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五話

 扉を押し開けた先。
 眼前に広がっていたのは緑緑とした自然の景色。
 人の手が全く加えられていない壮大な光景が飛び込んできた。
 点在する木造りの母屋と思しき建物も、景色の一つとして違和感なく同化している。ツェネグィア伯爵領ではまずお目にかかれないであろう光景であった。


 次いで、視界が捉えたのは見慣れない身格好をした多くのひと。
 何処と無くアウレールと雰囲気の似た彼らは全員が———『エルフ』と呼ばれる種族の者であった。


「アウレール!!!」


 がなり立てるような怒声が、小屋を出るや否聞こえてきた。
 弓矢を手にした狩人を想起させる身格好の男。
 駆け寄りながら怒鳴る彼に対し、どうしてかアウレールはぺこりと小さく頭を下げていた。


「ジャヴァリーが出たってんのにてめえは何して——」


 責め立てるように言葉を続ける男。
 しかし、彼女が肩を現在進行形で貸している人物——俺の存在に気付き、言葉を止めた。


「コイ、ツ……は、あぁ、凍っていた死に掛けか。あの状態から目が覚めるとは、てめえはよっぽど悪運の強い人間らしい」


 侮蔑に似た感情が乗せられた言葉。
 やはり、特別容姿の整った『エルフ』を奴隷として高く取引を行っていたりする一部の者が目立つ人間と、彼らとの溝はやはり深いらしい。


「が、目が覚めたってんなら、てめえには言っておかねえといけねえ事がある」


 そう言って男は手にしていた弓を背に担ぐ。
 続けざま、どうしてか男の視線は俺からアウレールへと移り、キッ、と彼女を睨め付け、口を開いた。


「……おい。何をボサッとしてる。アウレールはさっさとジャヴァリーの討伐に向かえ。それが約束(・・)だろうが」
「……分かっている」


 男の言葉により、視線を下に落とす彼女であったが、直後。
 俺にだけ聞こえるであろう小さな声量で声が聞こえた。


「……一人で立てるか?」



 厄介な奴に見つかった。
 アウレールの表情にはそんな言葉が張り付いており、俺は苦笑いをしながら返答することにした。


「オーケー。ちょうど背もたれもあるし心配はいらないよ」


 小屋から出たばかりであった事が幸いした。
 そう言うや否、俺は彼女の肩から手を退け、すぐ側の小屋の扉にもたれかかる。
 

「……すぐ、戻る」


 それだけ告げて、アウレールは何処かに向かって走り出した。
 ジャヴァリーという名の何かを退治しに行くのだろう。
 小さくなっていく背中を眺め続け、米粒程度になったところで俺は『エルフ』の男へと改めて向き直った。


「自己紹介はいる?」
「人間の名前なぞ、聞きたくもねえ」
「そっ、か」


 敵意は丸出し。
 あまり良い話ではないんだろうなと大方の予想は出来ていたものの、聞かないという選択肢を目の前の男が許してはくれないだろう。


「ところで、さっきから言ってるジャヴァリーって?」


 どうせ逃げられないんだ。
 だったら、聞きたい事を聞きたいだけ尋ねてやろう。
 そう思って、問い掛ける。


「ジャヴァリーってのは魔物だ。ここら辺によく出没する魔物の一種。作物を荒らす魔物だから見つけ次第、討伐するのが決まりだ」


 すると、意外にもまともな返答が返ってきた。
 不必要な問い掛けは嫌うタイプだと思っていたが、違ったか……? と思うも、その考えが勘違いであるとすぐに悟る。


「そして、ジャヴァリーの討伐に参加する事が、てめえが目を覚ますまでエルフの里(ここ)で匿ってやる条件だった」
「…………」


 だった。
 あえてそこを強調するあたり、今日にでも出て行けと言われるのかもしれない。
 身の毛がよだつ対象である人間を、近くには置いておきたくない。その意思表明なのだろう。


「どうやってアウレール(アイツ)を誑し込んだかはしらねえし、聞く気もねえが、目が覚めたんならあの売女共々、さっさと出て行け」


 先程から遠くで見つめてくる複数人の『エルフ』からも、侮蔑に似た視線が向けられていた。きっと、男の言葉はここの『エルフ』の総意なのだろう。


 でも、今の身体すらまともに動かない状態でここを追い出されるわけにもいかなかった。何よりアウレールの優しさに、このまま甘え続けるわけにはいかないから。
 だから、みっともなくていい。


