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12話 これで一件落着?

 手が疲れたから休憩を取ろうと、シャーペンをノートの折り目に置いた。
 顔を歪めながら、硬く張った右腕を振る。
 この前から書き始めた死神事件の記録は、ようやく第二の事件まで書き上げた所だ。
 まさか、マリが面接の時に言っていたことを本当にやらされるとは思わなかった。
 パソコンだと電気代がかかるから、手書きで書けとのご命令だ。
 もうワトソンかヘイスティングか、分かったものじゃない。
「書けたの?」
 マリの顔がパソコンのディスプレイの上から飛び出してきた。
 回転椅子の上で首を伸ばしながら、ノートを覗き込んでいた。
「まだだよ。あと半分」
「いつか出版するんだからね。双子探偵ユリ・マリの事件簿ってタイトルで。大ベストセラーになって、あたし達は大金持ちってわけ。だから、しっかり書くのよ。ワトソン!」
 拳を握り締めて明後日の方向を見つめながら、大それた野望を語る。
 相変わらず人使いの荒いホームズだ。
「でもさ、膠着状態だね」
 そんなマリには構わずに、ユリが向かいのソファーで俯き加減に呟く。
 そう、死神事件は膠着状態に陥っている。
 もしかして長期戦になるのか?
「ねえ、ユリ。服、買いに行かない?」
憂鬱な空気を吹き飛ばすかのように、マリは首を伸ばしながら脳天気な声で提案する。
「そうだね。まだコート買ってないし。冬物のお洋服、いっぱい買っちゃおうか」
 ユリは顔を上げてデスクへ視線を送る。
 さっきまでとは違って明るい表情になっていた。
「ユリ、あたしはストリームで行くからね。なんか、久しぶりに乗りたくなっちゃったし」
「でもさ、雨降るかもしれないよ?」
 僕はマリの背後に視線を送って、ブラインドに覆われた窓を眺める。
 そういえば、今朝の天気予報で言っていた。
 今日は夜から所により雨が降るかもしれないと。
「大丈夫よ。その前に帰れるわよ」
 メアリーに同乗していけばいいのに。
 しかも、雨が降るかもしれないのに。
 この寒空の下、わざわざあの赤いバイクで行く気らしい。
 マリのストリームに対する愛情も相当なものだ。
「さあ! 行きましょう!」
 マリは両手をデスクに叩きつけると、お尻で椅子を突き飛ばして立ち上がった。
 どうか、雨が降りませんように。

「あっ、これもかわいいわね。ユリ、どう?」
「うん。かわいいよ」
 デパートの洋服売り場に入店してから約10分、ユリとマリはずっと二人揃ってこの調子だ。
 お気に入りの服を見つけては体に当てて簡易試着。
 そして、可愛いと互いに誉め合う。
 女の子の買い物は長いと言うけど、ユリとマリも例外ではないようだ。
 僕は手持ち無沙汰の余り、意味の無い行動を繰り返す。
 店の前を行き交うカップルや家族連れを目で追ってみたり。
 店内に流れる歌に耳を傾けてみたり。
 コートを羽織ったマネキンのお姉さんを眺めてみたり。
 大丈夫だ。この人は遺体じゃない。本物のマネキンだ。
「うーん、どっちがいいかな?」
 マネキンのお姉さんから視線を移すと、ユリが両手に提げたハンガーを見比べていた。
 右手のハンガーには赤いチェックのコート。左手のハンガーには白いコート。
 どちらを買うか、迷っているらしい。
「そうだ。ユウちゃん、選んでよ。ユウちゃんがいいって言う方にするから」
「えっと、じゃあこっちで」
「こっち?」
ユリが肩の高さまで右手を上げる。僕が指差した白いコートを。
「うん。じゃあ、こっちにするね」
「ユウキ、あたしのも選んでよ。あんたのセンス、試してあげるわよ」
「えっ? マリも?」
というか、何で迷ってないのに選ばないといけないのかな?
