十二話
気づけば、『ジャヴァリー変異種』を討伐してから更に約半年の月日が流れていた。
「もう、儂がお主に教える事は何もないわ」
そんなある日の出来事。
マクダレーネは俺に向かってそう言い放った。
「それに、観察の結果も出ておるしの」
付け加えるようにそう口にする。
マクダレーネ曰く、一年観察したがやはり原理は分からなかったらしい。本当に偶然の産物。
恐らく、俺と全く同じ体質ならば今回のような突然変異の可能性は無きにしもあらずと言っていたが、瀕死の状態で氷漬けにされたいと思う者もおらぬだろうとマクダレーネですら匙を投げていた。
「そっか」
にべもなく俺は返答した。
一年。それが約束であったから。
氷の義手が目立たないようにとマクダレーネが用意してくれていた黒い手袋を引き締め、机に置かれた小さめの鞄を肩にかけた。
「これからどうするつもりじゃ」
「取り敢えず、墓参りかな」
「墓参り？」
「そ。一先ず母親の墓参りに行こうと思ってる」
母親が他界したのはもう10年も前の話。
ツェネグィア伯爵家当主であった父親の側室で、無能な俺を生んだ事による周りからの嫌悪の目に耐え切れず、家を逃げるように飛び出した母親。
しかし、運悪くも家を出た日。
生家である実家に帰ろうと馬車に乗っている最中、道が崩れ、そのまま亡くなったと俺は聞いており、その墓へお参りしに行こうと思っていた。
最後こそ、俺を置いて出て行ってしまった母親だけど、唯一愛情と言えるものを注いでくれていた人物であるから。
「左様か」
マクダレーネはそれだけ言って口を閉ざした。
けれど、それだけでは味気ないと思ってしまい、後腐れなく出て行くつもりだったというにもかかわらず、俺は足を止めてしまう。
鞄を置いていた机。
そこへ無造作に置かれていた錆びた指輪を掴み、手の中で転がしながら俺は話を切り出した。
「楽しかったよ。この一年は、さ」
疑心暗鬼になるしか道はなかった今までとは異なり、ひとの温かさを感じられる素敵な一年だった。
仲の悪かったクラウスとも、あの『ジャヴァリー』討伐以来、友人と言える程度には和解をしている。
本当に、楽しい一年だった。
「なんだかんだ言って、凄く、楽しかった」
鍛錬内容に文句を言ったり。
家事を全て押し付けられたり。
色々あったけれど、今まで生きてきた中で一番楽しかった時間だと言い切れた。
「にしても……奇縁だよね。魔法が使えないからと殺されかけ続けて。で、実際に死ぬ一歩手前まで追い詰められて。それを助けられて。なんやかんやとあって、さ。気が付けば、俺も魔法を使えるようになってた」
ツェネグィアの親族連中から逃げて、逃げて。
そんな逃避行な未来が待っていると思っていたのに、気がつけばこうして『エルフ』から魔法を教わっていた。
「巡り合わせって言うのかな。人生って、捨てたもんじゃないといつの間にか、思えるようになってた」
コロコロと、指輪を転がす。
「墓参りをしたその後は、どうしよっかな。折角アウレールも付いてきてくれるみたいだし……、世界を周りながら美味しいものでも食べて……それからそれから——」
「ぐずぐずしとらんと、早う出て行かんか」
思い出語りをする俺を、言葉では突き放すも、マクダレーネの顔は笑っていた。
そして、手の中で転がしていた指輪を机の上に戻す。
「ま、今度は俺が守る番だからさ。恩返しの旅でもしてくるよ」
そう言って、俺はゆっくりとした歩調で机から離れ、扉へと向かった。
「その指輪、忘れとるぞ」
「ん？」
「じゃから、そこの指輪じゃて」
「ああ……」
先程まで弄っていた錆びた指輪。
マクダレーネはそれを指差し、指摘をしていた。
しかし、俺が取りに戻る様子はなく、彼女はその行動に眉根を寄せる。
「必要無いんだってさ」
そもそも、この指輪は俺の私物では無い。
これは、アウレールの物だ。
「必要、ない？」