「……なあ」
「ダメに決まってんだろうが」


 もう少しばかり留まらせては貰えないか、と。
 頼み込もうとした刹那。
 先回りをするように、拒絶の言葉が即座に返ってきた。


「『エルフ』が人間からどういう扱いを受けてるか、知らねえてめえじゃねえだろ」


 なにせ、実際に飼ってやがったんだから。
 と、皮肉めいた言葉が聞こえてくる。


「これでも十分特例なんだ。ごねるってんなら殺すぞ?」
「……流石に、それは勘弁して欲しいね」


 そう言って向けられた殺気は、容赦のないひと睨み。
 冗談の類いではなかった。
 生かされたこの命。決してドブに捨てるわけにはいかない。
 だから俺は、口ごもる事にした。


「にしても、馬鹿な女だよなあ」


 声が、聞こえた。


「奴隷の頃に、優しくされた程度でここまで必死になるんだからな。村には売られて奴隷にされ、買われた先で出会ったご主人様。今じゃそいつに嬉々として尻尾を振ってやがる」


 人を馬鹿にするような笑みを表情に刻みながら、男の言葉は続く。


「村から売られた事については同情をしてやるが、それでもアウレール(アイツ)の生は哀れと言わざるを得ないだろう? 自身を飼っていた貴族のガキを、まるで大事な家族のように想い、助けようと必死に奔走してやがったんだ。おれらは口を揃えて何度も言ってやったさ。てめえは哀れだ、と。にもかかわらずアウレール(アイツ)は意見を一切変えようともしねえ。そんなヤツを馬鹿な女と言わずしてなんと言いあらわすよ?」


 ピキリ、と。
 堪え切れない苛立ちに、青筋がうすらと浮かび上がる。
 けれど、堪えなければいけないと理性はまだ働いていた。
 きっと、俺が意識を失っている間、アウレールはもっと酷い罵声を浴びせられていたはずだ。
 それもこれも、場所を追い出されるわけにはいかなかったから。


 だから、俺も堪えなければならない。
 言い返すな。口ごもれと己自身に向けて必死に言い聞かせ続ける。でも、それは不可能だった。


「アウレールは、優しいヤツだよ」


 口癖は、恩讐だけは忘れない。
 そんな事ばかりの意地っ張りなヤツ。
 それでいて、すごく優しい『エルフ』


 アウレールという為人を知っているからこそ、言葉が口を衝いて出てしまう。


「そりゃ、てめえの目にはそう映るだろうよ。飼い犬と主人。ご主人様に尻尾振るのが飼い犬の役目なんだ。てめえにゃさぞかし従順に映ってただろうなあ?」
「俺はアイツを———!! ッ、ぁ、がぐッ!?」


 奴隷として扱ったつもりはない。そう、言おうとするも、不意に眼前の男の手が俺の顔を思い切り掴んだ。
 掴み上げるように、ぐぐぐと身体が上に持ち上がっていき、10秒も経たないうちに足が地面と離れてしまう。


「いいか、よく聞け。ぬるま湯に浸かり切った貴族のクソガキ」


 憤怒の混じった血走った瞳でこちらを射抜く。
 敵意が、滲むようであった。


「おれからしちゃ、てめえも、他の人間も。どいつもこいつも皆同じなんだよ」


 ビキリ、と。
 力強く握られた手の先から、骨が軋む音が響く。
 頭が割れると錯覚すら起こしてしまう程の痛みだった。


「てめえもアウレールを、『エルフ』を奴隷として利用してたんだろうが? だったら、てめえも、他の貴族も変わらねえんだよ。なのになに自分は間違っていないと、優しいと悦に入ってやがる? 自覚しろよ!? てめえも、他の奴らと同じ、良いように利用をしていたクズだとよ!!!!」


