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3-5. 《始まりの魔法》発動特訓

 ——バシャンッ

 デジャヴである。
 執務室の床を水浸しにして、ユウリは泣きそうになっている。

「どうして、そうなる」
「わぁあああん、私にもわかりませんんん!」

 濃紺の髪先からポタポタと雫を落とすユージンの眼光だけで、いつものごとく水魔法を失敗したユウリは息の根が止まりそうになった。

「何度見ても、本当に分からないね」

 リュカが感心したようにいう。
 今の失敗は、呪文の詠唱もない《始まりの魔法》としての水魔法だった。
 発現するまでそれとわからない魔法。
 そのため、ユウリの目の前にいたユージンは気付く間も無く頭から水を被っていた。

「魔力の流れも、タイミングも、一切分からんな」
「うう……」
「ねぇ、ユウリ。今のは何をしようとしたの」
「ちょ、ちょっと気が散って、そういえばここでヨルンさんが綺麗な水柱を見せてくれたなぁって思ったら」

 ユージンからごつんと拳骨を喰らう。

「気を散らす余裕があるか、集中しろ」
「……はぃ、すみません」

 ユウリは、手の中に機械時計を納めて深呼吸する。

(私が撒いた水、乾いて)

 さあっと飛沫が飛んで、水浸しの床とユージンが乾燥していく。ヨルンがユージンの頭を撫でてそれを確かめて、鬱陶しそうにその手を叩かれていた。

 数日間、ユウリは授業を休まされて、《始まりの魔法》を練習している。
 初めてそれを発動したあの日、学園長室で険しい顔で話す三人を見ながら、逃げたい、と思った瞬間、ユウリは自室にいた。
 移動魔法が発動したことに気付いたラヴレが、その魔力の残滓を追って彼女の部屋までやってきた時、ユウリは真っ青な顔でただ部屋の中に立ち尽くしていた。

 ラヴレの提案で、《始まりの魔法》の発動条件を見つけることと、それを安定させるまで授業は欠席ということになったのは、結果的に良かったとユウリは思う。
 不安になる度に教室から消えていたら、退学どころの話ではなくなってしまう。
 更に言うと、《始まりの魔法》を使うユウリの漆黒の瞳は、揺らめき、紅く光る。

『——その者、闇に炎を携え舞い降りる』

 その様は、否でも応でも歴史書に描かれる《始まりの魔女》を連想させてしまう。
 試しに、以前と同じように呪文を唱えながら、魔力の流れを意識して魔法を使うと、精度は悪いままで、瞳の色は変わらなかった。

 その過程で、発動条件は意外にも簡単に見つかった。
 機械時計を握って願った時のみ、ユウリの魔力は正しく放出されるらしい。
 思い返せば、初めての時も、学園長室でも、ユウリの手の中には機械時計があった。

 ただ、それを安定させるということは、全く別問題だった。
 どうにも、ユウリの魔力は一番強い思いに引っ張られるようで、少しでも集中を欠いたり動揺すると、今回の水浸しのように思ってもみない結果になってしまう。
 リュカが練習中の彼女に悪戯をして、肋骨にヒビが入るほどぶっ飛ばされたのは自業自得だとユウリは思う。

 また、願いは具体的であるほど効果が高く、周りへの被害が少ないようだ。
 ある時、ユウリは目の前の植木鉢を見ながら(花よ咲いて)と願ったにも関わらず、執務室中の植物に花を開かせて、ロッシに泣くほど怒られた。
 次に(私の目の前の鉢の花よ咲いて)と願うと、花を咲かせながら枝が次々と伸び、最終的には鉢からも溢れて咲き乱れ止まらなくなって、ユウリが鎮めるまでヨルンが家具に巻きつく枝を焼き払う羽目になった。
 外の方が被害が少なそうだから庭園へ移動してもう一度試し、今までにないほど美しく咲いたロズマリアの花を見て、ユウリはようやく(目の前のロズマリア、一輪だけ花を咲かせて)と願うのが一番正しかったと知ったのだ。
 それはやはり、ユウリの祈りへの集中に関係するのだろう、とユージンが結論づけた。
 具体的に意識に上らせることによって、他のものに気を取られにくくなる。
 つい最近まで普通魔法すら満足に使えなかったユウリが、全くの手探りで、ここまで分かれば上々だろう。

 そうやって数日間で見つけた《始まりの魔法》の成果をラヴレに報告するときに、ユウリはずっと心に引っかかっていたことを尋ねてみた。

「私、今までに何度も時計を握りしめたことはあるんです。不安な時そうすると、不思議と落ち着いたから。でも《始まりの魔法》は発動しませんでした。だから、どうして急に出来るようになったのか、自分でもわからない……」
「そうですねぇ、これは私の憶測ですが……切っ掛けが必要だったのではないでしょうか」
「切っ掛け?」
「ユウリさんは、『また(・・)人が傷つくのは嫌』だと言いましたね」

 そういって、ラヴレは聞いた。



 ——貴女のせいで、大切な誰かを傷つけられたことがあるのですか

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