第167話 死神ちゃんと発明家③
死神ちゃんは〈|担当のパーティー《ターゲット》〉を求めて四階の〈小さな森〉へとやって来た。森のある区画に入るなり、死神ちゃんは思わず口と鼻を手で覆い、顔をしかめさせた。
「|臭《くさ》っ! くっさ!! 何だ、こりゃあ!?」
あまりの不快な臭気に、死神ちゃんはオエッとえずいた。すると、近くの草むらの影からのそりと何かが顔を覗かせた。
「何かと思えば、いつぞやの幼女か。――お前も食うか?」
草むらから出てきたのは気難しそうなドワーフだった。彼――このダンジョンのある街で有名な発明家は、死神ちゃんを手招きした。死神ちゃんは顔をしかめつつも、よろよろと彼に近づいていき地面に降り立った。草むらをかき分けた先には、少し大きめの切り株があり、彼はそれをテーブル代わりにして調理中のようだった。
死神ちゃんは眉間のしわを深めると、発明家を見上げて言った。
「一体、何を作っているんだよ」
「なに、ただのサンドイッチだ」
「ただのサンドイッチが、こんな悪臭放つか!?」
死神ちゃんが苦い顔で怒り声を上げると、彼は切り株の影に隠れるように置かれていた瓶を取り上げて死神ちゃんのほうへと近づけた。悪臭の発生源は、まさにその瓶であった。
死神ちゃんはつらそうに顔を歪めながらも、その瓶の中身を見た。そして嗚呼と呻くとポツリと言った。
「シュールストレミングか。よく発酵途中で瓶が割れなかったな」
「魔法がかかっている高級品なのだ」
言いながら、発明家はニシンの塩漬けを手早く処理し、サワークリームや生ハム、オニオンスライスなどと合わせてサンドイッチを作った。それを死神ちゃんに手渡すと、満足気に死神ちゃんの頭をポンポンと撫でた。
死神ちゃんは臆することもなくサンドイッチを頬張ると、至福の表情でもくもくと顎を動かした。
「臭いはきついが美味いんだよな、これ」
「幼女のくせに肥えた舌を持っているな。――まあ、いい。ワシも食事にするとしよう」
彼は自分の分のサンドイッチを手に取ると、むしゃむしゃと食べ始めた。
本来、シュールストレミングは臭いや発酵液が飛沫するのを抑えるために水を張ったボールの中などで開けるのだが、そういったものはどこにも見当たらなかった。だから、森中に凄まじい臭いが充満していたのだ。
サンドイッチを食べながら、死神ちゃんは〈どうして水のボールを用意しなかったのか〉と尋ねてみた。ボールを持参し忘れたとしても、泉の中に瓶を突っ込めばいいと思うのだが、何故それも行わなかったのか、と。すると彼はフンと鼻を鳴らして、当然とばかりに言った。
「そんなもの、〈必要だから〉に決っているだろうが」
「何が何に必要なんだよ」
「ワシは今、再びゴミ箱について研究開発を行っている。前に手に入れた風の魔石とやらは、残念ながら今のワシには手に負えない代物だったからな」
「……ゴミ箱研究とシュールストレミングのどこに関連性があるっていうんだよ」
死神ちゃんが訝しげに首を傾げると、発明家は答える代わりに「夏場の生ゴミバケツ、あれは困りものだろう」と言った。
今年の夏は特に暑いらしい。そのせいで、台所の衛生管理をちょっと怠るとすぐに悪臭が立ち込め、虫が湧いてしまうのだとか。どこのご家庭も苦慮しているそうで、それを見聞きした彼は〈どんな悪臭も防ぐことのできるゴミ箱〉を作ろうと思い至ったらしい。そのためにも、まずはひどい悪臭を研究しようと思ったのだそうだ。
「最近、ダンジョン内に|蔓延《はびこ》る〈|蠢くヘドロ《クレイウーズ》〉がひどい悪臭を放つようになったそうではないか。野良ウーズの比ではないと聞いたのでな、これはダンジョン内のウーズの臭さを研究しようと思ってな。しかしながら、ウーズを捕獲して帰るのは大変だから、あやつの吐き散らかす汚水を持ち帰ろうと思っている」
「それで何でシュールストレミングの汁が必要なんだよ」
「ウーズの汚水と同等かそれ以上の臭いものを用意出来るのであれば、それに越したことはないからな。比較しようと思ったのだ。シュールストレミングの汁だけではないぞ。ワシが考えうる限りの悪臭を放つものを、ここに用意してきた」
