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12-3「アナフィラキシーショックで死ぬんじゃねぇか俺?」

「ぶぇっくしょい!」

 宇宙歴3502年1月15日0600時。目覚ましのアラームと共に大音量で居室内に響き渡ったシドのくしゃみでクロウは目が覚めた。

「ん、シド先輩?」

「ずびびび、ああ悪い。起こしちまったか。まあ目覚まし通りの時間だけどよ」

 上半身を起こしたクロウを認めながら、シドは鼻をかみつつ声をかける。

「何です? 風邪ですか? 第四世代人類は風邪にならないと思っていたんですが?」

「いやあ、完全にならない訳じゃないぞ、『なりにくい』だけで。でも俺のこれは『花粉症』だな。俺はスギ花粉のアレルギーを持っているから多分それだろう。にしても、時期は早すぎるし、ここは『月面』だぜ? 花粉なんかある訳ないのに何だろうな?」

 ちょうどその時である。明るいチャイム音と共に館内放送が響き渡った。いや、彼女は自らチャイムを口ずさんでいた。

『ぴんぽんぱんぽーん! つくば乗組員3403名の皆さんおはようございます! 宇宙歴3502年1月15日の『つくば放送局』はーじめるよー!! お相手は私、航海科気象長のアジュガ・ツクバでお送りします! 初めましての人は初めまして、お久しぶりの人はお久しぶり! ここ最近はなかなか放送許可が下りなくて困っちゃった!』

 軽快なBGMと共にこのラジオ放送のような放送が艦内放送で流れていた。

「ええっと、シド先輩。『これ』は……?」

「ああ、初めてだったか『つくば放送局』。そういやお前が来たのはちょうど最後の放送があった直後の日だったな。これが流れるって事はとりあえず安全って事だ。こうやって朝、昼、夕の三回艦内の有志が艦長に許可貰って番組を放送しているんだ」

 完全に学園によくある放送委員会のノリである。クロウは頭痛を覚えずにはいられなかった。なるほど、この艦の『副長』を務めている『生徒会長』のパラサが頭に手を当てるポーズが癖なのがクロウにも少しわかった気がした。この艦は戦闘艦でありながら、『ノリが軽すぎる』。

『今日の『つくば』周辺のお天気は月齢の関係で快晴です! 外に出るときにはちゃんと宇宙服を着てね! やけどじゃ済まないよー!』

 そもそも月に大気はない。宇宙服やパイロットスーツを着なければ呼吸出来ずに死ぬ。加えて月の日光が照っている場所の温度は110℃にもなる。一瞬ならともかく体液が沸騰するレベルである。

「先輩。このアジュガ・ツクバって子。名前から察するに『フォース・チャイルド』ですよね? こんなに明るいもんなんですか?」

 花粉症の薬を飲みながらシドは答える。

「ああん? ああ、お前の頭の中では『フォース・チャイルド』はみんなアザレアみたいだと思ってたのかよ? 逆だよ逆。アザレアみたいな『フォース・チャイルド』がレアなんだ。他の『フォース・チャイルド』の連中はむしろ能天気な奴の方が多いぞ」

 クロウに取って驚愕の真実であった。クロウは成体に成長した『フォース・チャイルド』をアザレアしか知らない。当然この艦で暮らす『フォース・チャイルド』はアザレアのような性格のものばかりだと思い込んでいたのだ。実際には逆で、ルピナスのような明るい性格の者がほとんどであるという。

 では、その『フォース・チャイルド』の中にあってアザレアの存在とはいかなるものなのであろうか? クロウはしばし考えるが、その答えはもちろん分からない。機会があればそこら辺の事情も聞いてみたい。他ならぬ戦友の事なのだから。

『と・こ・ろ・で! 花粉症のみんなー? 今日になってから辛くない? 私、夜番だったから、今日は仕事あけでここに来てるんだけどかなり目鼻が辛くってさー 正直花粉症持ってたからそれかなーと思って医務室行ったのね?』

 アザレアの事について、シドに聞こうと思っていたクロウは口を開こうとして、シドが差し出した手のひらに言葉を遮られてしまった。『つくば放送局』の話題がちょうどシドの花粉症と同じ症状の話をしていたためである。

『聞いてよ、これね、月特有の『月塵症(ゲツジンショウ)』って言うんだって! ジェームス先生が言うにはね、月の埃ってすっごい細かいから体が異物だと思ってアレルギー起こす人がいるらしいんだ! だ・か・ら、私と同じ花粉症の人は気を付けてねー! あ、花粉症の薬でちゃんと効いたよ!』

