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第2話:酔いどれ小路にて。

酔いどれ小路。

アンヌヴンの街で一番の酒場過密地帯。

冒険者や街人だけでなく軍関係者や行政関連の人間まで出入りするため、身分の隔たりを越えて様々な会話が飛び交い、突飛な噂話や四方山話が日々産み出される。

陽が落ちてしまっても、まだ大通りは華やかで明るいが、この小路へと入り込んでしまうと別世界に来たかの様に静かで薄暗くなってしまう。

狭い道の両側に古びた酒場が建ち並び、街燈は無く店々の窓の灯りを頼りに歩かなければならない。
 
その中を、銀髪の少年レオンは知り合ったばかりの辺境伯軍の兵士と共に歩く。

時折すれ違う柄の悪い輩は、皆一様にその場の雰囲気から浮いてしまっている二人の事を睨み付けていた。

しかし、辺境伯軍の甲冑に身を包みサーベルを帯刀しているチャックを相手に因縁や喧嘩を売れる強者は現れなかった。

チャック・ラムゼイは物々しい軍装で更に体躯は見るからに屈強、その上街の中では辺境伯軍属以外の抜刀が厳しく禁じられているため、余程の愚か者か、武力で軍を抑える事が可能な猛者くらいしか喧嘩を売る者は無い。

「――本来なら、仕事が終わった後は甲冑は外すし、こんな物騒な物もぶら下げずに帰宅するのだけどな」

チャックは左手でサーベルの柄に触れつつそう言った。

「では、今日、甲冑を身に着けたままなのは、ぼくを酒房ルロイまで送り届ける為ですか?酔いどれ小路ってそこまで危険なところなんですかね?」

レオンは辺りをきょろきょろと見回しながらそう言った。

何処からどう見てもお上りさんで、もし一人でこの地に迷い込んでいたなら一瞬でこの街の暗部に飲み込まれてしまっていただろう。

しかし、結果としてチャックの様な同行者に恵まれたのは、持って生まれた運の良さの様なものを、この少年は持ち合わせているのかもしれない。

「ふふふ、まぁ確かに甲冑を装備して来るのはやり過ぎかも知れないな。まだ陽が暮れたところで跳梁跋扈の始まる前だろうから。けれど、念には念を……ってのは、我が家の家訓みたいなものだしな」

酔いどれ小路に乱立する建物は殆どが石造りで、二階、三階建てが多かった。

少年の故郷のドーン村は広大な土地に僅かな人口しかないので平屋しか無いが、アンヌヴンの様に限られた土地に人口が過密している地域は建物を高層化する技術が進歩する。

特にこの街の石工職人や大工は、天高く聳える塔を見て育っているため、建物を高層で造ると言う事に職人としての自信と誇りを持っているのだ。

それ故、この街で生まれ育ったチャックにしてみれば、それらの光景は当たり前で取り分け説明する必要も無い事象なのだけれど、少年レオンにしてみれば建物のひとつひとつ、綺麗に舗装された大通りすらも興味を抱く対象となる。

「それにしてもレオン?キミは、格好こそ旅人のそれだけれど、武器は所持して無いみたいだね?山岳の村から下りて来たのなら、途中でゴブリン谷も抜けて来るだろう?」

チャックは半歩後ろを歩く少年をちらりと見ながらそう言った。

あの白銀の獅子の子供だから素手でもノームの武道家の様に強いのかもしれない、と思いつつ。

「えーっと、街を出たのは昨日の早朝です。岩塩を運ぶ行商隊とか街道警備隊に紛れてここまで来たんです。単独で行動したのは街が見えてからですよ。アンヌヴンの塔が観え出してからは、景色を眺めつつ往く先々で足を止めていたので置いて行かれたと言った方が正しいですけれど」レオンはそう言って、はにかんだ。

