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三話

 置き手紙を確認してから数十分後。
 件の森へと辿り着いた俺は、獣人兄妹を探しにきた筈だったというのに、どうしてか思わぬ人物と出くわしていた。


「で、これは一体なんの真似かなあ?」


 大粒の脂汗に額を濡らし、滝のように流れ出る気持ちの悪い汗に見舞われながらも、精一杯の虚勢を以って俺は彼ら(・・)に問い掛けた。


「ツェネグィア伯爵家の、奴隷狂い」


 呼ばれた名は、一部の奴隷商共の間で呼ばれている俺の別称だ。
 『壊れ者』とされる不良品を喜んで引き受ける俺を揶揄した言葉。『落ちこぼれ』という名前の方が特に先行しており、そう呼ばれるのは久しぶりであった。


 そして、俺の前に立ちはだかった見ず知らずの男に剣の切っ先を向けられる。続けざまに、何処からともなく現れた男たち数名からも、全く同じように。
 計画された犯行。それはもう、疑いようがなかった。


「こうされる心当たりはあるだろう?」
「いいや? ……これでもお天道様に顔向けできるように生きてきたつもりでね」
「ほう。それはそれは。進んで『壊れ者』と呼ばれる者たちを引き受けてきた人間の言葉とは思えないな。まさか、善意で身受けをし、共に過ごしてきたとでも言うのかその口は?」


 直ぐに襲い掛かってこないあたり、相手はどうやら会話をしてくれるつもりならしい。
 可能な限り、相手の神経を逆なでないように慎重に言葉を選ぶ。


「そのつもり———」
「嘘だッッ!!!!」


 けれど、俺の言葉は嘆きに似た叫び声によって、遮られた。


「お前は……貴族だ。僕たちを騙そうとしてるんだ。事実、エルフのあの男はすっかり騙されて、いいように利用されてる。僕たちを騙すために、ああやって優しく振舞ってたんだろうがッ!!!」


 影から出てきた一人の少年少女。
 声を荒げたのは少年一人だったが、俺は彼らに見覚えがあった。
 彼らは、探していた獣人兄妹だった。


「そう、取るか……」


 苦笑いが口端からもれる。
 精一杯の、強がりだった。


 ———余裕なんて無い。全てが悪に見えている。


 アウレールの言葉が不意に脳裏をよぎる。
 本当に、その通りのようであった。
 よくよく考えてみれば、今まで運が良過ぎたのだ。


 少し考えれば、こうなるかもしれない未来を認識する事は出来たはず。しかし、俺はそれをしなかった。否、しようとしなかった。


 きっと、これはツケなのだ。
 今までの、ツケ。


「キッツいなあ……!!」


 俺を囲んでいる数人の男。
 彼らは全員が特徴的な者たち———獣人であり、いたぶられたような生傷が見え隠れしていた。


 おそらく、彼らは元奴隷。
 そして、獣人の兄妹を解放しようとしていた。
 そのついでに、奴隷を好んで引き取る胸糞な俺を始末しにきた、と。


 考えがそこまで及び、成る程なと得心めいたため息がもれた。
 でも、俺の瞳に諦念の色は帯ない。
 絶望的な状況にあって尚。


「だけど、俺はまだ死にたくないんだ」


 これが始まりだった。
 死にたくないと思ったからこそ、奴隷を囲った。
 誰かに頼った。保身にひたすら走った。


「奴隷狂いと呼ばれたお前が、そうほざくか……ッ!!」


 俺は、一度たりとて奴隷に対しひどい扱いをした覚えはないし、暴力すら振るっていない。けれど、それを言ったところで無意味なのは俺が一番わかっている。


 だから、わざわざ訂正をする気もないし、したところで彼らの足は止まらないだろう。


「それに、そう易々と『生』を手放しちゃ、俺のワガママに今まで付き合ってくれてたヤツらに申し訳ないじゃん。ご飯だって奢ってくれるって約束してくれたヤツだって沢山いるのにさあ」


 そう言って、俺は懐に仕舞っていた護身用の短剣を取り出す。
 奴隷を馬鹿みたいに必要とし、引き受けはじめて早5年。
 本当に、今までいろんな奴がいた。


 アウレールみたいに警戒心が高いやつ。
 馬鹿正直にありがとうと感謝を述べるやつ。
 あの兄妹のように、ずっと警戒したままのやつ。いっぱい、いた。


「だから———」


 すぅ、と思い切り息を吸う。
 威嚇するように、哮るように。


「死ぬわけにはいかないし、俺はまだ死にたく無いんだよ!!!!!!!」


 腹の底から響かせる大声。
 ほんの少し、萎縮した様子を見せるやつもいたけれど、限界まで圧搾された敵意は揺らがない。
 不退転の覚悟を瞳の奥に湛え、俺は短剣を片手に、叫び上げる。



 相手の視線は、俺の右の腕に釘付けだ。
 奴隷契約を交わし、その印が刻まれた右腕に。


 アイツらの目的はあの兄妹の解放含む、俺の存在の抹消。
 でも、優先事項はきっと、兄妹の解放の方が強いはずだ。
 だから、右の腕を囮に使えばなんとか——。


 そう思った矢先。


「ぁ、がッ!?」


 どこからともなく驟雨の如き矢の雨が飛来し、俺の右の腕を貫いた。慣れない痛みに、顔が歪む。
 きっと、生き残る事は絶望的だ。
 でも、一矢くらい報いたい。だから、せめて、俺の目の前に立つリーダーのような男くらいは。


 せめて。せめて———!!