ガラクタのような見た目をした錆びた指輪。
名を——『変幻の指輪』と言った。
使用者の性別及び、見た目を変える特別製の指輪。
『エルフ』にのみ効果があらわれるそれは、以前までアウレールの身を守っていたものであった。
村から売られてしまった際。
知り合いの者より同情され、せめて、と女性だから持たされていた指輪。
そのせいで、俺は当初アウレールを男と認識していたのだが、どうしてか、里の外に出ると言うのに要らないから置いて行くと言ってここに放置していたのだ。
「……嗚呼」
数秒ほど経た後、得心したマクダレーネはそう言って笑ってみせる。
「お主、随分と信頼されとるんじゃのう」
「期待に添えるようにまだまだ強くならなくちゃって事かな」
「まだまだて……。お主は一体どこを目指しとるんじゃ……」
どうしてか呆れられたけれど、未だマクダレーネには勝てないし、まだまだ鍛錬不足かなあと思ってしまう。
以前とは違い、努力が実力に直結するのだから、さして苦ではない。そう思い目を少しばかり輝かせているとマクダレーネの口から深い深いため息が聞こえた。
「まあ、良いわ。何言っても無駄じゃと言うことは理解したわい」
その言葉には納得がいなかったけれど、アウレールも外で待ってるしそろそろ行かなくちゃと思い、俺は扉を押し開ける。
「達者での」
「マクダレーネもね」
振り返る事なくそれだけ告げて俺はその場を後にした。
そして、俺が出て来るその時を待っていたのか、眼前に見慣れた『エルフ』が一人。
「よお、クソガキ」
多少、物腰が柔らかになっても変わる事のない呼称。
「や」
「ご老体から聞いたぜ。今日出るんだってな」
「耳が早いね」
「てめえらが居なくなると、『ジャヴァリー』の討伐が少し面倒になるからな。おれに気を使ってくれたんだろうよ」
このクラウスという『エルフ』は、聞けば里一番の弓使いらしく、『ジャヴァリー』が現れた時などは率先して前に出る特攻役のような立ち位置であり、現村長の孫なのだとか。だから、特に『ジャヴァリー』討伐に携わっており、残り半年の間。暇だろと言われ半ば強制的に連れ出された事も両の手で収まらない程だ。
「アウレールのやつを連れてくんだってな」
「羨ましい？」
「アホ抜かせ」
けらけらと他愛ない話に花を咲かせる。
何を隠そう、アウレールへあの指輪を渡した人物というのがこのクラウスだったからだ。
「人間だらけの外へ出るヤツの気が知れねえが……てめえもアウレールも、しくじるんじゃねえぞ」
ほんの少しではあるが、俺の生い立ちをクラウスにも話している。幼少の頃から殺されかけていたという話も、一部からは恨みを買われていることも。
そして、『エルフ』という種族は人間の奴隷商人からすれば金貨千金であるという事も。それら全て引っくるめての発言。けれど、その言葉は彼にはとてもじゃないが似合わなかった。
「ぷくくっ」
笑いを堪えきれず俺は口を手で押さえて破顔した。
「どうやらぶっ殺されてえらしいなクソガキ……っ」
「待って待って！！ 弓はなし！！ ちょ、矢をつがえんな！！」
無造作に背負っていた弓を取り出し、弓を番えようとするクラウスに対して慌てて待ったをかける。
「うっせえ！！ 人が折角心配してやってんのに笑うてめえが悪い！！」
程なくしてひゅん、と風切り音に似た音が直ぐそばを通過した。
「ま、マジで射ってきた！！？」
驚愕に目を剥きながら、俺は慌てて飛び退く。
「アウレールのヤツは里の入り口だ！！ 眉間にぶち込まれたくなけりゃ、さっさとどっか行っちまえクソガキ！！」
その言葉を最後に、俺は笑いながらその場を後にせんと駆け走る。
図星を突かれて照れているのだと。
少々、物騒すぎる気もしなくも無いが、あの行為は照れ隠しなのだと半年の付き合いで理解していたからこそ、俺は笑った。
「一年間、世話になった！！！！ マクダレーネ！！ クラウス！！」