何とも魅力的な少年だと、チャックは感じていた。

男色の気は無いが、こうしてレオンと話していると守ってやりたいとか世話をしてやりたいと言う想いが溢れ出てくるのだ。

最初は憧れの英雄の子供だからと思っていたみたいだが、どうやら少年レオンの魅力に惹かれてしまったと言う事に、彼は今漸く気が付き始めていた。

「そうか、まぁ行商隊と行動を共にしていたなら安全だな。谷のゴブリン共の活動が活発になるのはひと月後くらいからだろうし。と、そう言えば母上も冒険者だったと言っていたと思うが、母上も女の身でありながら彼のベリアルに所属していたのだろうか?」

「ベリアルって父が創設したユニオンですよね?冒険者の集まりだと認識してますけど。父と母は同じユニオンに所属していたと聞いてます」

「ほほう。ベリアルに所属してた人間の女性となると、相当な実力者なんだろうな。有名なのは鬼女アンナと毒使いのイライザ。後は白銀の獅子の妹カレン・トワイニングくらいか。もっとも彼の妹君は群れるのが嫌いで殆ど単独行動だったと聞いてはいるけれど」

「あの、鬼女かどうかは分かりませんが、ぼくの母の名はアンナで、叔母はイライザって言います。あと、白銀の獅子って父の事ですよね?その妹ってことは、その人もぼくの叔母さんなんでしょうか?」

少年の言葉を聞き、チャックは足をぴたりと止めた。

もう視界には酒房ルロイが入っていたのだが、幼いころ冒険者に憧れていたと言うこの男は、この手の談義には滅法弱いのだ。それこそ我を忘れて話し込んでしまう、みたいな。

「いやいやいや、キミの母上の名がアンナで、お父上と同じユニオンで冒険していたと言うのならそれはもう鬼女アンナで間違い無いだろう!そして鬼女と毒使いは姉妹だと言う噂も確かにあったし!おおお、何という事だ白銀の獅子ブレイブと鬼女アンナの子供が今こうして私の目の前にいるなんて、信じられない!夢の様だ。神に感謝しなければ」

身振り手振り仰々しくチャックは信仰する神に対して祈りを捧げていた。

目を閉じ、手を組み合わし、感謝を口にするその姿から熱心なヴァース教徒である事は伺える。

これにはレオンも少し呆気に取られてしまった。

少年自身もヴァース教徒なのだけれど、彼の生まれ育ったドーン村には、兵士チャックの様に派手なお祈りを捧げる人がいなかったから。

それからチャックはぱちりと目を開けると、また興奮を帯びた語気で言葉を紡ぎだす。

「レオン?キミはこれから父上や母上の様な冒険者を目指すのだろう?いや、目指すに決まっているよな。キミはその為にこの街に来て、そして今から元ベリアルの面々が集う酒房ルロイへとその足を踏み入れるのだから。私は多分、恐らく、新たなる白銀の獅子の伝説の始まりに直面してしまっているのかもしれない」

「あのう、チャックさん?陽も落ちてしまいましたし、そろそろ叔母さんのお店に行きたいんですけど……?」

「ああ!そうだったな!申し訳ない、私は子供の頃から興奮してしまうと我を忘れてしまうきらいがあってね。いや、でも、レオン、これだけは聞いて欲しい。キミがもし冒険者となり、そして万が一自分でユニオンを立ち上げる様な存在となったなら、私は家も身分も捨てて冒険者となりキミの力となるから」

「えーっと、でもそれって、ぼくが冒険者にならなかったら、もう会う事も無いってことですか?」

「いやいや、そんな事は無いよ!キミにこの街を案内すると言う約束は忘れて無いし、万が一冒険者にならない様な事があるなら、我が辺境軍に入隊するのもありだと思うからね!おお、それはそれで中々良い案かもしれないな!白銀の獅子騎士団とか無敵の騎士団を率いて大陸中を駆け巡り何れは常勝の将軍として名を馳せる……。あ、いや、ゴホンっ、すまん、夢想はここまでにしておこう。酒房ルロイはもうすぐそこだから」

