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疑惑

拓真にとって、おれの契約問題や模擬戦への対応などはすでにどうでもよいことになっていた。

あいつが興味があるのはよう子ちゃんのみで、他のことには気が回らないようだった。放課後になるとすぐに病院へと向かうし、休日はほとんど一日中一緒にいるようだった。

どうやら、今回は本気で惚れているらしかった。

会話は数日が過ぎても、成立はしていなかった。いまだに彼女は無言のままだった。

言葉が通じないだけではなく、声そのものを失っているらしかった。よほどショックな出来事でもあったのだろうか。

そんな彼女に対し、拓真は熱心に語りかけていた。言葉が返ってこないにも関わらず、学校での出来事や契約者について話していた。

一方的ではあったものの、よう子ちゃんの反応も悪くはないように見えた。

当初に比べるとよう子ちゃんの表情は明るくなっていた。出された食事も少しずつ食べるようになっていた。

毎日のように拓真について病院へと行っていると、その変化を感じとることができた。

よう子ちゃんはどう見てもモンスターには見えなかった。おれたちと何も変わらない人間だった。会話ができなくてもそれくらいはわかった。

もし彼女がモンスターだったら、そんな疑念はすでに吹き飛んでいた。ただそれは、毎日彼女に会っているおれたちに限られていた。

よう子ちゃんの存在はすでに街全体に知れ渡っていたが、多くの住人は断片的な情報から憶測を広げていた。

それを確信したのは、ある日の放課後のことだった。

みんなでよう子ちゃんのお見舞いに行こうと校舎を出ようとしたとき、背後から声をかけられた。振り向くと、そこにいたのはこの高校の校長だった。

「みなさん、ちょっとよろしいですか」

穏やかな口調とは裏腹に、その眼差しにはどこか緊張感が浮かんでいた。朝の校門で生徒に声がけをしているときとは別人に見えた。

「もしかして、今日も病院に行かれるのですか?」

校長の年齢はわからないが、髪はもう真っ白で、顔にはシワも目立っている。

契約者は戦いを中心に生きているので、そんなに長生きはできない。契約者としての功績があれば日本への移住もできる。そういうなかで校長はここでは珍しい老人だった。

「そうですけど」

「……異世界人の女の子に会いにいくのですね」

「ええ」

「彼女からは何か、目立った変化というものは感じられましたか?」

「まだ話せてはないですけど、段々と明るくなってますよ」

「そうですか」

校長はため息をつくような感じで言った。

「このようなことを聞くのは気が引けるのですが、危険な行為などはされませんでしたか?」

「それ、どういう意味なんですか?」

拓真が一歩、前に進み出て言った。

「みなさんはご存じないとは思いますが、実は昨日、ちょっとした事件がありまして」

「それにあいつが関係してるとでも言いたいんですか」

鼻息荒くさらに校長に近づこうとした拓真の肩を押さえ、おれは「ちょっとした事件ってなんですか?」と聞いた。

「これはまだ公表していないのですが、実は昨夜、殺人事件があったのです」

一瞬、空気が凍りついた。殺人なんてニュース、今日一日学校で過ごしても全く耳にはしなかった。

いや、おれが生きてきたこの十五年、この街では殺人なんてこと、一度も起きたことがなかった。

「殺人って、それ、ちょっとした事件ではないですよね」

「はい。わたくしとしても、みなさんをあまり驚かせたくなかったので、できれば公にはしたくなかったのですが」

「殺されたのは誰なんですか?」

「この学校の教師です」

校長によると、その遺体は今朝、発見されたらしい。何者かに首を絞められ中年の男性が路上に倒れているのを、近所の住民が見つけたという。

「襲われたのは深夜だったと思われます。その先生はその日、夜中に外出をして学校に向かったことがわかっていますから」

「深夜の学校なんかに、どんな用事があったんですか」

「電話があったそうです」

学校の近所に住む人からの連絡だったという。

高校から何か妙な音が聞こえるから調べてほしい、そんな内容だったと妻が証言をしているらしい。

この街は人口がそれほど多くはない。しかも市場経済では成り立ってはいないので、犯罪というものがあまり起きない。

だから何かが起こっても警察に頼ろうという意識が浮かばない。電話をした人はおそらく、その教師の知り合いだったのだろう。

「その先生が倒れていたのは校舎の前だったので、校舎で何かを物色していた犯人と鉢合わせてしまい、そして襲われたのだと思います。実際に校舎の窓ガラスが一つだけ割れていましたから」

「盗まれたものはあったんですか?」

「いえ、いまのところは」

「だからって、あいつが犯人だと決めつける材料にはならないでしょうが」

拓真の怒気を含んだ声にも、校長は動じなかった。

「あなたたちがあの少女を見つけた直後のことです。何かしらの関係性を疑うのが筋というものではないですか」

「病院を脱走するなんて無理ですよ。それに不審者の情報があったでしょ。そいつが犯人に決まってる。そいつを逮捕してくださいよ」

そういえば、とおれも思い出した。この街では最近、不審者の情報が多数出ていたはずだ。

それが原因で校長自身が校門に立っていたわけだし。拓真の言うように、そいつが一番怪しい。

「残念ながら、その可能性はないのです」

しかし、校長は首を振った。

「どうして!」

「それは……すいません。わたしの口からは言えないのです」

校長は伏し目がちに答えた。どうしてその不審者を疑わないのか、その根拠は一切語られなかった。

「だいたい動機がないでしょ。あいつが先生を殺してなんの得があるっていうんですか」

「……」

「もういいですよ」

拓真は校長に背中を向けた。

「そんなに言うんだったら、おれが確認をしてきますよ。なんとか言葉を交わせるようにして、そして、自分が無実であることを証言させます。それでいいでしょ」

返事も聞かず、拓真は外へと駆け出した。

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