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第136話 死神ちゃんとマンマ

 ズウンと音を立てて、モンスターがその巨大な体躯を地に沈めた。それを平然とした表情で見下ろしながら、女が言った。


「何だい、だらしがないねえ。もっと強いかと思ったけど、こんなもんかい」


 フンと鼻で短く息を吐きながら肩をすくめる女を、死神ちゃんは呆然と見つめた。そして彼女の規格外な強さに、死神ちゃんは恐怖して震えたのだった。



   **********



 死神ちゃんが〈|担当のパーティー《ターゲット》〉を求めて|彷徨《さまよ》っていると、それと思しき冒険者の方から近寄ってきた。ズンズンと近寄ってくる冒険者――というよりも、巷の食堂のおばちゃんというような出で立ちの恰幅の良い女性に、死神ちゃんは思わず後ずさりした。おばちゃんは死神ちゃんの肩をがっしりと掴むと、とても心配そうな顔を近づけてきた。


「お嬢ちゃん、駄目じゃないかい。こんな危ないところに入ってきちゃあ。ここは楽しい遊び場じゃあないんだよ? 親御さんとはぐれて、間違って入っちまったのかい? それとも、お友達も一緒だったりするのかい? ん?」

「いえ、あの、これでも一応、職務中なんです……」


 一気に捲し立てられて、死神ちゃんは何となく怖気づいた。〈職務中〉という単語に驚いたおばちゃんは、腰を落ち着かせるのに調度良い瓦礫を見つけると、死神ちゃんを手招きした。
 彼女はポーチからミートパイを取り出すと、死神ちゃんに笑顔を向けた。


「さあ、お食べ。マンマ特製のミートパイだよ。たくさん持ってきているからね。もうすぐおやつの時間だし、お嬢ちゃんのような育ち盛りじゃあ、お腹もペコペコだろう。何の仕事に就いているのかは分からないけど、少しくらい休憩しても|罰《ばち》は当たらないだろう? さ、お食べ」


 死神ちゃんは苦笑いを浮かべ、おずおずとパイに手を伸ばした。受け取ったそれを口に持って行きながら「マンマ?」と首を傾げさせると、おばちゃんが笑顔で頷いた。
 何でも、彼女は見た目通り、巷の食堂のおばちゃんらしい。街のみんなの胃袋を満たす彼女にとって、お客さんはみんな、年齢関係なく〈子供〉のようなものらしい。そしてお客もまた彼女のことを〈第二のお母ちゃん〉と思ってくれているそうで、そのため、彼女は街のみんなから敬愛を込めてマンマと呼ばれているのだそうだ。
 そんな彼女が何故ダンジョンにいるかというと、肉を卸してもらっている肉屋の亭主が、伝説の調理器具を求めてよくダンジョンに繰り出しているという話を耳にして、羨ましく思いやってきたのだそうだ。


「奥さんのほうと茶飲み友達でねえ。彼女、趣味でパンを焼くから肉屋の一角で手作りピザとかも売ってるんだけど。そのピザをね、ダンジョンで手に入れたピザカッターでカットしているそうなんだよ。これがまた、すごくいい切れ味だそうでねえ。それを聞いて、あたしも欲しくなっちゃってさあ」


 羨望の眼差しを宙に彷徨わせ、フウと気だるげな息をついたマンマの言葉に、死神ちゃんは思わず|噎《む》せた。彼女は心配そうに眉根を寄せると、ポーチから水筒を取り出して死神ちゃんに差し出した。


「あらやだ、大丈夫かい? ――ほら、これでもお飲み」


 死神ちゃんは礼を述べながら水筒を受け取りつつも、盛大に顔をしかめた。――まさか、いつぞやの肉屋の話がここで出てくるとは。しかも、モンスターに対して凄惨な攻撃を行うのに使用したピザカッターを、まさかそのまま普段使いしているとは。
 死神ちゃんがひと心地つくと、マンマはパイの味について尋ねてきた。死神ちゃんは笑顔を浮かべると、「美味しいです」と答えた。そのまま、死神ちゃんは不思議そうに首を捻った。


