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第168話 死神ちゃんと弁護士②

 〈|担当のパーティー《ターゲット》〉目指して死神ちゃんがふよふよと飛行していると、|あちらさん《ターゲット》の方からわざわざやってきてくれた。体の線がはっきりと分かる悩ましげなスーツに短めのスカート、そしてピンヒールという出で立ちの美しい女性は、とても分厚い本を小脇に抱えてカツカツと歩いてきた。と思いきや、彼女は急に走りだした。
 彼女は抱えていた本を両手でしっかりと持つと、勢いをつけて地面を蹴り、本を振り被りながら死神ちゃんに向かってジャンプした。しかし渾身の力を込めて本を振り下ろすも、それは死神ちゃんにダメージを与えることなくただ通過しただけだった。
 物体が体をすり抜けていく感覚に死神ちゃんが顔をしかめていると、華麗に着地した女が死神ちゃんを指差して叫んだ。


「異議あり! どうしてあなたは攻撃を受けて平気なの!?」

「死神には物理攻撃は効かないからです」

「異議あり! そんなの、不公平だわ!」

「そう言われましても、そういうものだから仕方がないです。よってその異議は認められません」

「何でよ! 触ることはできるのに! おかしいわ! 異議あり異議あり!!」


 彼女――この国の名門(迷門?)一派出身の悪徳弁護士は死神ちゃんの両頬をムニムニと引っ張りながら「異議あり」を連呼した。死神ちゃんはじたばたともがいて、それに抵抗した。
 弁護士の攻撃から逃れた死神ちゃんは、彼女と少しばかり距離を取ると、頬を擦りながら眉根を寄せた。


「お前、今日は何しに来たんだよ。鍛錬なら他でやれよ、こんなトラップばかりのところではなくて」

「用があるから、こんなところまでやって来たに決まっているでしょう? ――それにしても、そこいら中トラップだらけで本当にイライラしてくるわ。ダンジョンは攻略してくれる冒険者の存在があってナンボでしょう? それなのに、何でこんな、お客様に帰れっていうかのような環境なのよ。訴えてやりたいわ」

「そういう難攻不落な環境に整えてなきゃあ、簡単に攻略されちまうだろうが。それじゃあダンジョンである意味もないだろう」


 死神ちゃんがため息をつくと、弁護士は不満気に顔を歪めて親指の爪を噛んだ。そしてブツブツと呟いた。


「これは前回の〈灰からの蘇生〉によって生じた金銭的損失と精神的苦痛に対しての損害賠償と一緒に――」

「だから、それはお前の過失だろう? 請求は棄却されます!」


 思わず、死神ちゃんは彼女の独白をかき消すように声を荒げた。そしてため息をつくと「だから、何しに来たんだ」と再度尋ねた。すると彼女は、鉄面皮をニヤリとさせて尊大に言った。


「ここには、暗闇の図書館っていう〈あらゆる世界の書物〉が閲覧できる素敵な場所があるんでしょう? そこで、少し勉強をしようと思って」

「勉強?」


 死神ちゃんが怪訝な表情を浮かべると、彼女はニヤニヤとした笑みを浮かべて頷いた。どうやら彼女は、図書館で()()()()()で行われている〈裁判の判例〉を調べたいらしい。もちろん、()()が違えば法律も違うだろうということは彼女も心得ているという。しかしながら、どうにかこじつけたり、まるでこの世界の法律や過去の判例にあるものと装ったりして利用できるものもあるのではないかと考えているのだそうだ。


「どうせね、裁判官も弁護士も法律書なんて隅から隅まで熟知している人なんていないし、最後は弁護士同士の頭脳戦と、いかに裁判官を丸め込めるかなのよ。だから、使えそうなものはネタとしていくらでもストックしておきたいのよ。ああ、私はなんて頭がいいの! さすがは敏腕弁護士!」