この男、悪い人間では無いが己の話に高揚してしまう癖がある。

レオンにしても時間さえあれば、チャックの夢想話に付き合えるのだけれど、今日のところは生れて始めて会う叔母にちゃんと挨拶をしてしまいたいのだ、気分的には一刻も早く。

そのため、再び熱く語り出したチャックを少し苦い笑みを浮かべて見詰めていた。

そんな少年の眼差しに流石の夢想狂も気が付くに至った次第。

チャックは今一度「ごほんっ」とわざとらしく咳き込んで足を進めた。


――そこは、酔いどれ小路から更に一本奥へと入り込んだ場所。

長屋の如く連なる酒場の列からは完全に孤立した一軒の建屋だった。

他の店と比べると一回りか二回り程度大きいと言っても過言では無いだろう。

レオンとチャックは、店の前に立ち木製の古めかしいが頑丈そうな扉を見詰めていた。

「ここが、酒房ルロイですか?」

レオンは指先で扉に触れつつそう言った。

「ああ、そうだよ。私も、巡回警備以外で訪れたのは初めてだ」

「チャックさんは、お酒飲まないんですか?」

「それは勿論飲むけれど、酔いどれ小路では飲まないね。基本的には冒険者が集まる飲み屋街だし、冒険者と辺境伯軍ってのは仲が悪いから一緒に飲んでたら大抵喧嘩になって大騒動になるからさ、酔いどれ小路には辺境伯軍お断りの店が多いんだよ」

「えー、じゃぁ、辺境伯軍の甲冑なんて着て来たら不味いですよね?」

「うん、不味いな。でも、今日はキミを叔母さんの所まで送り届けに来ただけだから。長居する気も酒を飲む気も無いよ。キミと叔母さんを引き合わせたらすぐに退散する」

緊張しているのか、チャックの声は少し震えている様に響いていた。

こんな屈強な軍人が畏れるくらいなのだから、余程恐ろしい人たちがいるのだろうと、レオンも腹を括る事にした。

叔母とは言え、生れてから一度も会った事が無いのだ、姉アンナの息子だと認めて貰えない可能性だってある訳だし、と。

そしてレオン同様に腹を括ったチャックが重厚な扉を押し開ける。

 

中からはランプや蝋燭の柔らかな明かりが漏れ出てきた。

扉からすぐ目の前にはカウンターがあり、そこから右手の方にはテーブル席が五つ設けてあった。

八人掛けのカウンターにはまだ客は無い。奥の方のテーブルには三人人影が見えるが、薄暗く人相も性別も判別がつかない。

どうやら、まだ混み合う時間帯では無いらしい。

「あの、もし!何方か店の者はおらぬかー?」と、チャックは軍人らしい野太い声を上げる。

店の前で話していた時とは別人の様な声だった。

すると、カウンターの奥から「あーん?なんだい、五月蠅いねえ!」と酒焼けした女の声が響き渡る。

「ったく、ウチはまだ営業前だよ!酒飲みたいなら余所で……って、何だいアンタその物々しい格好は?辺境伯軍の兵隊さんが何の用?」

その女はカウンターの奥から悪態を付きつつ登場したが、甲冑姿のチャックを見て取り敢えずは聞く耳を持ってくれた。

「私は、辺境伯軍都市警備大隊のチャック・ラムゼイであります。本日は、このレオンなる少年を、こちらで働く叔母上の下へとお連れいたした次第。イライザと言う名の女性があられるだろうか?」