周囲一帯に響かせんと発した大声量。
「煩いわ」と苦笑いしながら扉から顔を出すマクダレーネと、弓を下ろすクラウスに数回手を振り、
「また来る！！！！」
それだけ告げて、俺は走り去って行った。
「……行っちまった、な」
「なんじゃ？ 当時の自分が無力だったせいで幼馴染が身売りされ、数年荒れてとったが、久方ぶりに帰って来てみれば人間を連れていた事に、それはもう荒れに荒れていたクラウスはアウレールが心配かの？」
「てめえもぶっ殺してやろうか……ッ！！」
マクダレーネに揶揄われた事で、青筋が浮かび上がり、ミシミシと手にしていた弓を力強く握りしめながら殺気を向ける、も。
しかしそれはものの数秒で霧散した。
「はぁ……まあいい。結局、どうなんだ。あのクソガキはよ」
「む？ 力量ならばお主が一番知っておろう？」
「
おっと、そうじゃったかの？
と、さも今気づいたかのようにマクダレーネは口にし、人知れずクラウスの怒りゲージは上昇していた。
「そうじゃのう。『氷』魔法に限定すれば……恐らく儂を超えとるじゃろうな」
「……おいおい、冗談にしちゃ笑えねえぞご老体」
「冗談ではないわ。そもそも、あやつは正真正銘『氷』よ。予想であるがゆえ、ナハトには言っておらんが、腕を斬られた状態での氷結状態。あれが最たる原因じゃろうな」
あん？と眉をひそめるクラウスに、気遣う素振りもなく、マクダレーネは淡々と己の考えを述べていく。
「恐らく、あの断面から顔を覗かせていた魔力回路にアウレールの『氷』の魔力が最適化したんじゃろう。一年もの間凍り続け、尚且つ『氷』の魔力を受け入れられるだけの器。まあ、よくもかような偶然が重なったものよの。『氷』魔法しか使えぬ欠点こそあれど、こと『氷』に関しては右に出るものは居らん気がするのう。儂ももうお手上げじゃ」
魔力回路とは、生物誰しもに備わっている器官の一つ。
毛細血管のように身体中に張り巡らされており、目に見えぬ小さな小さな血管のようなものだ。
それがたまたま、腕を斬られていた事で顔を覗かせていた。
「体術もそれなりに仕込みはしたが、『氷』と比べるとハッキリ言ってイマイチじゃな。面白半分に剣も仕込もうと試みたものの、幾ら教えても無茶苦茶なチャンバラにしかならんかったわ」
『氷』魔法が目を見張るものであるだけに、残念極まりないわと項垂れるマクダレーネであったが、クラウスの評価は違っていた。
そもそも、マクダレーネはどうにも忘れているようだが、彼女は『長老』である。
長寿でありながら、魔法に長けた『エルフ』の一族全ての者から『長老』と呼ばれ称えられた伝説と言ってもいい『エルフ』の一人。
彼女は基本的に、『ジャヴァリー変異種』による『エルフ』の里への被害を抑えるために里を回っている存在だ。
実年齢は1000を越しているとまで呼ばれるマクダレーネだからこそ、クラウスは終始『ご老体』と呼んでおり、彼女を目の敵にする連中への配慮からクラウスも黙ってはいるが、恐らく『エルフ』最強。
それがクラウスの下したマクダレーネという女性の正体であり、総評。
その彼女が、『氷』魔法に限っては自身を超えているという。
「ま、他に遅れを取らねえんなら問題はねえよ。アウレールに何かあればぶん殴るだけだ」
「心の声が漏れとるぞ」
「ちげえよ！！！ これはどう考えても同族としてだろうが！！！ なんでてめえらはすぐそうやってそれに結びつけようとすんだ、ぶっ殺すぞ！？」
———にしても、嵐みたいなヤツらじゃったのう。
そう言って徐にそらを仰ぐマクダレーネ。
視線の先には、雲ひとつない澄んだ青空が広がっていた。
「……はぁ」
次いで、物憂げな面持ちでため息をもらす。
一体何を言うのやらとマクダレーネを横目に、様子をうかがうクラウスであったが……
「良い
「そっちかよ」
しんみりとした雰囲気は跡形も無く吹き飛び、普段通りの空気が場に下りる事となった。