 ドガンッ! と、背中に強い衝撃が走る。
 思い切り、壁に押し付けられたのだと、遅れて俺は理解をした。


「……特に、てめえみてえなヤツが一番タチが悪い。ハッキリ言ってやろう。10の悪を見続けた奴らは、たとえ悪だろうと2の悪を見た日にゃそいつを善人と勘違いしやがるんだ。ああ、コイツは良い奴なんだなってな。するとそいつは、勘違いの視線にあてられてまるで己が善人であるかのように振る舞い始めるんだ。果てに、間違いだらけの偽善は横溢する。奴隷という存在を認めている事自体が罪だという事に気づこうとすらしやがらねえ。全く、救い難いやつらだろ? ……それが、てめえの正体だ」
「…………」


 反論は、出来なかった。出来るはずもなかった。
 何故なら、その通りだったから。
 奴隷である事を良いことに、俺は己自身を守ってくれと話を持ちかけた。それは、利用しているに他ならない。
 どれだけ取り繕おうが、俺が奴隷として見ていなかろうが、彼らからしてみれば、俺は主人で、彼らはどこまでも奴隷なのだ。


 だけど。だけど……


「……わがっ、でる」


 抑え付けられた状態のまま、俺は搾り出すように声をもらした。


「わがっ、でるけど、俺だって必死だっだんだ!!!」


 思い起こされるのは、理不尽な日々。
 生まれ落ちたその瞬間より齎された『落ちこぼれ』という地位。
 出来損ないと揶揄され、家族からもいない者として扱われ続けてきた。魔法の才能もなく、誰かの力を頼らなければ生き延びる事すらままならなかった。


 だから、手を伸ばした。
 『奴隷』という存在に。


 そして、せめてもの償いの為に。
 欲していた温かみを求めて、己の家族として接するようにした。
 出来る限りの事はしてきた。だから、俺を守って欲しいと。
 そんな、情けない話を何度も、何度もしてきた。


「必死だったら、何もかも許されるってか? 随分と都合のいい頭をしてるようで羨ましい限りだ」


 『エルフ』の男の声が聞こえる。


 だったら、俺は大人しく殺されたら良かったのかよ……。
 理不尽に親族連中の都合だけで殺されて、屍を晒したら良かったのかよ。


「ふざ、けんな……!!」


 左の手で、俺は頭部を掴み上げる男の腕を思い切り掴んだ。


「お前に、なにがわかる。俺の、なにを知ってる」


 ふつふつと沸き立つ感情。
 これは、怒りだった。


 まるで呼応するように周囲の気温が何故か下がって行く。
 パキパキ、と何かが凍るような音がすぐ側で聞こえてくるが、俺だけは気づかない。否、気付けない。


「知らねえよ。人間の事情なんざ、知りたくもねえ」
「なら、」


 耳元で、ひゅぅ、と冷えた風が靡く。
 それが、始まりの音色だった。


 パキリ。
 今度は、更に大きく張った薄氷が割れるような音が目の前で響いた。細氷がどうしてか、左の手の指先から生まれ、掴んでいた男の腕に対し侵食を始める。
 パキリ、パキリ。と音を立ててそれは範囲を広げ——


「チィッ」


 堪らず、男が舌打ちしつつ飛び退くと同時。
 俺の声がやけに辺りに響いた。


「———好き勝手言うなよ」


 足下にはいつの間にやら、白粉でもふりかけたのかと錯覚するような氷原世界が広がっていた。
 それは、息を飲むような雪景色。


 しかし、その光景ではなく何故か目の前の男は別の事に気を取られていた。俺を、ひたすらに注視していた。


「魔法、の……兆候は一切なかった。なら、感応系、か……? いや、アウレールの話じゃコイツは魔法の類いは一切使えないはずだろうが……。一体何が」


 ぶつくさと、男が何やら独り言を口にしている。
 聞き取ろうとしたけれど、どうしてかひどい倦怠感がやってきて、上手く聞き取れない。
 まるで、身体から何かが抜けていくような。そんな感覚。


 次第に、身体から力が抜けていく。


「あ、あれ……」


 視界が揺らぎ、思考に靄がかかる。
 身体はいう事を全く聞いてくれなくて、前のめりに倒れ込んで行く。どうしてか、辺りは凄く寒かった。


「こお、り?」


 薄れゆく視界が最後に捉えたのは、硝子板のように透き通った氷の大地。自生していたであろう雑草も一緒に凍るそれはどこか幻想めいていて。


 ———綺麗、だなあ。


 思わず抱いた感情。
 けれどそれが、言葉として口に出される事はなかった。

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