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 〈daily〉

 俺の一日は早い。起きるのはいつも大体六時で、そのまま大浴場に行ってシャワーを浴びる。
 本当は忙しい朝じゃなくて夜に入りたいところだけど、夜は大浴場に人が大勢くるからだめだ。
 早朝が一番人が空いていて、大浴場に居るのは大抵俺だけ。
 たまに朝風呂に入りに来る奴がいるけど、空いているから離れた所で洗えばいいだけだ。
 お風呂は既にお湯が冷たくなっているから、シャワーだけで済ます。それから学校指定の制服に着替える。これがいつもの流れだ。
 この制服は結構気に入っている。学校のエンブレムの刺繍が入ったブラウスにを着て、深緑のネクタイを首に締めた。そして、ネクタイと同じ色のパンツと黒いハイソックスをはいた。最後に黒色の革靴をはいて準備は終わりだ。
 
 時計を見ると、あと十分程で七時半になる。俺は小走りで中庭へと向かった。中庭に着くと、もう人がちらほらとまばらに居る。
 今日の当直が点呼をとり、いつもの体操が始まった。見本となるためか、生徒会のメンバーは前に立って体操をしている。
 腕を伸ばし、足を曲げる。この体操は強制されてやっているからか、みんなの動きはだらっとしている。キビキビと動いているのは生徒会のメンバーと、数十人のやる気のある生徒だけだ。
 ここに集まっている人の数は、大体七千人ぐらい。この地域の、年齢が六歳から十八歳までの子供が集められている。先生の数は、おそらく八百人。
 
 俺の国は他の国と比べて、面積が小さい部類に入る。加えて、人が住めない地帯も多々ある。
 噂によると過去に化学兵器を作っていた名残りで、作る際に使用されていた硫黄マスタードやダイオキシン、シアン化水素などの有害物質に汚染されてしまったらしく、人が住むには危険だと聞いた。
 そんな訳で、この国は面積の割に住める地域が限定されていた。人もそれ程多くないからか、この辺りに居住している適齢期の子供たちはまとめて一つの学校に入れられる。
 それがこの学校、ヤージムーナ校だ。小学校と中学校と高校が同じ敷地にある。校舎は女子部と男子部に分かれている。
 生徒は全員、この国の人だけだ。だけど先生は、色んな国から来ている人が多い。そのおかげか、ヤージムーナの生徒はいくつかの外国語を喋れる。
 入学したての六歳から覚えさせられるから、早期教育の賜物だ。
 俺はまだ十四歳だけど、三ヶ国語は話せるようになっていた。これは密かな自慢だ。
 
 体操は毎日十五分で終わる。そして朝食の時間になり、みんなは食堂に行く。 生徒がやたら多いので、食堂は全部で六つほどある。一番広い、レンガ造りの外観の第一食堂と焼きたてのパンを食べられるレストラン。
 コーヒーやカフェラテが美味しいカフェにテレビが見れる軽食堂。お弁当も販売しているカフェテリアと中華と和食料理も扱うレストランが敷地内にあり、生徒はそれぞれ好きな所で食べれた。
 俺はレストランに行くことにした。このレストランはビュッフェ形式になっている。
 時間制限は三十分。俺は羊乳チーズとハムのサラダ、ソーセージとマッシュポテト、目玉焼きチャーハンを大皿に盛った。
 食堂が六つもあっても、すぐに人で埋まる。どこに居ても騒がしいけど、人が多い分人との繋がりが薄くなる。
 辺りを見回しても、知らない子ばかりだ。きっと向こうも俺のことは知らないだろう。それは寂しくもあるけど、気が楽でもあった。
 座れる場所を探す。ラッキーなことに、今日はカウンター席が空いていた。すかさず皿を置いて席をとる。
 隣は女子だった。友だちらしき子と大きな声で喋っている。俺が座ったときに、ちらりとこちらを見た。
 なるべく顔を見られないよう、俺はやや横向きになった。その女子はすぐにまた、友だちとの会話に戻る。
 俺はほっとしてご飯を食べだした。座れる所が無い日はざらにある。そんなときは外で食べていた。天気の悪い日には、お弁当を買って人気の無い場所を見つけてそこで食事する。
 ご飯は美味しいけど、人の声が俺の心を虚しくさせた。いつもそうだ。六歳のときに入学してから、俺が誰かと食べたのははじめの頃だけだった。
 