「これとこれ。さあ、早く選びなさいよ」
 疑問を抱く僕をよそに、マリは二つのハンガーを選び取った。
 右手には真っ赤なコート。左手には黄色いコート。
 両手に提げたハンガーを揺らして決断を迫る。
「えっと、こっちの方がいいかな」
 僕は右手に提げた赤いコートを指差した。
 やっぱり、マリのイメージカラーは赤だから。
「いいわよ。じゃあ、こっちにしてあげるわ」
 マリは満足そうな顔で頷いていた。

「ちょっと買いすぎちゃったかな?」
 駐車場を歩いていると、ユリが心配そうに呟いた。
 結局、僕らは三人が両手に紙袋を提げる程の服を買ってしまった。
「大丈夫よ。タンスもクローゼットもまだ空いてるし。余裕で入るわよ」
マリ、収納場所よりも家計の心配をして欲しいな。
 ユリもそういう意味で言ったと思うんだけど。
「何とか、天気もってくれたね」
ユリが空を仰ぎ見たから、僕も一緒になって見上げてみた。
 今にも雨が降り出しそうな灰色の曇り空。
 予報通り、今夜は雨かもしれない。
 頭を下げて前を向いた時、マリの姿が視界の端から消えた。
 立ち止まって振り返ると、マリは驚愕の表情で立ち尽くしていた。
 視線は車道へ注がれている。
「どうしたの?」
 僕は体を捻ったまま問い掛ける。
 返ってきたのは思いも寄らぬ言葉だった。
「タカヒロさんがいたのよ!」
「えっ……?」
「本当に……?」
「追いかけるわよ!」
 呆気に取られる僕とユリを置き去りにして、マリは先陣を切って走り出した。
 僕とユリも慌てて後を追う。
 紙袋がボコボコと音を立てて、服が中で弾む。
 激しく上下するマリの背中に、僕は大声で疑問を投げかける。
「本当にタカヒロさんだったの?!」
「間違いないわよ! 黒いニットキャップ被ってたから!」
「ニットキャップ?」
「第一の事件の時よ! あんたも見たでしょ?!」 
「あの、テーブルの上に置いてあったやつ?」
「そうよ! あれを被ってたのよ!」
 僕らはファーストフード店の前で立ち止まった。
 黄色いアルファベットの看板の下で注意深く繁華街を見回す。
「いたわよ」
 マリの声に振り向いて視線の先を辿る。
 大勢の人々が蠢くスクランブル交差点。
 黒いニットキャップを被った頭が群衆の中から突き出ていた。
「3人で挟み打ちにするわよ。あたしは右。ユリは左。ユウキは正面。いい?」
「うん」
「分かったよ」
 僕らは通行人を装って何食わぬ顔で近づいていく。
 タカヒロさんらしき男の背中が大きくなっていく。その距離、約10メートル。
 僕らの存在に気づいている様子は無い。正面を向いたまま歩いている。
 ユリとマリと目配せを交わし、駆け出すタイミングを打ち合わせる。
 マリが右手を挙げて合図を送った次の瞬間だった。
 黒いニットキャップが静止して僕らを振り返った。
 追跡者の存在に感づくなり、男は一目散に逃走していった。
「待ちなさい!」
 すかさず追走するマリの背中を、僕とユリも一歩遅れて追いかける。
 間違いない。タカヒロさんだ。人違いなら僕らを見て逃げ出す訳がない。
 二色式の縦型信号は下の部分が青く光っていた。
 逃亡者は通行人を避けて、蛇行しながら横断歩道を駆け抜ける。
 交差点が数メートル先に迫る。青信号が点滅し始める。
「ちょっと待ってよ!」
 無理なのは承知だろうけど、マリは右手を伸ばして待ったを要求する。
 横断歩道を渡る通行人が何事かと一様に振り返る。
 無情にも青信号が消えた。
 上側の赤信号が光る。
僕らは黄色い点字ブロックの前で足止めを余儀なくされた。
横断歩道を挟んで停車していた車が一斉に走り出す。
ユリとマリは悔しそうに顔を見合わせる。
「見失っちゃったね」
「二手に別れましょう。ユリはメアリーで探して。あたしとユウキはストリームで探すから」

 ストリームは前後を車に挟まれて疾走していた。
 左右に立ち並ぶビルが後ろへ流れていく。
「どこ行ったのかしら?」
 マリはヘルメットを左右に振ってタカヒロさんの姿を探している。
 僕もヘルメットのガラス越しに右へ左へ目を動かしてみる。
 ニットキャップを被った通行人は何人かいるけど、黒いニットキャップは見当たらない。
 どこかに隠れているのか? 
