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第145話 マッコイの乙女心変奏曲(パルティータ)

「あら、もしかして……」

「やっぱり、マッコイさんだ! お久しぶりですね!」


 マッコイは心なしか戸惑いの表情を浮かべた。店員らしき男は、とても暖かい笑みをマッコイに向けていた。
 その場に居合わせたクリスはとても面白そうな顔を、そして死神ちゃんは心なしか面白くなさそうな顔をしていた。



   **********



 死神ちゃんはマッコイとクリスとともに、環境保全部門の居住区の一角を歩いていた。
 死神ちゃんたちの属する環境保全部門の居住区は、天狐の管理するアイテム開発・管理部門のように〈それ全体がひとつの街〉という体を成してはおらず、幾つかの区画で分けられている。どの居住区にも大きな門が二つあり、片方は社内、もう片方はウィンチの住まう〈環境保全部門居住区域・中央区〉に繋がっている。
 今、死神ちゃん達は、中央区を抜けた先にある〈別の課の居住区〉を目指して歩いていた。そこの区画にあるラーメン屋が、とても美味しいと評判なのだ。


「|薫《かおる》って一部の麺類を食べる時にズゾゾって音を立てて食べてるけど、あれって一体どういう仕組でそうなってるの?」

「どうと言われても……。逆にお前らが|啜《すす》れないのが、俺には不思議だよ」

「アタシもクリスも、そういう習慣のない文化圏で育ってるから仕方ないわよ。でも、薫ちゃんもほぼ日本では生活してなかったのよね? なのにどうして啜れるの?」


 不思議そうに首を捻る死神ちゃんにマッコイが苦笑すると、その横でクリスが不服そうに口を尖らせた。


「豪快にズゾゾって食べれないのが、何か悔しいんだよね。ラーメンとか蕎麦って、ズゾゾって食べたほうが、見ててすごく美味しそうなのに」

「別に啜れなくても、美味いもんは美味いだろう。それに、啜れなくてもたもたとしながら必死に食べてるお前らって、見ていて飽きないんだよな。だから、上手に啜れるようにはならないでいてくれていいっていうか」

「何それ、馬鹿にしてるの?」

「いや、可愛いと思ってる。何か、小動物みたいで」


 マッコイとクリスは恥ずかしそうに顔を真っ赤にした。そしてクリスが何やらぎゃあぎゃあと喚いた。死神ちゃんはそんな彼らの様子を不思議に思い、首を傾げた。そして苦笑いを浮かべると「いいから、早く食いに行こう」と彼らに声をかけたのだが、そう言いながらも死神ちゃんはふと足を止めた。
 釣られて足を止めたマッコイは、不思議そうに死神ちゃんを見下ろした。


「薫ちゃん、どうしたの?」

「いや、今、誰かがお前のこと呼ばなかったか?」

「えっ、アタシ?」


 マッコイが訝しげに顔をしかめると、後方からたしかに「マッコイさん」と呼ぶ声がした。マッコイは声のする方に顔を向けると、心なしか驚いたような、それでいて少し戸惑っているような表情を見せた。


「あら、もしかして……」

「やっぱり、マッコイさんだ! お久しぶりですね!」


 とある店の前で開店準備をしていたであろう男が、マッコイに向かって優しく微笑んだ。二人の微妙な空気に何かを感じ取ったクリスはニヤニヤとした笑みを浮かべると、マッコイの服をちょいちょいと引っ張りながらヒソヒソと言った。


「マコ|姉《ねえ》、あの人は誰なの?」

「以前この世界に出稼ぎ出店していたお店のオーナーさんよ。親御さんの介護のために、撤退なさったはずなんだけれど……」


 店主はにこやかな笑みを湛えたまま、マッコイとその連れ二人を眺め見た。そして「良かったら寄って行かれませんか?」と声をかけてきた。マッコイは断ろうとしたようだったが、クリスが「是非」と返答した。死神ちゃんがムスッとした顔をしていることに気がついたクリスは、死神ちゃんに向かって言った。