 八時の鐘が鳴った。あと十分経つと礼拝の時間だ。俺は紙で口元を拭き、使った皿やカラトリーを戻した。
 礼拝が行われるチャペルへと走って向かった。遅刻は評価が下がる。それは困る。
 チャペルに入ったときに必ずやることは、受付で自分の名前と生徒番号を記入することだ。生徒番号は入学したときに全員に与えられて、卒業するまで変わることはない。
 これをちゃんと記入しないと、俺が礼拝を受けたという証拠にならない。礼拝を毎日受けただけでも得点になるから、俺はサボることなくちゃんと参加していた。
 チャペルは小学部、中学部、高学部にそれぞれに分かれている。中学部のチャペルは赤色や緑色などを使ったカラフルなステンドグラスに、一回も聞いたことのないパイプオルガンが置いてあることが特徴的だ。
 全体的にクラシカルな造りになっていて、ベンチの両側にも木枠で囲われたステンドグラスがある。ベンチの端には、白百合の造花が付けられていて華やかだ。三つの天窓からは光が射し、チャペル内を照らしていた。
 俺はベンチの端っこに腰掛けた。後から人がぞろぞろとやって来る。俺の隣にも複数の生徒が座った。小学生のときに、同じクラスになったことが一度だけある男子だ。
 そいつが俺に気付いているのかいないのかは分からなかったが、俺には特に何も言わずに隣の奴と談笑していた。
 アーチ状になっている祭壇に、十二人のチャペルスタッフが立ち、鐘を鳴らした。これは礼拝が始まる合図だ。
 さっきと雰囲気が変わり、みんなは静かになった。チャペルスタッフが各ベンチを回って祈祷聖式文を配りだす。
 この学校、ヤージムーナ校はトリス・キス・ムイラを信奉している。トリス・キス・ムイラとは神の名であり、この世で唯一の神だと言っていた。
 神と人間は主人とそれに仕える奴隷のような関係であり、絶対服従を求められる。トリス・キス・ムイラは預言者を遣わすことで神の言葉を人間に伝えていた。
 預言者の言うことはトリス・キス・ムイラの言うことであり、人間は守らないといけない…と他にも色々あるが、俺が知っている情報はそんなところだ。
 宗教に対しては、俺はそれほど興味はない。両親がトリス・キス・ムイラを信じていることもあって、むしろあまり関わりたくないというのが本音だ。
 礼拝に参加するのは、成績を上げるためのポイント稼ぎだ。
 祈祷聖式文は一週間ごとに内容が変わる。今までの内容は預言者が記した言葉と、祈祷文に誓約の言葉だ。
 長い文章を全て読む気力がわかなくて、流し読みしていた。ちらりと紙に目は通すが、あまり脳みそに入ってこない。
 だけど俺は、そんなに礼拝の時間が嫌いではなかった。ただ話を聞いていればいい。それだけで内申書の評価が上がるのなら、楽で良いと思っていた。
 チャペルスタッフが全員に配り終わると、今度はチャプレンが前に出てきた。
 普段のチャプレンは、学校の相談窓口でカウンセラーをしている。
 俺は行ったことはないが、こんなに人の居る学校だと仕事がなくて困ることはほぼないだろう。
 チャプレンが祈祷聖式文を朗読しだすものの、相変わらず右から左へで聞き流してしまう。
 他の奴らも真面目な顔をして聞いているけど、この中で本当にちゃんと話を聞いている人はいるのだろうか。
 とは言っても中学部だけで、人数は優に千人を越している。それだけいれば、何人かは頭の中に話が入っているのかもしれない。
 チャプレンの話が誓約の章に移り、チャプレンの問いにみんなで答えを返す。答えはこの祈祷聖式文に書いてあるので、書いてあるとおりに朗読するだけだ。
 
 礼拝も終わると、次からが本番の授業時間だ。午前中は四限ある。八時四十五分が一限の開始時刻。
 周りの人たちが誰かと連れ立って歩く中、俺は一人きりで教室までの道のりを歩いた。
 男子と女子は校舎が分かれているから、教室へ向かっていると自然に女子の姿が消えていく。
 男だけで構成された学年だけど、それでもクラスが十一クラスはある。六歳からここに入学して、高校を卒業するまで同じメンバーだ。
 そこまで長くいると、流石に知り合いはできる。だけど毎年クラス替えをする度に、前年は同じクラスだった人と今年も同じクラスになる確率が低い。
 それは俺にとって、助かることだった。人が多いことのメリットは、多い分あまり人に覚えられなくなることと、距離を置いていても不自然になりにくいことだと思う。
 俺はいずれこの国を出て、両親からも離れるつもりでいた。なるべくみんなの記憶から、俺がここで何をしていたかということを忘れてほしかった。

