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6-10. 解散

 心を落ち着けようと、リュカの足は自然とお気に入りの庭園へと向かっていた。
 ただ、その存在を失念していたのは、やはり乱された感情が原因なのかもしれない。

「リュカ様!」

 頰を上気させて名前を呼ぶのは、親衛隊隊長のサーシャだ。その後ろには数人の隊員達が控えていて、一人静かに過ごしたかったリュカは、思わず眉根を寄せる。

「こちらにいらっしゃるなら、お迎えにあがりましたのに」

 サーシャの笑顔を見ても、ユウリの破顔を目にした時と違って、ただ鬱陶しさが湧き上がり、リュカは多少の驚きとともに苦笑した。

 ——もうとっくに、答えなんて出ていたんだ

 こんな関係で埋まるわけがなかった。
 容姿と地位とを盾にして、それを崇拝する彼女らを侍らせたところで、本当に愛した女性(ひと)を失った喪失感をどうにかすることなんて、到底無理なのだ。
 彼女達の存在ができることは、ただ、何もかもを捨て去った自分の罪悪感から目を背けさせてくれることだけだった。

「サーシャ」
「はい、リュカ様」
「俺は、もう嘘をつけないらしい」
「え?」

 リュカの口元に上った妖しげな笑みは、いつもとどこか違って見え、サーシャ達親衛隊は怪訝な顔をする。
 それを物悲しげに眺めて、リュカは呟いた。

「親衛隊は、今日限りで解散しよう」
「な!?」

 ——今からでも遅くないなら

「どういうことですか、リュカ様!」
「俺のワガママで、今まですまない」

 初めて目にした、頭を下げてまで謝罪するリュカに、親衛隊はただ茫然とする。

 ——あの幸せな過去が真実であると
 ——認めれば、楽になれるのだろうか

「……それ程までに、あの庶民を慕っておられますの?」

 ポツリとこぼしたサーシャの呟きが、空気を変えた。
 今度は、リュカが訝しげに彼女を見る。

「何のことだ?」
「あの《奨学生》が現れてから、リュカ様は変わられました!」

 サーシャが、ユウリのことを言っているのだと気付き、リュカは溜息を吐いた。

「何だって、君達は、そんなにユウリを目の敵にするの」
「それは、リュカ様が……!」
「サーシャ」

 冷たく響いた声音に、サーシャはびくりとして口を噤む。

「いつから、俺に口答えなんて出来るようになったんだろうね?」
「も、申し訳ございません……」
「俺の決定は、絶対じゃなかった?」

 サーシャはぐっと唇を噛んだ。
 確かに、親衛隊にとって、リュカの命令は絶対だった。隊長として、サーシャはそのルールを厳格に取り締まった。
 けれど、それは偏に親衛隊内での均衡を保つためだった。
 リュカはいつだって、誰かに偏ることなく、平等に親衛隊を扱う。
 隊長であるからといって、『寝室』に選ばれる回数は、他の隊員と変わらない。
 だから、その公平さを思い出して、どんな理不尽な要求に思えても、飲み込んできたのだ。

 それを、ただ一人の一般庶民が覆したとしたら?

 到底、聞き入れられるものではない。
 ただ、それでも、リュカが認めなければ、引き下がるしかなかった。
 追求して、二度と言葉すら交わしてもらえなくなった女生徒達の末路を、サーシャは知っていたからだ。

「ただ、俺が疲れたから辞める。問題ある?」
「……いいえ」

 俯いて応えた彼女に、リュカはホッとした。
 確かにこの心変わりはユウリによってもたらされたものだが、彼女達の嫉妬や憎悪が向かう先は、自分だけで良いと思う。
 ユウリは、理不尽な彼女達の怒りをも全て受け止めて、傷つくことを厭わないだろうから。

「それじゃあ」

 彼女達に背を向けて去っていくリュカを、無言のまま見送って、サーシャは地面に崩れ落ちた。

「サーシャ様!」
「きっと、いつもの、リュカ様のお戯れですわ……!」

 泣き顔の親衛隊員達がサーシャの周りを取り囲む。慰めの言葉は、虚しく響く雑音でしかない。

 ——お戯れなどではなかった

 ずっと見てきたからこそ、わかる。
 リュカは本気だった。

「もし、お嬢様方」

 嗄れた声が、座り込んだままのサーシャ達に掛けられる。
 その老人は、古びた薬箱を、身長の何倍にも積み重ねて背負っていた。

「学園の小売店に行商に来たんじゃが、迷うてしもうて」
「……《北の街》へはこちらの北門、ケーブルカーでしたら、あちらから廻ればよろしいですわ」
「ほうほう、ありがとうございます」

 一人の親衛隊員が答えると、老人は人の良さそうな笑みを浮かべて、北門へ向かう道を歩き始め、ふとその足を止めた。

「お礼と言ってはなんじゃが、お手伝いをしましょうか」
「え?」
「なぁに、ワシはちぃとばかし耳が良いんでね」

 揉め事が聞こえたのだ、という老人に、親衛隊員が警戒の色を濃くする。

「お美しい貴族のお嬢様方を袖にするなんて、凄いお方ですなぁ」
「ぶ、無礼な! 盗み聞きなど……」
「言うたでしょ、ちぃとばかし耳が良いだけの行商のジジィじゃ。ただ、孫ほどのお嬢様方が嘆いとるのが不憫でな」

 老人の囁きが、サーシャの耳に思いもよらぬ程心地よい響きを放った。

「見返して、やりゃせんか」

 ——その手伝いをしてやるぞ

 老人が降ろした薬箱に、禿げかけた金の紋章が光った。

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