「でも、どこかで食べたことがあるような」

「あら、本当かい? 最近、肉屋が不思議な包丁をダンジョンで手に入れたそうでね。それで肉を処理しているおかげか、うちのミートパイも味がパワーアップして。おかげさまで、今、街で人気になっているんだよ。――でも、おかしいねえ。お嬢ちゃんのような可愛いお客さん、このマンマが忘れるわけないんだけどねえ」


 マンマは首を傾げさせながら、パイの追加を死神ちゃんに手渡した。死神ちゃんはそれを頂きながら、先日再会したフリマ出店者からこのパイを貰ったということを思い出していた。

 マンマは死神ちゃんがお腹いっぱいになるまでパイを与え続けると、満足気に頷いて立ち上がった。一緒に帰ろうというマンマの手に引かれて、死神ちゃんも歩き出した。
 途中、モンスターに出くわしたのだが、彼女はグーパンひとつでそれを捻じ伏せた。死神ちゃんは目をひん剥いて口をあんぐりとさせると、ポツリと呟くように言った。


「マンマ、すごく強いんですね……」

「あっはっは! 毎日パスタやパイ生地を大量に捏ねてりゃあ、このくらいはねえ。むしろ、気候によって水分量が変わる生地と格闘するほうが、こいつらと格闘するよりも大変だよ」


 そこら辺の職業冒険者の、闘士や僧兵よりも立派な太い腕に力こぶを作ると、マンマは豪快に笑ってそれをペチペチと叩いた。死神ちゃんは頬を引きつらせると、小さく「へえ」とだけ返した。それが、精一杯だった。
 その後も、マンマは拳ひとつで魔物を倒しながら進んでいった。しかし、そんな彼女の目の前に巨大なモンスターが小さな仲間とともに立ち塞がった。彼女はゴクリと唾を飲み込むと、不敵に笑ってポーチに手を伸ばした。


「こいつは、()()の力を借りる必要がありそうだねえ……」


 そう言って彼女が取り出したのは、麺伸ばし棒だった。彼女はそれをしっかりと握り締めると、モンスターの群れに突っ込んでいった。襲い来るモンスター達を華麗なステップで避けながら、彼女は一心不乱に伸ばし棒を振った。


「遅い! 遅いよ、あんた達! お昼の混雑時に押し寄せるお客のほうがよっぽど強敵だよ! そんなんでこのマンマに敵うと思っているのかい!?」


 叩き伏せたモンスターから上がる血しぶきを浴びても動じること無く、マンマは軽やかに踊り続けた。そして、巨大なモンスターが倒れ、全ての魔物が駆逐されると、彼女はけろりとした表情でそれを眺めながら言った。


「何だい、だらしがないねえ。もっと強いかと思ったけど、こんなもんかい」


 ただのおばちゃんとは思えない強さに、死神ちゃんは縮み上がった。そしてカタカタと震えながら、死神ちゃんはポツリと呟いた。


「マンマ、|怖《こえ》え……」



   **********



 勤務が明けた死神ちゃんが寮に戻ってきてキッチンの前を通りかかると、マッコイとクリスが何やら楽しそうに鍋を囲んでいた。死神ちゃんが顔を出すと、クリスが「料理を教えてもらっているの」と嬉しそうに笑った。
 トマトの香りが漂う中、マッコイはパンと手を打ち鳴らすと、笑顔でクリスに言った。


「さ、それじゃあ、お鍋の火を一旦弱火にして。煮込んでいる間に、麺をカットしましょうか」


 死神ちゃんは真顔になると「何を作っているのか」と尋ねた。すると、マッコイはウキウキとした調子で嬉しそうに答えた。


「丸洗いが出来る製麺機を買ったのよ。折角だから早速使いたいなと思って、パスタを麺から作ってみたの。今日はミートソーススパゲティーよ」


 言いながら、彼は麺伸ばし棒を取り出した。死神ちゃんは喉の奥が冷たくなるのを感じると、慌てて口を両手で塞いだ。青い顔でキッチンから逃げるように走り去る死神ちゃんを、マッコイとクリスは慌てて追いかけたのだった。




 ――――母は強しと言うけれど、ちょっと強すぎだと思うのDEATH。

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