76話 いつか見た光景
最終ラウンド、これで全ての決着が付く。
判定になった場合には俺の方が厳しいだろう。
おそらく1ラウンドと3ラウンドはエドガーに取られた。
このラウンドでぶっ倒すしかない。
一分間のインターバルを挟んだとはいえ、カウンターを貰った俺はとっくに限界を超えていた。
たった4ラウンド。ど新人の4回戦ボーイと同じラウンドしか戦い抜けない。
17歳の俺の体は、まだまだ発展途上であった。
わかってる、焦るな、ここからだ。俺達の戦いはまだ始まったばかりじゃないか。
4ラウンド目開始のゴングが鳴る直前、バンディーニが耳打ちしたことを俺は頭の中で反芻する。
バンディーニが指し示してくれた道標、その先に必ず勝利が待っていると信じて。
俺は痛む身体を引き摺るようにして、自コーナーから一歩足を踏みだした。
エドガーもダメージは同様のようだ。既に手の内を隠す必要はない為に、サウスポースタイルでいる。
このまま逃げ回って判定に持ち込もうなんて、そんな考えは持っていないだろうが。いかんせんお互い満身創痍の為に、決定的な一撃を与えられるかどうか。
そんなこと考えている場合か。どちらにしろ俺は突っ込むしかない!
両拳を顎の下に持っていき、頭を左右に振る。相手との距離が一歩縮まるに連れて、一回転、もう一回転。ギアを徐々に上げていく。
これしかない、相手に的を絞らせず懐に飛び込むしか俺にはないんだ。
エドガーはそんな俺の接近を阻止しようと、“右のジャブ”を放つ。これも左と同様にフリッカージャブだ。
器用な奴だぜ。たぶんずっとこんなシチュエーションを想定して練習をしてきたんだろう。
酒場ボクシングでは使えない手ではあるが、いつか大きな舞台に立った時に、その時の為に磨いてきた技。
そして、必殺のカウンター。こちらは、まだ未完成のようだったのが幸いした。
あれをエドガーが完全に体得していたら、既に試合は終わっていただろう。
今も、振っている頭がガンガンと痛む。
それでも、この痛みがなければ、俺はエドガーに立ち向かって行くことはできなかったかもしれない。
倍返しにしてやるぜ、二度と立ち上がれねえ一発を、てめえの身体に叩きこんでやる。
エドガーのジャブがヒットするが、俺はお構いなしに突っ込む。
懐に潜り込んでボディーを打つがガードの上、そこから上へ2~3発ショートパンチをお見舞いするが、大きなダメージにはならない。
エドガーはいたって冷静だ。やはり目が良い、全て躱すかガードしてきやがる。
利き手でのストレートやフックなどの、大きなパンチを打ってこないのは、俺のことを誘い込みカウンターを狙っているから。
いいぜ、そっちが防御に回るなら、俺は攻撃に回ってやる。
いつまでも凌ぎ切れると思うなよ。
フリッカージャブを掻い潜り再びエドガーの懐に飛び込むと、俺は渾身の右ボディブローを放った。
エドガーはそれをエルボーブロック、左腕側は徹底的に防御を固めるつもりか。
なら、右から崩すぜ。
返す刀で、左のリバーを叩こうとするが、スウェーバックで距離を取られる。
そのまま、むざむざと逃がすつもりはない。
俺は渾身の力を足に籠めると突進、エドガーのジャブをガードで弾き飛ばしながら、一気に距離を詰めた。
このタイミングならいける! 必ず決まる! そうすれば確実に相手をキャンバスに沈めることが出来る!
そう思ったのはエドガーの方だろう。
今のは俺を誘いだし、フィニッシュブローを打たせる為の後退。
エドガーはここで間違いなく、距離を詰めた俺の右ストレートに、左のカウンターを合わせに来る!
俺はバンディーニに言われた通りに動いた。
「乱打戦になった最中、エドガーが後退したら一気に追い込め、そこで確実にカウンターを狙って来るだろう」
そう、間違いなく俺達がそんな風に読んで来るだろうと、ホランドは考える筈だ。
だったら、裏の裏を読む? そんなことしたってしょうがない。どっちが正解かなんてわからないんだ。
だから、バンディーニはこう言った。
「だったら力で捻じ伏せろ! 相手のカウンターを、君の拳と足で押し返せ!」
バンディーニが狙ったのは相討ち。
俺の左か、右か、どちらにエドガーが合わせてくるかわからないが、迎え撃てというのがバンディーニの結論だ。
無茶苦茶だと思うが、結果、それが功を奏したのだから、作戦としては8割は成功したと言えるだろう。
俺の左ストレートがエドガーの顔面にめり込むのと同時、エドガーの右フックが俺の首を刈る。
一瞬気を失いそうになったが、なんとか意識は繋ぎとめておけたっぽい。
それでも、身体は言うことをきかなかった。
自分の意思とは反対に、いや、反対どころかなんの反応もない。
ゆっくりと、キャンバスが眼前に近づいてくるのが見える。
ああ、この光景、どこかで見たことあるなぁ……。
そんなことを考えながら、俺の身体は勝手に傾きキャンバスに膝をつくと、前のめりに倒れ込んだ。
その時、眼前に見えたのは、同じようにロープに凭れ掛かりながらも、膝から崩れ落ちて行き、前のめりに倒れ込むエドガーの姿。
ダブルノックダウンであった。
続く。