「ラーメンは逃げないしさ。()()()()()()の二人がせっかく再会したんだし、今日はこのお店にしようよ」

「単にお前の中の野次馬が騒いでるだけだろうが」

「いやだ、気がついた?」


 死神ちゃんは至極不機嫌という体でフンと鼻を鳴らすと、彼らのあとについて行った。



   **********



「ここのお店はね、チキンカチャトーラが美味しいのよ」


 そう言いながらも、マッコイはどことなく落ち着かない様子だった。じゃあそれを三つ、と頼むと、クリスはニッコリと笑って言った。


「失礼を承知でお聞きしますけど、お二人はどういうご関係?」

「ちょっと、クリス! その聞き方、本当に失礼よ!」


 マッコイが目くじらを立てたが、店主は笑いながら「マッコイさんは一番の常連さんでした」と答えた。
 先ほどのマッコイの説明通り、彼は以前この世界に出稼ぎ出店していた。妻と二人で切り盛りしていた店は、この世界の中でもそこそこの人気店だったそうだ。マッコイは言葉通り〈一番の常連さん〉だったそうで、毎日のように足繁く通ってくれていたのだとか。


「親父が倒れたんで介護のために撤退したんですが、その親父も昨年亡くなりまして」

「あら、それは……。お悔やみ申し上げます」


 マッコイが表情を暗くすると、店主は返事をする代わりに微笑んだ。そして情けない表情で苦笑うと、ほんの少しだけ俯いた。


「介護のための撤退と言いつつ、介護は妻に任せっきりだったんです。親父も店をやっていましたんでね、私は親父に代わって店を開き続けていたんですよ。――結果的に、介護疲れがきっかけで妻とは離縁致しました」


 マッコイとクリスが気まずそうに息を詰まらせると、店主は申し訳無さそうに肩を落とした。
 彼は父の店の常連さん達からの「いつか戻ってくるだろうお父さんのために、店を開け続けて欲しい」という願いを叶えるべく、毎日店を開け続けた。しかしながら、料理人としての彼は父を越えることは出来なかった。父に代わって営業を続けていても、父の客が自身の客に転じることはなかったのだ。もちろん、彼に腕がなかったというわけではない。それだけ、父の背中が大きかったのだ。
 そんなわけで、父が亡くなると当然のように客足は遠のいた。妻と別れ、店を開けていても意味が無くなった彼はぼんやりと〈出稼ぎ出店していた世界〉のことを思い出した。その世界の客は全てが〈自分の客〉であり、撤退する際には「いつかまた、きっと戻ってきて欲しい」と声をかけてくれたお客も少なからずいた。


「もちろん、それは〈気持ちよくお別れするための餞別〉としてお世辞を言ってくださっただけなのかもしれない。でも私は、マッコイさんをはじめとした〈私のファン〉にもう一度会いたかった。――だから、お恥ずかしながら、戻って参りました」


 彼は控えめに笑うと、調理に取りかかった。しばらくして、パスタの上に盛りつけられたカチャトーラが三人の前に並んだ。たしかに美味しかったのだが、マッコイは口に運んだ途端、二、三度瞬きをしていた。しかし、店主に「いかがですか」と聞かれたマッコイが「美味しいです。懐かしいですね」と答えているのを見て、死神ちゃんは何となく覚えた違和感を気にしないことにした。



   **********



 あの店を訪れたあとから、マッコイが物憂げな表情でぼんやりとするようになった。
 ある日の昼休憩中、死神ちゃんはマッコイとクリス、それから所用あって早めに出社したケイティーとともに昼食を取っていた。
 クリスは手にしたグラスをテーブルに置くと、マッコイに向かってニヤリと笑った。


「マコ姉、最近よくぼんやりとしているようだけど。もしかしてだけど、昔、あの()店主に恋してたんじゃないの?」


 マッコイが盛大に|噎《む》せ返る横で、ケイティーが「女?」と目を|瞬《しばた》かせた。クリスがあの店の話をすると、ケイティーは〈クリスにとっての男女は、こちらの世界とは少々異なる〉ということを思い出し、それと同時に何の気なしに嗚呼と声を上げた。


「ああ、あの店ねえ。こっちに戻ってきたのか。あんた、店主に恋しちゃって通いまくってたっけねえ。初恋だったんだっけ?」

「何でそういうことバラすのよ!」


 マッコイがケイティーを睨みつけると、ケイティーは〈やっちまった〉というかのように頬を引きつらせていた。クリスは黄色い声を上げると、目を輝かせながら身を乗り出した。


「てことは、マコ姉。ぼんやりしてたのは焼けぼっくいに火が付いちゃったからなの!?」

「違うわよ」

「ええ、そんな、隠さなくてもいいのに! 連れ合いとも別れたって言ってたし、好意的だったし、押せばイケるんじゃないの!?」

「だから、違うったら」

「でも、勿体無いなあ。マコ姉、結構美人さんなのにさ、()()()だなんてさ。マコ姉なら、どんな()だってイチコロでしょうに。――あ、でも、あの()店主も結構いい線いってるし、性別なんて関係なくお似合いだと思うなあ」