ポーチをポンポンと叩きながら、彼は得意気に頷いた。死神ちゃんはげんなりとした顔で肩を落とすと、小さな声でボソリと言った。
「その研究とやらが終わるまで、俺は帰れないのか」
「当たり前だろう。ワシは一分一秒足りとも無駄にしたくないからな」
「俺、臭くて汚いのはもう懲り懲りなんだが。この前ウーズの汚水を浴びて、すごく不快だったんだよ。ただ臭くて汚いだけじゃあなくて、変にねっとりとしていて最悪なんだ、あれ」
死神ちゃんがため息をつくと、発明家は嬉しそうに目を見開いた。研究のしがいがあると言ってそわそわしだした彼をぼんやりと見つめると、死神ちゃんは再びため息をついた。
サンドイッチを食べ終えると、発明家は早速ウーズを探して森の奥の方にある泉へと向かった。ウーズは発明家の存在を認めると、うにうにと近づいてきた。ウーズが汚水を吐く動作を取ろうとすると、発明家はポーチから空の瓶を取り出した。そして、それを手に、彼はウーズに詰め寄った。
「さあ、吐け! 吐くんだ! きちんと、この中に吐くんだぞ? ほら、どうした? 早く吐かんか! ――何故だ、何故吐かん」
「そんな激しく詰め寄られたら、出るもんも引っ込むんじゃあないかな」
死神ちゃんは頬を引きつらせながら、ぼんやりとした声で言った。発明家の前では、ウーズが怯えるかのようにぷるぷると震えていた。
発明家は不服そうに「そうか」と言うと、瓶を持っている方の手をいきなりウーズの中に突っ込んだ。無理やり汚水を採取されたウーズは、ビシャリと音を立てて崩れた。そして再び形を成すと、泉の一部にできた淀みの中へと逃げ帰っていった。
「うむ、臭い。――む? ウーズがいなくなったな。何故だ。まだいろいろと試したいことがあったというのに」
不思議そうに首を傾げる発明家を、死神ちゃんは呆然と眺めた。そして、ぼんやりと思った。――モンスターなんかよりも、こいつのほうがよっぽど怖い。
さらに、「こいつのこの無茶苦茶な行動、どこかで見たことがあるな」とも思った。それが何だったか思い出せずに首を捻っていると、発明家が遠くのほう――彼はすでに泉から離れており、別の泉へと向かおうとしていた――から「早く来んか」と不満気に声をかけてきた。
毒の沼地にやってくると、彼は毒気を帯びたウーズを眼前にして、シュールストレミング汁や用意してきた〈悪臭を放つもの〉の数々を並べた。彼の用意した物のひどい臭いとウーズの臭さが混ざり合い、周辺は吐き気を催すような腐臭で包まれた。
死神ちゃんが口元と胃の辺りを押さえながら吐き気と戦っていると、発明家もウーズもぐらぐらと身を左右に揺らし始めた。どうやら彼らは、自分達の臭いにやられているようだった。発明家はここまでひどい臭いは早々無いと思ったのか、必死に臭いを
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死神ちゃんが待機室に戻ってくると、同僚達は一斉に死神ちゃんから距離をとった。死神ちゃんは顔をしかめると「俺だって嫌だよ、こんな臭い!」と言いながら傷ついたという顔をした。
グレゴリーは口を閉ざすと、メール画面を立ち上げて必死に何やら打ち始めた。爬虫類は舌を出し入れすることで空気中の臭いを捕らえるため、立ち込める悪臭のせいで口を開いていられずに会話ができないようだ。
しばらくすると、グレゴリーから死神ちゃんにメールが送られてきた。そこには「臭いが消えるまで銀に切り替えるか? それともいっそ早退するか?」と書かれていた。
「そんなにひどいですか、俺の臭い」
死神ちゃんが悲しげにグレゴリーを見上げると、グレゴリーは必死に頷いた。待機室を見渡してみると、特に匂いに敏感であろう第二のメンバーがここそこでぐったりとしていたり泡を吹いて痙攣していたりした。死神ちゃんは「帰って風呂に入ります」と呟くと、とぼとぼと待機室を後にしたのだった。
後日、悪臭で|顰蹙《ひんしゅく》を買ったはずだというのに、死神課の居住区画でシュールストレミング試食会が催され、死屍累々状態だった第二のメンバーが乗り気で参加しているのを見て、死神ちゃんは地団駄を踏んたという。
――――〈美味しいものへの好奇心〉と〈怖いもの見たさ〉には勝てなかったのDEATH。