「お前、ホント、面の皮が厚いっていうか、文字通りの〈悪徳〉だよな……」


 悪どい笑みを浮かべてクツクツと笑う彼女を呆れ顔で見つめると、死神ちゃんは肩を落としてため息をついた。彼女は不服そうに「異議あり」を連呼し、死神ちゃんは煩わしそうにそれを受け流した。
 かくして図書館を目指して弁護士は数々のトラップを掻い|潜《くぐ》りながら進んでいたわけだが、敏腕のはずの彼女が図書館があるという噂の暗闇ゾーンに辿り着くことは一向に無かった。彼女は困り果てて腕を組むと、首を傾げてポツリと呟いた。


「さっきから変ね。同じところをグルグルと回っている気がするわ。たまに回転床にひっかっかっているせいで、方向感覚がおかしくなっているのかしら……」

「その割に、他の罠にはあまり引っかからないよな。俺としては、とっとと落とし穴にでも落ちて死んでくれたらありがたいんだが」

「それは脅迫ととってもいいわよね!? 訴訟! 訴訟よ!!」


 死神ちゃんは口の端だけで笑うとハンと鼻を鳴らした。すると、そこに偶然他の冒険者の集団が通りがかった。弁護士は笑顔を繕うと、助けて欲しいと冒険者に声をかけた。


「助けろって言ったって、地図の販売されていない階の情報は財産みたいなものだからなあ……。そう簡単にくれてやるわけにはいかないよ」

「じゃあ、これでどうかしら?」


 弁護士はリーダーと思しき男性に不必要に寄り添って胸を押し付けながら、彼のポケットにお金を忍ばせた。しかし、ポケットの中を確認した男は苦笑いを浮かべて首を横に振った。弁護士は少しばかり落胆したように小さく息をつくと、今度はポーチを漁って何やら取り出した。プレゼントでご機嫌をとろうという魂胆だ。だが、男はやはり苦笑いを浮かべるだけだった。


「何でよ! これじゃあ不満だって言うの!?」

「だって、あんた、たしかボロ儲けしていると有名な弁護士さんだろう? その割に、凄まじくケチくさい額の金に、ごく普通の回復薬が賄賂だなんてなあ」


 不服そうな弁護士を|他所《よそ》に、死神ちゃんは男性に「ちなみに、おいくら?」と声をかけた。手招きをする男性に近寄って行き、ちらりとポケットの中身を見せてもらった死神ちゃんは盛大に顔をしかめた。


「お前、さすがにこれはケチくさいよ! 子供のお遣いのお駄賃じゃああるまいし!」

「何でよ、お金はお金じゃない! 異議あり!」


 目くじらを立てた弁護士は、まあいいわ、と言って姿勢を正した。そして、和平を結ぶと言い、再びリーダーの男性にしなだれかかった。和平という名の色仕掛けをあの手この手で行っていると、彼の仲間である女性が咳払いをした。それによって交渉が完全に決裂すると、弁護士は舌打ちしながら法律書を取り出し、リーダーに向かってそれを思いっきり振り下ろした。


「痛い目に遭う前に、知っていることを吐きなさいよ!」

「すでに痛いわ、ふざけるなよ! 弁護士だからって偉そうに!」

「ダンジョン内はほぼ無法地帯だからって、冒険者風情が偉そうに! ひとたび外に出て困ったことが起こったときに、後悔することね! あのとき恩を売っておけば助けてもらえたかもしれな――」


 言い終える前に、彼女は法律書だけをその場に残して奈落の底へと消えていった。冒険者達と距離をとって一歩退いた際に、誤って落とし穴の隠されている床に足を乗せてしまっていたのだ。
 図々しい弁護士の色仕掛けに耐えかねて咳払いをした女性は法律書を拾い上げると、ニコリと笑って言った。


「これはほぼ無法地帯であるダンジョンにおける、数少ない法のひとつだけれど。ダンジョン内で取得した物は、取得した者に所有権があるのよね。――さて、この最高級品、どうしてくれようかしら」


 どうやら彼女は〈目の前でパートナーを誘惑され、さらには脅迫され暴行を受けた〉ことへの慰謝料を、この法律書を用いて請求しようと思っているようだった。すでに穴の塞がった床と、黒い笑みを浮かべる女性を交互に見つめながら、男性と死神ちゃんは「女って|怖《こえ》え」と呟いたのだった。




 ――――それ相応の態度と、それ相応の対価というのは、やはり必要なのDEATH。

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