 授業が終わるたびに、十五分の休憩時間が合間に入る。俺は休憩時間に課題をこなしていた。
 他のクラスメイトは掃除用のほうきを持ってきて、丸めた紙で野球のような遊びをしたり、誰かの机に集まっておしゃべりをしている。
 休憩時間のこの騒がしい声は、集中力を乱されがちで苦手だ。だけど他にやることは無いし、課題はさっさと終わらせたい。
 俺と似たようにクラスで単独行動をとっている奴は机で寝ているか、他のクラスの知り合いにでも会いに行っているのか、この時間には姿を消していた。
 このような人は、どこのクラスにいても数人発生する。そして二人組を作らないといけない場面になると、似たもの同士でペアを組むのだ。 
 学校は少ない人数で運営するよりも、俺の学校のように生徒が多いほうが良いのかもしれない。
 実際、マンモス学校で助かったと思うところは割とある。クラス替えのたびに人間関係をリセットできるから、楽なのだ。
 クラスメイトも俺のことは記憶に残りづらいだろう。そこに寂しさを感じないわけではない。だけど、俺の家庭のことで話しのネタにされるくらいなら、忘れられた方がましだと思うようになっていた。
 
 十二時五十分になると、昼食の時間だ。この時間帯は教室から人がいなくなるスピードが早い。
 早めに行かないと、食堂の席があっという間に埋まるからだ。お昼休みは約一時間。一時五十分からはホームルームが始まる。
 あまり早くに食堂に行くと、席の争奪戦に巻き込まれる。それに人混みができていて思うように動けない。
 そのことを経験で分かっていた俺は、対策をいつも二つ立てていた。
 一つは時間をずらすことだ。食べ終わっても食堂で喋りつづけている奴はいるが、大抵の人は三十分ほどすると食堂を去っていく。つまり三十分待ってから、食堂でご飯を食べるだけの方法だ。
 二つ目は、あらかじめ食堂でパンかお弁当を買っておき、それを大方の人が出払った教室で食べる方法。
 ときどき俺と同じことを考える奴がいるようで、人気が全くないわけではない。それでも大混雑に巻き込まれるよりかはましだし、そいつらが騒いでいるときは他の空き教室に移動していた。
 だが今日は一番でも二番でもなく、俺は人混みに混じってカフェを目指していた。
 理由は、外国語講座を兼ねた食事会が開かれるからだ。毎日開催されているわけではなく、月に一回程度だ。
 やることは、外国の先生と外国語で会話しながら食事するだけだ。これに参加しようとしているのは、もちろん内申点を上げるため。
 内申点を上げることで、いずれは特待生に選ばれることが今の目標だった。
 
 そして俺は、イングリッシュマフィンサンドとレーズンが入ったスコーンに、スティッキートッフィープディングという甘ったるいデザートを食べながらの、外国語で会話する食事会を無事に達成した。
 先生を悪い方に刺激しないようにしつつ、気を遣いながらの食事は気疲れした。俺以外には七人の男女も来ていたし、自分でも気付かないうちに緊張していたのかもしれない。
 だけど目立った失敗はしていないし、この食事会に参加しただけでも得点にはなるはずだ。
 俺は溜め息をつきつつ、ホームルームを受けるために教室に戻った。

 ホームルームでは体育大会の係分担をみんなで話し合って決めた。話し合うとは言いつつも、やりたい係がかぶったときは、じゃんけんで決めていた。
 俺は放送係にした。放送係だと屋根付きのテントで涼みつつ、原稿通りに話せばいいのかな、と軽い気持ちで決めた。他にやりたがる人もいなかったので、俺は簡単に放送係になれた。

 午後四時まで授業がつづき、その後は生徒の自由だ。チューター制度を使って個人授業を受けたり、サッカーやアメフトなどのクラブ活動に励んだりできる。
 クラブ活動も数がやたら多く、俺も正確な数は知らない。決められた人数が集まればクラブ申請ができるので、マイナーな部活もたくさんある。
 俺はボランティア部に所属している。ボランティア部は縛りがあまりなく、自由な方だ。それに参加すると得点になる。
 
 学校に居られるのは19時までで、19時になっても学校にいる生徒は強制的に家に帰される。
 俺は大抵、18時ぐらいになると帰宅していた。個人で先生に勉強を教えてもらうのが大半で、時々は部活動に参加する。
 このような生活をほぼ毎日繰り返していた。 
 これが俺の日常だった。
 

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