「まじ、か、よ、月とか砂だらけじゃねえか。アレが全部アレルゲンだって言うのか? アナフィラキシーショックで死ぬんじゃねぇか俺?」

 それを聞いたシドは青い顔をしている。ぶるぶると震えながら彼は手に持った花粉症の薬をもう一錠口の中に放り込んでいた。

 その様子を見ながらクロウは用法用量的に大丈夫なのかと心配になったが、ともかくシドは花粉症がかなり重いようである。

「シド先輩。そんなに辛いなら、今日は『非番』でしょう? この部屋から外に出なければいいんじゃないですか?」

「クロウ、お前。天才かよ! そうするわ、お前も外に出るなら悪いんだけど服を叩いてから入って来てくれるか? 出るなとは言わないからよ」

 そんなやり取りをしていた時である。クロウとシドの居室に来客を知らせるチャイムが鳴った。

 その瞬間だけ『つくば放送局』の音量が下がり、きちんとチャイムが聞こえるように工夫されているようだった。因みに『つくば放送局』は今日の食堂の献立についてお知らせしている最中だった。今日の夕飯はすき焼き定食であるらしい。

 ユキの乱入事件があったため、クロウは警戒したが、よく考えればユキは昨日『懲罰房』送りになったはずで、少なくとも今日を含めて3日間は表には出てこられないらしいとシドから聞いていた。だが、念には念を入れようとドアの隣に設置してあるコンソールで外の人物を知ることにした。

「はい、どちら様ですか?」

『ああ、おはようクロウ。申し訳ないのだけど、少し助けて貰っていいかしら? こんなことは初めてで少し困っているの』

 来客はどうやらミツキであるらしい。だが、彼女が困っている様などクロウはそうそうお目にかかったことが無い。一応シドに断ってからクロウは常備服を着込んで外に出る事にした。

 一方シドは常備服を着込んで、さらにガスマスクのような顔全体を覆うマスクを装着していた。

 いや、ような、ではない。あれはクロウにも支給されたガスマスクそのものである。「これがあれば外にも出られるな!」とシドは上機嫌である。目もとしか表情は伺えないが。

 ともあれ、その状態であれば部屋のドアを開けようがどうしようがシドには被害はなさそうである。クロウは部屋のドアを開けた。

「おまたせミツキ…… ぐっふーううううううううう!!」

 ドアを開けた瞬間である。クロウは鳩尾に強い衝撃を加えられ吹っ飛ばされていた。

 見ればミツキが片足を上げてクロウにそのブーツの底を向けていた。どうやらアレで蹴られたらしい。ヤクザキックである。

「何をちんたらしているのかしら、クロウ。私は困っていると言ったのよ? 0.2秒で扉を開けなさい」

 よくよく見れば彼女が何に困っているのかは、すぐに分かった。ミツキのそのすらりと長い脚、クロウを強かに蹴り飛ばした反対側にルピナスが引っ付いていたのである。いや、しがみ付いているという表現の方が正確かも知れない。まるで木に登るコアラのようにルピナスがミツキの足にしがみ付いていた。

 その様子は流石にクロウもシドも想定外だった。とにかく二人は外に出て事情を聴くことにする。クロウは咳き込みながらよろよろとシドに支えられながら外に出た。

「何かしらアナタ達。一人はよれよれ、一人はガスマスク。いったい中でどんな遊びをしていたらそうなるのか小一時間問いただしたいのだけど、今は忙しいので『この子』を何とかしてくれないかしら?」

 そのよれよれにさせられたクロウからすれば、半分はどう考えてもミツキのせいであるが、シドはどう考えてもやり過ぎである。ミツキに言われるのも仕方がない事とも思えた。

『うるせぇな。お前花粉症じゃねえだろ? ふざけた女郎だ、クロウのツレじゃ無かったらぶっ飛ばしていた所だぜ』

 シドがミツキにメンチを切り始めた。ガスマスク越しである。ついでに言うなら彼が何かを言うたびにガスマスクはしゅこしゅこと音を立てている。

 ミツキも負けじとキツくシドを睨みつけ始めた。そのとんでもない絵面にともかくクロウは「まあまあ」と体を両者の前に滑り込ませた。

「とりあえず落ち着いてミツキ。えっと、ルピナス? どうしてミツキに引っ付いているの?」

「クロにぃ! この姉ちゃんすげえのだ!!」

 ルピナスの開口一番がこれである。それだけでは何が何だかさっぱり分からない。ルピナスは酷く興奮した様子で鼻息も荒く言う。

「この『姉ちゃん』のコピー用の電脳作ってたら、『脳量子波』の値が振り切っちまったのじゃあああああ!!」

 ミツキは優雅にふっとため息をつく。

「さっき、すぐそこで出合い頭にしがみ付かれてずっとこの調子なのよ。私も流石にこんな小さい子を蹴り飛ばす趣味は無いわ」

 出会い頭にクロウを蹴り飛ばした女とは思えないセリフである。クロウは内心、彼女にまだ人の心が残っていた事に安心した。

 ともかく、ルピナスの話を詳しく聞かなければいけないだろう。昨日の展望室でのミツキとのやり取りを思い出しながらクロウは考えた。

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