「だから、違うって言ってるでしょう? いい加減にしてよ。過去は過去よ。アタシは今、とても幸せなの。でもそれは、彼に再会したからではないわ。だからこれ以上、その話題はよしてちょうだい」


 マッコイは少々煩わしそうにしていたのだが、そんなことを気にすることもなくクリスは一人で盛り上がっていた。死神ちゃんは低く小さな声で「ごちそうさん」と言うと、彼らを置いて先に待機室へと戻っていった。

 その日から、死神ちゃんはマッコイと夕飯を一緒に取らなくなった。昼食は同席してくれるのだが、どことなく機嫌が悪いようで、微妙に空気が悪かった。そのことを気にして、マッコイは気が伏せっていた。
 何とも居心地の悪い日々が数日続いて、マッコイの遅番のある日。マッコイは出勤前に何を食べようかと考えながら寮長の仕事をこなしていた。本来なら、遅番の日は死神ちゃんと一緒に食事を取って、死神ちゃんをお風呂に入れてから出社する。しかし、本日もまた、死神ちゃんは一人でどこかに食べに行っているようだった。
 独りで食べてもな。それなら、適当に冷蔵庫整理をして済ませてしまおうか。――そんなことを、マッコイは暗い面持ちでぼんやりと考えていた。すると、無線を知らせる光を腕輪が放った。



   **********



「|小花《おはな》さ、お前、馬鹿だろう」

「うるさい、黙れ」


 ケイティーに呆れ眼で見つめられながら、死神ちゃんは苦悶の表情で|蹲《うずくま》っていた。しかし誰かに呼ばれた気がして顔を上げると、そこにはマッコイが顔面を蒼白にして立ちすくんでいた。
 マッコイはケイティーに詰め寄ると、「一体、どういうことなの?」と尋ねた。ケイティーはニヤニヤとした笑みを浮かべると、死神ちゃんに視線を投げながら言った。


「馬鹿だよねえ。飽きもせず、毎日同じものを食べ続けてさ。他のものも一緒に注文するのはいいけれど、小麦に小麦じゃあ腹が膨れて辛くなって当然だっつ―の」

「えっ、ただの食べ過ぎ……?」

「そうだよ。苦しすぎて、今、一歩も動けない状態らしいよ」


 そう言ってケイティーが頷くと、マッコイは膝からガックリと崩れ落ちた。彼の様子にぎょっとした死神ちゃんは、苦しいのを堪えて彼に近寄った。


「何、お前、どうしたんだよ?」

「それはこっちのセリフよ! ケイティーがいつになく深刻な声で『小花がヤバイ』って連絡してきたから、慌てて来てみたら、ただの食べ過ぎって……」


 死神ちゃんはマッコイから視線を外すと〈いつの間に連絡しやがったんだ〉と言うかのようにケイティーを睨みつけた。それもつかの間、死神ちゃんは驚きで目をパチクリとされた。安堵の表情を浮かべて涙を一筋ぽろりと流したマッコイが抱きついてきたのだ。彼は心なしか震えながら、とても小さな声で「よかった、ただの食べ過ぎで」と呟いた。
 マッコイに抱きつかれたまま、死神ちゃんが驚き戸惑っていると、ケイティーが苦笑いを浮かべて言った。


「お前は知らないかもしれないけれど、お前が倒れた状態でダンジョンから帰ってくるたびに、こいつ、毎回こんな感じで取り乱してるんだよ」

「もう、また余計なこと言う!」


 マッコイは死神ちゃんから勢い良く離れると、ケイティーを鋭く睨みつけた。ケイティーはヘラヘラと笑うと「先に帰るね」と言い、去っていった。
 マッコイは気を取り直すと、死神ちゃんを抱きかかえた。そして、心なしか顔をしかめた。


「いつもよりも重いわね……。一体、何をそんなに食べたのよ」

「チキンカチャトーラ乗せパスタ。それから、ペンネアラビアータ」

「どちらもパスタじゃないの! それは苦しいに決まってるわよ! ――で、毎日食べてたのはどっち?」


 死神ちゃんは苦虫を噛み潰したような顔をすると、とても言いづらそうに「チキンカチャトーラ」と答えた。マッコイは呆れ眼で眉根を寄せると、死神ちゃんの顔をしげしげと見つめて言った。


