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74話 逆襲のエドガー

 エドガーは、かつてない強敵の出現に、心躍っていることに懐かしささえ感じていた。
 幼少期に親に連れられて観戦に行ったコロッセオでのエキシビジョン。
 鎧甲冑を身に纏い、得物を手にしたグラディエーターを、生身だけで捻じ伏せた小さな東洋人。その試合を見た日から、いつか自分もあんな風になりたいと、こんな大きな舞台で自分の力を示したいと夢見てきた。
 貴族同士の、上辺だけのおべんちゃらに辟易する毎日。
 毎夜開かれるパーティーでの、善人の皮を被った偽善者共が腹の探り合いをしている姿に、こんな所にいては己の心は腐り果ててしまうと感じていた。
 そうして夜な夜なパーティーを抜け出しては、同年代の仲間達と共に街に繰り出した。
 そこで出会った一人の老人。
 ホランドとの出会いが、酒に酔い喧嘩にばかり明け暮れていたエドガーを劇的に変える。

「おまえは強い。だが、最強なのは、この酒場でだけ」

 この言葉に最初は反発した。
 一発殴り倒してやれば、顔を出さなくなるだろう思ったのだが、ヨレヨレのじじいに自分の拳がまるで当たらないのだ。
 仕舞いには老人よりも先に息があがってしまい、膝をついてしまった。
 そこでホランドはエドガーに言う。

「おまえはもっと強くなれる。こんなちっぽけな場末の酒場の王者ではない。この大陸全土の王者にさえなれるだろう」
「はっ、拳神ディアグラウスよりも強くなれるってのかよ」
「なれる、貴様に儂の全てを伝授してやる! まあ、音を上げなければの話じゃがな」




「へっ、じじい。ディアグラウスよりも先に強敵が目の前に現れたぜ」

 小さく呟くとエドガーは、ロイムに向かってジャブを放つ。
 2ラウンド目では、ロイムの高速ウィービングを捉えきれなかったが、慣れれば見える。
 変則的に頭を振っている様に見えるが、最終的には一定にリズムに入り、同じ方向に回転を始めることをホランドが見抜いていた。
 言われた通りに、相手を観察すると、ロイムはエドガーの懐に飛び込もうとする瞬間、左に頭を振る癖がある。そこを狙い撃てばよいのだ。
 ジャブがロイムの顔面を捉えると、エドガーはすかさず右ストレートを放つ。
 綺麗なワンツーが決まると、ロイムはたたらを踏み後方へよろめいた。
 チャンスだ! そう思うのだが、踏み込んだ瞬間、息を吹き返すロイム。
 自ら飛び込んだ為に、今度は懐に潜り込まれてエドガーはボディを叩かれた。

 このボディブローが、死ぬほど苦しかった。
 特に左脇腹を突き上げるリバーブロー。こんなパンチは、これまでに味わったことなどなかった。
 腹を打たれると息が詰まり、苦しくなる。そうすると、全身が重くなり腕が上がらなくなる。足も震えて力が入らなくなる。しまいには、頭が朦朧としてきて、自分がパンチを繰り出しているのかさえわからなくなってきた。

 気が付けばエドガーは、ロイムのボディブローで再びキャンバスに膝をつきダウンを奪われていた。

「ワーーーーンツーーーーゥ」

 レフェリーのカウントを取る声が、まるで水中に居るかのように聞こえてくる。
 朦朧とする意識の中、エドガーは思う。

 こんなに強い奴が、どうして奴隷などをしているのかと。
 なぜ、金も権力を持っていないのに、これほどまでに強いのか。
 我慢がならなかった。
 俺は持っている、全てを持っている筈なんだ。
 誰にも負けない、負けたくない。
 かつて見た憧れには、まだ届いていないんだ。
 こんな所で、負けるわけにはいかないんだ。

 そんな思いがエドガーに再び力を与える。
 足は震えるが立てる。苦しいが腕は上がる。まだパンチは打てるのだ。
 立って、立ち上がって、そうすれば。
 餌は捲いた。もうこれでもかというくらいに捲いたはずだ。
 今やらなければ、二度目はないと思ったその時。

「エドガアアアアアアアアアっ! 立てえええええええ! 立つんじゃあああああ!」

 リングサイドでキャンバスをばんばんと叩きながら吼えるホランドの姿が見えた。

「わ……かってるよじじい。思ってたより、強えんだよこいつ」

 9カウント目でギリギリファイティングポーズを取るとレフェリーが問いかけてきた。

「エドガー、やれるんだな?」
「当たり前だろ、俺を誰だと思ってやがるんだ」
「カウントを少し遅めにしたんだ」
「次やったらぶっ殺すからな」

 そんなことを小声で話すと、試合が再開される。

 ロイムはこのラウンドでエドガーのことを仕留めるつもりだ。
 一気に距離を詰めてくると左右の連打。
 ロイムの連打に、エドガーは堪らずガードを固めた。
 最早、代名詞のヒットマンスタイルを貫いている場合ではなかった。
 両手を額の辺りまで上げて、亀のように丸まる。
 観客席からは、ロイムコールが鳴り止まない。

 ロイムの右ストレートは、ガードの上からでも響いてくるほどに重かった。
 そして、エドガーが必死で固めていたガードが弾き飛ばされたかと思った瞬間。

 試合を観戦していた全ての人間の時間が止まる。
 歓声は鳴り止み、目の前で起きた出来事に釘付けになっていた。

 ロイムがエドガーに止めを刺そうと距離を詰めたその時、エドガーは右半身を前に出したのだ。
 その場に居る者の中でそれに気が付いたのはバンディーニと、そしてそれを知っているホランドだけであった。

「ス、スイッチだとぉ!?」

 バンディーニが声を漏らすのだが、それに気が付かず飛び込んだロイムは右ストレートを放った。
 そこに上から被せるように放たれるエドガーの左が交差する。

 左のクロスカウンター。

 ロイムは、エドガーの放った起死回生のクロスカウンターの前に、成す術もなくキャンバスへと倒れ込むのであった。


 続く。

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