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6-1. 戻る日常

 《始まりの魔法》の使い方も思い出し、魔力を制御できるようなったユウリが、未だ執務室での特別指導を継続するのには理由があった。彼女曰く、逆にわからなくなった、と。
 水浸しの床を半ば諦めの表情で眺め、ユージンが零す。

「どうやったらあの流れで、普通魔法の使い方を忘れるんだ」
「あうぅぅぅ」
「本当、どうしちゃったんだろうね?」

 ユウリは、あれだけ練習してなんとか形になってきた普通魔法が、上手くできなくなっていた。
 実技の時間にまた水飛沫を上げてしまい、執務室へ駆け込んだユウリに、ユージンとヨルンが首を傾げている。

「許容オーバーってことかな。一気に思い出しちゃったから」
「そうなんでしょうか……」
「中間考査まで、後二週間強か。厳しいな」
「ううう……いっそ、これじゃ駄目ですかね?」

 機械時計を握ったユウリの目の前で、床の水が立ち上がり、氷になったかと思うと、霧状になって消えていく。
 記憶を取り戻した彼女の《始まりの魔法》は、ほぼ完璧に発動するようになった。

「すごいとは思うけど……それじゃあねぇ」
「ごにょごにょーって呪文唱えるフリで、なんとか」
「鏡を見ろ。そんな眼になって、どう誤魔化すつもりだ」

 やはり、《始まりの魔法》を使うユウリの瞳は紅くなって、残念ながらズルはできないようだ。

「地道な努力あるのみ、だな」
「しょんなぁ〜」

 へなへなと座り込むユウリの頭をヨルンがポンポンと撫でる。
 ここ一ヶ月程の実技練習が全部無駄となったのは、流石に気の毒だ。
 ユウリが半泣きでぶつぶつと水魔法の呪文を唱えていると、執務室の入り口が控えめに開かれ、サラサラのスミレ色の髪が覗く。

「ユウリ、います?」
「ナディア!」
「まあ、ユウリ! 水浸しじゃない」
「手伝うなよ、ナディア」

 ユウリに駆け寄る彼女にユージンが釘を刺し、ナディアは頬を膨らませた。

 オーガが襲ったあの日から数日間、消耗してしまったユウリは回復も兼ねて、授業を欠席して朝から晩まで執務室で過ごしていた。
 カウンシル塔の警備責任者であるフォンは、その期間中毎日、いや()()()ナディアの襲撃を受け、それはカウンシル役員達にも及んだ。
 不憫に思ったというか、鬱陶しくなったというか、フォンとヴァネッサがナディアを学園長室へと連行し、そこでもまた一悶着あったらしい。
 けれど、学園長は、ナディアにもカウンシル塔入塔許可を発行した。

 ——彼女の愛は、かけがえのない助けになるでしょう。

 知らせを受けてラヴレに会ったユウリに、彼はそう言った。
 大好きな友人に、隠さなくてもいい。側にいてもいいんだ、とそう許されたことが、何よりも嬉しかった。
 一方ナディアも、ユウリの過去を知れてよかったと笑った。
 もう闇雲に彼女を守りたいと逡巡せずとも、一緒に悩み、考え、協力していけるなんて、ナディアにとっては願ってもみないことだった。
 しかし、彼女の身に迫る危険の大きさに身震いしたことは、ユウリには内緒にしておいた。

「えーと、これをこうだっけ」
「そう、そうよ、ユウリ! 頑張って!」
「いや、ちょっと。ナディアの応援、暑苦しい……」

 その暑苦しい応援あってか、やっとコツを思い出したユウリは、今日のカウンシルと授業の課題を済ませ、ようやくレヴィのお茶にありつけた。

「私がいうことじゃないと思うんですけど」

 二杯目のお代わりをして、ユウリが言いにくそうに切り出す。

「なんか、めっちゃ平和じゃありませんか……?」
「お前……」

 ロッシが読んでいた本を取り落としそうなほど、がくりと頭を垂れた。

「裏で何があってるかわからんだろう、能天気め」
「いや、そうなんですけど! あの時は、結構立て続けだったから」
「ユウリ、平和に越したことはないのよ」
「わかってるよぉ。だけど、こう、学園長から調査結果とか、何かないのかなーって」

 自分のもやもやとする気持ちをジェスチャーで表しながら、ユウリはブツクサ言っている。
 それを見て、ヨルンは困ったように、笑う。

「多分、学園長は確信が持てるまでは教えてくれないよ」
「……そうですよね」
「だから、ユウリはとりあえず、目の前の問題に取り組もうね」
「う……」

 立ちはだかる中間考査という壁は、今のユウリにとっては、オーガよりも手強いかもしれない。

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