「毎日パスタって……この重いのって、もしかして、太ったんじゃないの?」


 死神ちゃんはショックを受けて硬直した。直後、不機嫌なしかめっ面を俯かせるとポツリとこぼした。


「だって、あの店のカチャトーラのレシピを、どうしても知りたかったから」

「あら、だったら言ってよ。アタシ、知ってるわよ?」

「……はい?」


 死神ちゃんは表情もなく、マッコイのきょとんとした顔を覗き込んだ。何でも、二度と食べられなくなるかもしれないのは惜しいと思った彼は、店が撤退する前に頼み込んでレシピを教えてもらったのだそうだ。表情を変えることもなくさらりとそう言って、マッコイは不思議そうに首を傾げた。


「何でレシピを知りたかったの? そんなに気に入ったの?」


 死神ちゃんは返答を言い淀んだ。しばし考えこむと、マッコイは遠慮がちに言った。


「もしかして、焼きもち……?」

「そんなんじゃ、ない」


 言いながら、死神ちゃんは凄まじく不機嫌に顔を歪めた。マッコイは嬉しそうに微笑むと、死神ちゃんを抱え直した。そして、ポツポツと話しだした。
 彼がぼんやりと考え事をしていたのはカチャトーラの味を懐かしいとは思ったものの、以前と同じように美味しいとは思えなかったからだそうだ。もちろん、先日食べたカチャトーラはきちんと美味しかった。しかし、自分の味の好みや舌の感覚が変わってしまったのか、はたまた調理人側に何か変化があったのか、とにかく以前通りの美味しさを感じることがなかったのだ。
 だから彼は、変化の原因について考えていたのだそうだ。使用している調味料の種類が増減しているのかもと思い、頭の中で味の足し引きをしていたからぼんやりとしていたのだという。


「本当に、ただそれだけなのよ」

「なんだ。俺はてっきり……」


 何やら安堵した様子の死神ちゃんは口を|噤《つぐ》むと、再び不機嫌な表情に戻った。マッコイは苦笑いを浮かべると、ゆったりとした優しい声で言った。


「味のことを考えてて思ったんだけど、〈変わらないもの〉って、何もないのよ」

「何も?」

「ええ、何も。味の好みだって、時間が経てば変わるでしょう? だから、マスターには申し訳ないけれど、以前ほど美味しいとは思えなかったわけだし。何も変わらないものなんてないのよ。――例えば、ドラマなんかで〈変わらぬ愛〉なんて言葉が使われるけれど。友情であれ恋愛感情であれ、どんな〈愛情〉でも、失う時は失うじゃない。逆に、失ったものが戻ってくる時もあるし。そして〈あり続ける場合〉だって、ずっと同じというわけではなくて、燃え尽きてしまいそうなほど燃え上がっていたものが、消えることのない安定した大きさになったり。一層深くなったり。そんな感じで、何かしらの変化は続くじゃない」


 そこで一旦言葉を切ると、マッコイは死神ちゃんの背中を優しくポンポンと叩き始めた。死神ちゃんは、お腹がこなれてきてうとうととし始めていた。


「たしかに、マスターはアタシの初恋だったわ。こちらの世界に来て、いろんな感情を知って、それで初めての恋をした。報われない恋だったけれど、それでもいいと思って勝手に燃え上がってた。――でもね、もう完全に〈思い出〉に変わったの。だから、ぼんやりと味のことを考えていた時にも、マスターのことなんて全く考えてなかった。焼けぼっくいなんて無いのよ。たしかに再会して少し戸惑ったけれど、それは揺らぐ何かがあったからではなくて、もう二度と会わないんだろうなと思っていた人が目の前にいたからってだけ。……だって、言ったでしょう? アタシは今、とても幸せだって」


 死神ちゃんは返事の代わりにギュウと抱きついた。そして欠伸をひとつすると、たどたどしく言った。


「変わり続けるなら、良い変化をし続けたいな。――でも、俺、やっぱり〈変わらないもの〉ってあると思うよ。例えば、俺、てんことの友情はずっと続いていくと思うんだ。それこそ、この世界での生活を終える日が来て、新しく生まれ直したとしても。きっとまた、友達になっている気がするんだよ。だから、〈てんこと友達〉という点についていえば変わることはないだろうよ。それに……」


 しりすぼみになりながら切れ切れに喋っていた死神ちゃんは、とうとう眠気に負けてしまった。しかし夢の世界へと旅立つ直前まで、死神ちゃんは寝息ともつかぬ小さな声で喋り続けていた。マッコイは耳まで真っ赤にすると、伏し目がちに俯いた。そして「ずるい」と呟くと、慎重に死神ちゃんを抱え直したのだった。




 ――――変化しようがしまいが、それが〈幸せ〉な状態であるなら良いと思うし、大切にしていきたいと死神ちゃんは思ったのDEATH。

しおり