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二話

 あれから、一月。
 アウレールの反対を押し切り、『壊れ者』の兄妹を奴隷商の男から引き取った。あの時は暗がりでよくは見えていなかったが、彼らは獣人と呼ばれる種族の者であった。
 耳が良いのか、時折ぴこぴこと頭上に備わった獣耳がを動かす姿が印象深い二人。けれど、彼らは俺に心を開いてはくれなかった。


 むしろ、その逆。
 俺が優しく振る舞えば振る舞うだけ彼らとの距離は遠かった。
 俺とそう歳は変わらないであろう二人の兄妹。
 世の中の深淵でも覗いたのか、彼らの昏く濁った瞳は、いつまで経っても変わらなかった。




 奴隷とは、主人と奴隷契約を交わした者たちの事を指す。
 その契約とは刺青のような印であり、主人となる者の身体にその印が刻まれている限り、奴隷は主人に逆らう事は出来ない。
 だから、見世物のように奴隷へ首輪を付けたりする者は限られた一部のみであり、現に俺は首輪なんて物をつける事はなく実質上放し飼いのような状態にしている。


 血の繋がりだけの名目上の家族も、俺が奴隷を多く囲う事には特に咎める気はないのか。
 此方に害がなければ勝手にしろというスタンスだ。


 だから、彼らには屋敷の中では面倒事は起こさないようにとだけ言い付けていた。
 此方が歩み寄ろうとしても、彼らは一歩歩み寄れば二歩後退をする。ゆえに、俺は最低限の食事と会話だけを与え、交わす事だけに留めていた。そんな、ある日の事。


「……うん?」


 それは曙光の光が窓から差し込み、眩しさに思わず意識を覚醒させ、ベッドから起き上がって直ぐのことだった。
 設えられたデスクの上に、置き手紙のようなものが置いてあったのだ。


 吹き飛ばないようにと、重石のようなものが乗せられた置き手紙には、酷く乱雑な文字が並べられていた。
 目を凝らしても、真に確かであるという確証が持てない崩れ切った文字で書き綴られている。けれど、誰がそれを書いたのか。俺には心当たりがあった。


「あの二人、かな」


 脳裏に浮かんだ二人のシルエット。
 それは、ひと月前にやってきた二人の獣人兄妹であった。


 俺が住居としているこの屋敷———ツェネグィア伯爵家には俺の護衛と言う名の名目上としては奴隷の者は5人いる。
 種族的な理由もあるだろうが、何より付き合いの長さ故か。
 かれこれ3年も付き合いのあるアウレールが特別、頻りに付き添ってくれるだけで、他の者たちとはそこらへんの貴族と奴隷の関係よりはよっぽどマシな関係を築けているかなといった具合。


 溝はあれど、少し疎遠な友達程度の距離には詰まっていると俺は考えている。そして彼らとも付き合いはそれなりに長く、彼らの中で字が壊滅なまでに書けない者は存在しない。
 だから、比較的簡単に置き手紙を残した人物を割り出せていた。


「……ん」


 眉根を寄せて、置き手紙を手に取る。
 辛うじて読めた字は、


『大切な話』『三人で』『待ってる』『いつもの森』


 この、4つだけだった。


「大切な話、ねえ」


 いつもの森とは恐らく、彼らが頻繁に向かっている場所の事だろう。場所の事は知っていたが、歩み寄れば寄るだけ彼らが離れていくと知っていたから見て見ぬ振りを続けていた。
 そんな彼らが、俺と歩み寄ろうとしてくれている。


「ふはっ」


 堪らず、笑みがもれた。


 そもそも俺が、己の護衛を何故ここまで必要としているのか。
 その理由は一つ。『落ちこぼれ』であり『出来損ない』である俺を快く思わない親族の連中。特に過激な思想を持つ者が何度か誘拐だったりと仕掛けてきた事があったからだった。
 いつか必ず、一族の足枷となるだ、汚点だ、なんだかんだといちゃもんをつけてくる連中。彼らから生き延びる為に俺は護衛を、奴隷を必要としていた。


 しかも、その親族連中が厄介で、俺の生家であるツェネグィア伯爵家よりも格が高い侯爵家の者なのだ。
 だから、俺の実の両親やらは知らぬ存ぜぬを通し、私たちには知ったこっちゃないとばかりの態度を貫いている。政治的な問題も含め、彼らを敵に回してまで俺を守る義理はないと言う事の裏返しなのだろう。けれど、肉親ゆえに、知らぬ存ぜぬを通す程度の義理は果たす、といった顛末。


「『大切な話』っていうなら、行くしかないよね」


 もちろん、彼らに俺の護衛をしろと強制をするつもりはなかった。そもそも冷めた家族関係の中で育ち、友達すら一人いない俺は実のところ、気が置けない者を心底欲していたのだ。
 だから強要はしないし、かえる場所があると告げてきた者たちには、いつか飯でも奢ってくれと言ってお別れを今までも何度として告げている。


 元より、俺が引き取る奴隷の多くは『壊れ者』だ。
 見受けの費用もほんの僅かであるから、気にする事はないと言うのに、恩は忘れないと泣きべそかくヤツが大半だ。
 きっと、己の保身の為だけに奴隷を囲えるのも、彼らから告げられる感謝の言葉が、罪悪感を薄めてくれている。感謝するのは、俺の方だと何度思った事か。


「まあ、そろそろ潮時って思ってたし丁度いいや」


 ひと月。
 その間に関係に進展がなければ、あの兄妹を解放しようと考えていた。このまま屋敷に置いていてもストレスになるだけ。
 なにより、二人ならば案外なんとかなるものだ。


 だから俺は、置き手紙をポケットに仕舞う。


「打ち解けられるといいなあ。一緒に笑って、そんでもってご飯でも一緒に食べられるんなら最高だね」


 アウレールもはじめはそんな感じだった。
 今じゃすっかり丸くなったけど、元は鋭利な刃物を思わせるようなヤツで、施しは受けないとか言ってご飯すら拒絶していた頑固な『エルフ』。


 心の裡を晒して。一緒に過ごして。歩き疲れた時なんか、足が棒だからと言っておんぶして貰ったり。
 まるで本当の家族のように過ごし続けて、気付いた時には今の関係に落ち着いていた。今では、いない事が考えられないくらいの、掛け替えのない友人。


「さぁ、迎えに行くとしますかね」


 そう言って、俺は扉を押し開けた。
 それが、破滅への第一歩だと気づかぬまま。


 運命の歯車を堰き止めていた大きな、大きな岩は磨り減り続けていた。それは、運命であり、偶然という名の岩。硬くなって歯車を動かすまいと堰き止めてはいるものの、砂のように噛み砕かれるのは時間の問題だった。


 例えるならば、ポップコーンだ。
 十分に火が通り、弾ける瞬間を今か今かと待ち望むポップコーン。そのタイミングが、今だったと言うだけの話。
 今が、一日の中でアウレールが外出している唯一のタイミングであると考えが及ばないまま、俺はまた一歩と、破滅の道を歩み始めた。

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