4-9. 現れたオーガ
眼前にそびえ立つオーガが、丸まった背中を伸ばすように咆哮した——瞬間、両腕で無造作に地面を薙ぎ払う。
「きゃあっ!」「く……っ」
容赦ない力に、ユウリの目の前の地面が抉れて、ヨルンの張った障壁ごと吹き飛ばされた。
「……っ!」
着地する前に踏み潰さんとするオーガの脚が彼らに届く前に、ロッシの放った魔法がかろうじてそれを食い止める。
「チッ……!」
止められた脚を軸にして振り払われた蹴りがユージンとリュカの障壁を壊す。そのまま翻ったオーガの身体の先にいるロッシとレヴィに、その途方もなく大きな拳が降ろされた。
(速い!)
ヨルンの詠唱ですらほぼ紙一重でしか
「ヨルンさん!」
ユウリが言うが早いか、オーガの足元が爆発する。その巨体はバランスを崩し、繰り出される攻撃が一瞬止んだ。
「ユウリ、ナイス!」
直ぐさまヨルンが上空に飛び上がると、オーガの腕を呪縛魔法で捉えた。それをキリキリと絞りながら、ヨルンは立て続けに詠唱を重ねる。
「よくやった!」
ユージンが叫ぶや否や、リュカとともに無数の氷刃を繰り出して、反対側の腕に集中的に攻撃を加えた。苛立ったように咆哮するオーガの速度が、明らかに落ちる。
「よし!」
「捕まえます!」
ロッシとレヴィが唱えた魔法で木々が蔦のようになり、オーガの脚を捉えようと地面を這った。
ユウリの《始まりの魔法》で、赤黒い身体のあらゆるところに爆発が起こり、その巨体がぐらりと
止めを刺さんとした、その時。
空気を裂くような音の後、ヨルンの背中にドスンと鈍い衝撃が加わった。
「な……っ」
突然のことに、短い叫びを上げて、彼は空中でガクンと傾く。
緩んだ呪縛から翻ったオーガの腕がそれを薙ぎ払い、ヨルンは地面に叩きつけられた。
「ヨルンさん!」
悲鳴を上げて駆け寄り、ユウリは土埃の中に倒れるその身体を抱き起す。
苦痛に寄せられた眉根ときつく閉じられた瞳に、急いで治癒を、と機械時計を握ろうとして、ヨルンの肩口から見えるものに思考が停止した。
——矢が
ユウリの掌の半分ほどもある矢じりが、彼の肩を穿っていた。
「ユウリさん、止まらないで!」
レヴィの声に振り向くと、オーガの脚がユウリのすぐ目の前に迫っている。ぎりぎりで弾き飛ばすも、あちこちに思考が飛んで、二撃目に反応できない。
深緑の髪が躍り出て、樹木の蔦が彼女とヨルンと囲うように守る。
「ぐあっ」
「いやぁ! ロッシさん!」
再び何処からか放たれた矢が、駆け寄ったロッシの脚を地面に縫い止めた。
悲鳴を上げるユウリに、ユージンがこちらに跳躍してきて、森の樹々を睨む。
「森か」
一瞬目を向けるも、拘束の解けたオーガの止まない攻撃に、ユージンは舌打ちしながら障壁を張り直した。
機械時計を握りしめて、ユウリは泣ながらロッシの矢を抜き取る。
「泣くのは後だ」
「でも、この傷……!」
矢じりに貫かれたロッシの傷の周りに、何らかの紋様が浮き上がっていた。
先程から何度も祈るユウリの魔力が、それに拒まれて通らない。
「反魔法痕か……厄介だな」
聞きなれない単語に顔を上げたユウリの側に、リュカが障壁ごと弾かれて倒れこんできた。
「リュカさん!」
「リュカ、反魔法を打ってくる奴らが森にいる」
「なんだって!?」
脚の痛みに顔を歪めたロッシの短い説明に、リュカは苦々しい顔をする。
余裕のない二人の表情に、ユウリはただ、祈り続けることしか出来ない。
リュカは障壁を張り直して立ち上がると、戦っているユージンとレヴィを見据えて、ユウリの頭に手を置く。
「仔猫ちゃん、ヨルンとロッシを連れて避難して」
「でも!」
「今の君の心じゃ、勝ち目がない」
リュカの冷たい声音に、ユウリは言葉に詰まった。
《始まりの魔法》が上手く定まらない、彼女の動揺を見抜かれている。
「
オーガに向かって一気に跳躍するリュカと、空中で攻撃を躱すユージンとレヴィ。
そこに向かって、降る矢。
貫かれる身体。紅い飛沫。
(何も、出来ない)
ユウリの《魔法》が、祈りが、届かない。
「ユウリ! 集中しろ、心を揺らすな!」
ロッシの叱責が、遠くに聞こえる。
ざわざわと、森がうねっている。
不安に渦巻く赤黒い悪意。
——逃げてください
それは、優しく微笑む白銅色の瞳。
(嫌だ、嫌だよ!)
パキン、と硝子が砕けるような音がして。
「ああああああああっ!」
自分の肩を搔き抱いたユウリの叫びが、空気を貫いた。
涙に濡れた頰が熱くなって、彼女は機械時計を強く握り締める。
「シーヴ、グンナル」
思い出したそれを、大切に呟いて。
ユウリは強く祈った。
(もう誰も死なせない……!)
オーガの動きが止まり、その巨体が砂のように瓦解する。
一陣の風が駆け抜け、樹木がざあっと揺れた。
「う……」
「なんだ……何が起こった……?」
五人の身体から、反魔法の紋様が浮かび上がり、空中で綻びていく。
それと同時に、感じる治癒の力。
それをもたらしているであろう、ユウリから立ち上った魔力が収束し、弾ける。
刹那、眩い光。
緩やかに目を開いた五人が見たのは、いつもと変わらぬ風景。
抉られた地面も、倒された樹々も、身体についた傷も、全て元通りになっていた。