「なめる、なあああああああああああァァア!!!!」


 短剣を片手に、俺は獅子吼の如き咆哮を撒き散らしながら俺は、先を駆け走った——。







 それから、何分経過しただろうか。



 気づけば土手っ腹には穴が空いて、奴隷契約が結ばれていた筈の右の腕は空虚なまでに失われ、俺は大の字に倒れ込んでいた。
 どくどくと血が際限なくもれる。身体の中から何かが失われていくような、そんな不思議な感覚。
 ひゅーひゅーと喉からは風のような変な音がする。
 声はどうしてか、上手く出ない。きっと、それは喉を限界まで酷使したから。奮い立たせるように、叫び続けたから。

 大声で助けを求める事すら、今の俺には許されてはいなかった。


 襲ってきた獣人は、既に側にはいない。
 最後まで、苦しんで死ねという事らしい。だから既に助かる見込みのない俺にトドメを刺してはいかなかった。

 
 いっぱい、いっぱい殴られて。
 腫れ上がった相貌。ほんの少しだけしか上がらないまぶたを見開かせると、綺麗な青空が見えた。
 でも、それも一瞬。
 どうしてか、大きな影が俺の視界を覆った。


「だから、言ったんだ……!!」


 それは懺悔に似た声だった。
 少し高い、女性特有の声。


「誰も彼もが、お前の想いを真正面から受け入れる事はないと……。だからきっと、いつかこんな日がくると——!!」


 言っていたじゃないか、と。慟哭が聞こえてきた。
 今まで一度も聞いたこともない声。
 けれど、何故か彼女の声に、口調に対して無性に親近感が湧いた。


 うすらと開かれた瞼から見える女性のかんばせ。
 人形のように綺麗な、作り物めいた容姿。
 でも、なんとなく。
 性別は違うのに、彼女の声や言葉を聞いていると、彼が脳裏に浮かんで仕方がなかった。
 名前を、


「あ、うれー、る」
「やっぱり分かる、よな。お前が、()の事をちゃんと見てくれていたのは知ってた。だから、心を開いたんだし、な」


 どうして、いつもの姿じゃないのか。
 男の、姿ではないのか。どうして、騙っていたのか。
 そんな疑問が頭の中を渦巻いていたけれど、それを尋ねる余裕は今の俺になかった。


 程なくしてぴちゃり、と。
 水が跳ねる音が聞こえた。
 次いで、顔に出来た生傷から染みるように痛みが広がった。


「なに、ないてん、だよ」


 きひ、と息だけで俺は笑う。


 俺は、ほんの少し他の人より運が無かっただけだ。
 生まれつき、魔法の素質がなくて。
 そのせいで、親族連中から恨まれていて。最後は、騙されて、虫の息同然の醜態を晒してしまっているが、それでも何故か、アウレールが目の前にいるからか、こんな人生も悪く無かったとどうしてか思えてしまった。



「、なあ」


 消えかけの命の灯火。
 まだ、声が出せるうちに言いたい事は言えるだけ言ってしまおうと思い、声を掛ける。


「……なんだ」
「たのみが、あるんだ」
「言ってみろ」


 口では肯定してくれたアウレールだったけれど、ぼやけた視界に映る彼女はすごく、悲しそうな顔をしていた。


「お、れの死体……さ。どっか遠くに、埋めてほしくて、さ」


 目に見えて、彼女の顔が歪む。


「いや、さ。死んだ後も、したいをめった刺しに、されたくないじゃん……? ほら、あいつら、いるからさ」


 言葉が指し示す相手は、ツェネグィアの親族連中。
 アイツらは俺を憎んでるから、滅多刺しもやりかねない。
 さすがに、死体蹴りは勘弁して欲しかった。
 でも。


「……断る」


 返ってきた答えは、拒絶だった。


「私はもう、お前の奴隷じゃない。だから、お前の頼みを聞く義理はない」


 そう言ってアウレールは、俺の右の腕に目をやる。
 斬り落とされ、肩から先が失われた右の腕。
 

「そいや、そう、だったね」
「だから、私は私がしたいようにする」


 おもむろに、彼女は手のひらを俺の身体に押し当てた。
 ひんやりとした感覚がボロボロに斬り裂かれていた服越しに伝わってくる。


「あ、う、れーる……?」


 何をするつもりなんだろうか、と。
 彼女の名を呼んで、言外に問いかけるも返ってきたのは聞き飽きるほどに耳にしたいつもの口癖。


「『エルフ』は、恩讐を忘れない」


 パキリ、と。
 アウレールの手のすぐ近くから冷気が生まれ、服を始めとして氷結し始める。


「お前だけは、何があっても助けると決めていた」
「なに、して……」
「少し、ナハトは眠ってろ」


 服。傷口。足。手。体。
 段々と氷に侵食され、ただでさえまともに動かなかった身体の自由が完全に奪われていく。


「大丈夫。私が、必ず助けてやるから。だから、」


 ———凍っていてくれ。


 その言葉で、俺は全てを悟った。
 アウレールは、ここまで瀕死の重傷を負った俺を治すつもりなのだと。俺を凍らせて、心の臓すら、一時的に機能停止にするつもりなのだと。仮死状態。そんなワードが頭に浮かんだ。


「大丈夫。少しのお別れなだけだ。また、会えるから。だから、だから———」

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