 それとも、もう遠くへ逃げたのか?
「いたわよ!」
 そう思った矢先、マリの叫び声が響き渡った。
 素早く視線を上げると、マリの首は右を向いていた。
 白いガードレールの向こう側、人混みの中で黒いニットキャップが動いている。
「逃がさないわよ! 疾風のバイカーの名にかけて、絶対捕まえてやるんだから!」
 ストリームが加速。
 僕はマリの腰に巻き付けている両腕に力を込める。
「ユウキ! 降りたら挟み打ちにするわよ!」
「うん!」
僕は何台もの車の走行音に負けじと大声で返事をした。
ストリームがタカヒロさんの横を通過。一気に減速。
僕はマリの腰から両腕を外す。マリがストリームから飛び降りる。
遅れてマリの背中を追う。マリがガードレールを飛び越える。
 僕もハードルを跳ぶように跨ぐ。
 僕が道路に着地した時、タカヒロさんの足は止まっていた。
 マリが目の前に立ちはだかり行く手を塞ぐ。
 僕はすかさず反対側へ回り込む。
 挟み打ちにされた逃亡者が僕とマリを忙しなく交互に見回す。
 両側から四本の手がタカヒロさんへと伸びていく。
 マリが腰を掴むのと僕が足を捕まえたのは同時だった。
 タカヒロさんの体が前へ倒れていく。マリが倒れた背中に馬乗りになる。
 僕はその後ろでタカヒロさんの足に乗って、両手で足首を押さえつけた。
「離してくれ!」
タカヒロさんは激しく体を捻って抵抗する。
「暴れるんじゃないわよ。大人しくしてなさい」
「わ、分かったよ」
マリの言葉を素直に聞き入れたらしく、手袋越しに感じていた抵抗力が消えた。
「ちょっと見せてもらうわよ」
身体検査をしているらしく、マリはタカヒロさんの上着とズボンのポケットを探っている。
「武器は持ってないみたいね」
「何も持ってないよ」
我に返った瞬間、ようやく周囲の様子を認識した。
 通行人の誰もが僕らを眺めていた。
 歩きながら、あるいは足を止めて。
タカヒロさんへ顔を戻した時、マリがヘルメットを脱いで指示した。
「ユウキ、警察に電話して。あとユリにもね」
「あっ、うん」
タカヒロさんの上に乗ったまま、ズボンから携帯を出してユリに電話を掛ける。
「はい、ユウちゃん?」
「ユリ、タカヒロさん捕まえたよ」
「本当?! どこにいるの?!」
「交差点の近くだよ」
「分かった。すぐ行くから」
ユリとの通話を終えて、今度は海堂警部へ電話を掛ける。
「もしもし、ユウキ君かい?」
「警部、タカヒロさんを捕まえましたよ」
「なーに?! どこにいたんだい?!」
「デパートの近くです」
「あそこかい。今から向かうよ」

「ユウちゃん! マリ!」
 メアリーのフロントドアが開くや否や、ユリが運転席から飛び出してきた。
 後ろ手にドアを閉めて、長い髪を揺らして駆け寄ってくる。
「大丈夫?」
「大丈夫だよ」
「別に怪我なんかしてないわよ」
タカヒロさんの上で馬乗りになったまま、二人でユリを見上げながら無事を報告する。
緊張感も和らいできた頃、タカヒロさんの口から震える声が漏れてきた。
「私じゃないんだよ! 私は一人も殺してないんだよ!」
「じゃあ、何で行方を眩ましたりしたのよ?」
「横山に殺されそうになったんだよ。あいつが家に押しかけてきたんだ」
「横山が?」
