だか聞き覚えのある話だな、それ……。――えっと、何だ、要するに、いつ遭遇できるか分からない上に実力差のありすぎる女闘士に蹴り殺されるよりも、近場のおばちゃんに程よく蹴られたいと」


 死神ちゃんが呆れ顔でそう言うと、彼は血相を変えて「そんなこと言ってねえ!」とうろたえた。死神ちゃんはハンと鼻を鳴らすと、彼をじっとりと睨みつけた。


「何が〈言ってない〉だ。ちょいちょい本音が漏れてただろうが。どちらにせよ、まるで遠距離恋愛中に浮気しちまう男の言い訳みたいだよな、それ」

「だよなあ……。たるんでるよなあ……。俺は、女闘士さん一筋だったはずなんだ。これからだって、一筋で行くんだ!」

「ああ、もしかしてその青タンは、おばちゃんに手を出しでもして旦那から報復でも受けたのか」


 ニヤニヤと笑う死神ちゃんに彼は否と答えた。彼は本日、女闘士への思いを再確認すべくダンジョンへとやって来たのだそうだ。そして打倒女闘士の前段階として挑んでいた有袋類に再び挑戦し、途中棄権して逃げてきたのだという。


「これは、その時にできた|痣《あざ》さ」

「お前、まだ有袋類に勝てないのかよ」

「おう、残念ながらな。だから今日はこのあと、有袋類攻略のために挑んだ五階の甲殻類を打ち倒すべく、また別のモンスターに挑もうと思っているんだ」


 そもそも、ダンジョン内のモンスターは下層に行けば行くほど強いものが配置されている。つまり彼は、四階の有袋類を倒すという名目で五階の甲殻類に挑んでいたわけだが、普通に考えれば五階のモンスターのほうが四階のものよりも強いのだ。だから、有袋類を倒せない彼が甲殻類に勝てるわけがないのだ。――そのことに気づいているのかなと思いながら、死神ちゃんは首を傾げた。彼は死神ちゃんの胸中など知る由もなく、笑顔で拳を握りやる気を見せていた。


「甲殻類って、あの硬い殻を攻略できたら楽勝だと思うんだ。だから俺は、ものすごいクリンチを売りにしているモンスターから、そのクリンチ技術を盗もうと思っている。熱烈ハグで、動きを封じるどころか殻を割ってやるんだぜ!」

「いっそ、そのハグを女闘士にお見舞すればいいだろう」

「お嬢ちゃん、そいつはまだ早いって!」


 デレデレと相好を崩すと、キックボクサーは身悶えた。死神ちゃんは表情もなく鼻を鳴らすと、適当に相槌を打った。
 落ち込んだ気持ちが一気に浮上してきたキックボクサーは、五階目指して颯爽と森を去った。死神ちゃんは彼のあとをついていきながら「どのモンスターだろう?」と首を捻った。しばらくして到着した場所は水辺の区域だった。思わず、死神ちゃんは顔をしかめてポツリとこぼした。


「何だよ、また水産物かよ。しかも、()()か。あの飲んだくれが酒の肴にしようとしてたやつ……」

「飲んだくれ? 何の話だ? ――おっと、海老がいやがる! 気づかれないようにしなきゃあな……」


 キックボクサーはコソコソと身を潜めて方々を|彷徨《さまよ》い歩いた。少しして、鼻をつくツンとした臭いが辺りに立ち込めてきた。死神ちゃんは苦虫を噛み潰したような顔をすると「やっぱり」と呟いた。


「いや、お嬢ちゃん。早まるなよ。まだ()()だと確証がとれたわけじゃねえんだからよ」

「いや、どう見ても()()だろ。たしかに、クリンチ得意そうだよな。――さあ、ほら、熱烈ホールドで愛されてこいよ」

「いやいやいや、()()がホールドしたら離さないのは、愛しいからじゃあねえだろうよ! 絡みつく腕に吸盤まで付いていたら、そりゃあ逃れられねえだろうよな!」

「でも、甲殻類の殻を破壊するほどの威力には違いないだろう」


 キックボクサーはなおもギャアギャアと「いやでも」を繰り返しながら、ボクシンググローブを身につけた巨大なイカを指差した。死神ちゃんはニコニコと笑うと、〈早く行け〉と言わんばかりに彼の体をイカのほうへと押しやった。彼はため息をつきながらグローブを装着すると、腹を括ったとでも言いたげに両拳を打ち鳴らした。
 鬨の声を上げると、彼はイカが突き出してきた複数の腕を掻い潜りながら胴体へと近づいていった。


「心臓ひと叩きで弱らせてやらあ!」

「そういやあイカって、心臓は三つあるらしいな」


 まさに殴りかからんとしていたキックボクサーは死神ちゃんの言葉に驚嘆すると、攻撃を中断してイカと距離を置いた。彼はしばしイカを観察したが、どこにメインの心臓があるのかも、そしてどこに他ふたつの心臓があるのかも判断がつかなかった。そのため、今度は頭を狙おうと彼は考えた。
 長い腕を伝い、ぬるぬると滑る足場に苦戦しながらイカ本体に近づいていくと、彼は高くジャンプして三角の部分にケリを入れた。得意げに地面へと着地した彼に、死神ちゃんは「それ、頭じゃあないぜ」と教えてやった。


「ええええ!? こいつ、頭どこにあるんだよ!? ――ぎゃあああああああ!」


 狼狽している合間に、彼はイカに捕獲された。死神ちゃんはにこやかな笑顔を浮かべると、声援を送り始めた。


「なんで今さら応援なんか!」

「だってお前、クリンチの技術を盗みに来たんだろう? ほら、頑張ってそこから抜け出せよ」

「そうだけ――どおおおおおおお!?」


 キックボクサーはイカの愛に負けた。灰となって砕け散る彼に肩を竦めると、死神ちゃんはそのままスウと姿を消したのだった。



   **********



 死神ちゃんが待機室に戻ってくると、グレゴリーがうっとりとした表情でモニターを眺めていた。死神ちゃんが近づいてきたことに気がつくと、彼はボソリと呟くように言った。


「今日の夕飯は水産物で決まりだな」

「あんた、一途なのはいいけれど、そういう一途はいい加減卒業しなよ。〈今日はこれ!〉ってせずに、満遍なく食べな」


 そう言いながらケイティーが呆れ果てたが、グレゴリーはマイペースにどの店に行こうかという算段をし始めた。ケイティーはため息をつくと、死神ちゃんを見下ろしてニヤニヤと笑った。


「逆に|小花《おはな》は愛がいっぱいだよな。ビュッフェ大好きでさ」

「いろいろと食えるほうが、迷わなくていいだろう。ていうか、そういう含みのある言い方やめろよ。俺は、|キックボクサー《あいつ》と違って移り気でも浮気性でもございませんので」

「ああうん、そうだよね。知ってる知ってる」


 死神ちゃんは、依然ニヤニヤと笑ってくるケイティーを不機嫌に睨みつけた。すると、横合いから「私、|薫《かおる》に一途に愛されたい!」とクリスがアピールしてきた。さらにはピエロが楽しそうに「あちしもあちしも!」と混ざってきた。ガチな求愛と囃し立てをまとめて受け流しながら、死神ちゃんは退勤の準備を始めた。そしてグレゴリーに「シーフードのいいお店、いくつか知ってますよ」と声をかけたのだった。




 ――――食欲の秋だもの、いろんな食べ物に目移りしてしまうのは仕方がない。でも、想い人については目移りせず、ただ一人を見つめていたいものなのDEATH。

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