「私に問い詰めてきたんだよ。お前が死神なんだろ。白状しろって。首元にナイフを突き付けながら恐ろしい顔で……」
「それで身の危険を感じて行方を眩ましたの?」
「ああ、そうだよ」
「何で警察に言わなかったのよ?」
「どうせ信じてもらえないと思ったんだ。ただでさえ、私は疑われているのだからね」
「そういえば、第三の事件の時に近所の人が証言してたね。言い争うような声を聞いたって」
「そうだよ。それだよ」
「タカヒロさん、横山さんが押し掛けてきたのって何時頃でした?」
「時間かい? 確か12時頃だったはずだけど」
タカヒロさんは記憶を探るように目を伏せる。
「12時頃。あの人の証言と一致しますね」
「そうだよ。だろう?」
味方を得たとばかりに縋るような目でユリを見上げる。
「じゃあ、ナイフに付いてたあんたの指紋は? あれはどう説明するわけ?」
「そうだ。あの時だよ」
「あの時って?」
「横山が押し掛けてきて揉み合いになったんだ。その時、あいつのナイフを触ったんだよ。だから、指紋が付いてたんだよ」
「その話、ほんとなの? 今、考えたんじゃないの?」
「嘘じゃない! 信じてくれ!」
この話を信じてもいいのか? 
 いや、騙されたら駄目だ。
 こんな状況で素直に認める犯人なんていない。
 マリの言う通り、咄嗟に思いついた作り話だ。
「とにかく警察が来るまで離す訳にはいかないわ。もうちょっと辛抱してなさい」
「そうかい……」
信じてもらうことを諦めたかのように、タカヒロさんは深い溜め息を吐き出した。
「にしても、あんた、足遅いわね。あたしだって、そんなに速くないのに」
「元々、足は遅い方だよ。それに歳には勝てないよ」
「そういや、前にそんな話してたわね。野球がどうのって」
「あれか。そういえば、そんな話もしたね」
 二人の会話を聞いて僕も思い出した。
 あれは第二の事件の時だった。
 引ったくり事件の話をしている時、タカヒロさんは苦笑混じりに足が遅いと打ち明けていた。
 意識を現実へ戻した時、けたたましいサイレンの音が耳を突き刺した。
 二台のパトカーが路肩で停車する。
「いやあ、お手柄だったね」
 パトカーから出てきた海堂警部は晴れやかな笑顔を浮かべていた。
 タカヒロさんの傍らに屈み込み、懐から手錠を取り出す。
「吉野タカヒロ、横山タクヤ殺害の容疑で逮捕する」
 タカヒロさんの両手が手錠で拘束されて海堂警部が腰を上げる。
「さあ、立つんだ」
 海堂警部が命じると、タカヒロさんは覚束ない足取りで立ち上がった。
 二人の警官に両脇を抱えられてタカヒロさんが連行されていく。
 後部座席左側のドアが開き、タカヒロさんが車内に押し込まれる。
 二人の警官が左右に座ってタカヒロさんを挟む。
 エンジンが唸りを上げて、再びサイレンが鳴り響く。
 タカヒロさんを乗せたパトカーは赤色灯を回して走り去っていった。
「これで一件落着だね」
 パトカーが見えなくなった頃、僕は無理に笑顔を作って言ってみた。
 だけど、振り向いた二人の顔に笑みはなかった。
 黙って言葉を待っていたけど、二人の口が開くことはなかった。
 ユリもマリも無言のまま、パトカーが走り去った方向へ顔を戻した。

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