女は最初チャックの方を見ていたが、直ぐにレオンへと視線を移していた。

レオンも女の事を見ていた。

化粧は濃いし、乳房が零れそうな程、胸元の広いけばけばしい格好をしているが、母アンナにそっくりだと思っていたのだ。

「ちょ、ちょっと、待って。アンタ、レオンって言ったっけ?え、もしかして、アンナ姉さんの子供?」

女はそう言うと、勢いよくカウンターから飛び出て来る。

そして、レオンの前に膝を着いて少し見上げる様に少年と視線を重ねた。

「イライザさん、ですか?ぼくは、レオンと言います。山岳の村ドーンから来ました。母の名はアンナで、父はブレイブ・トワイニングだと聞いてます」

「ああ、そうだよ。あたしの名前はイライザ。アンタの母親アンナの妹さ。ははは、それにしてもアンタさ、ブレイブに似すぎなんだけど、笑っちゃうくらい瓜二つだね。綺麗な銀髪、すごく、綺麗。で、姉さんは?いつ山から下りて来たんだい?」

イライザは目に涙を浮かべ微笑んでいた。

「あの、実は、母さんは先月、流行り病で亡くなったんです。本当に急に。それで、家とか畑とか身辺整理をして、今日、今さっきアンヌヴンに辿り着きました。生前、母がまだ喋れる時に、死んでしまったら妹を頼りなさい……と言われていたので、それで」

レオンがそこまで言うと、イライザは少年の顔を胸元へと押し付ける様に抱き締めた。

鼻に纏わり付く様な甘い匂いの香水をつけていたが、その温もりは、何だか母に抱かれてる様な感覚があり心地よかった。

「そうかい、そうかい。姉さん、死んじまったのかい。あのカレン姐に引けを取らないくらい強かったのに、流石の鬼女も流行り病には勝てなかったんだねえ」

「はい、本当に、病に罹ってからあっという間でした。村の人たちも色々と手は尽くしてくれたんですけど」

「いや、それは仕方の無い事さね。人は皆何れ死んじまうんだから。誰かにヤラれたってんなら、仇は討ちに行くけどね。と、辺境伯軍の兵隊さん、さっきは悪態ついて悪かったね。よくここまで送り届けてくれたよ。この子はちゃんとウチで預かるから、もう帰ってくれていいよ。それとも一杯飲んでくかい?」

本当に、先ほどカウンターの奥から出て来た時とは全く表情が違っていた。

そして、そろそろ四十に差し掛かろうとしてる歳にしては艶やかで色気があるのだ。

甘い香水の匂いも合わさって、チャックはイライザの魅力に卒倒寸前だった。

「あ、いえ、流石にこの甲冑のまま酒を飲むわけにはいきませんから。あ、あの?失礼は承知でお尋ねします。その、貴女は、イライザさんは、あの毒使いの?」

「あははは、また古い話を引っ張り出してくるねぇ。まぁ、そう言われてた頃もあったし、そう呼ばれていい気になってた頃もあったわねぇ。なんだい、アンタ、辺境伯軍の癖に白銀の獅子とかベリアルに憧れてた口かい?」

イライザからそう尋ねられ、チャックは頬を紅潮させ何度も頷いていた。

「こ、この街で生まれて育って、白銀の獅子やベリアルに憧れない男なんて、いません。私も、今は辺境伯軍の兵士ですが、幼い頃から貴女たちの伝説的な冒険譚に恋い焦がれ……あ、ゴホンっ。あの、イライザさん?その、ここ、酒房ルロイは辺境伯軍お断りの店なのでしょうか?」

「あん?辺境伯軍お断りなんてして無いよ、ウチは。冒険者と商人以外にも色々くるから。辺境伯軍、帝国軍、地方行政区とか兵学校関連のヤツらも、色々とね」

「て、帝国軍や地方行政区の方々も来られるのですか!?で、では、私が酒を飲みに来ても?」

「ああ、構わないよ、金持って来たら好きなだけ酒飲ましてやる……けど、甲冑はやめときなよ?あと、下手に武器は持って来ない方がいいだろうね。喧嘩売られる種になるからさ。あー、あとね、毎月一日も止めといた方がいいかなぁ」

「毎月一日ですか?それは一体……?」

「ブレイズ・トワイニングの月命日でね、日暮れから夜明けまで元ベリアル絡みの奴らだけで飲み明かす事になってるから。その日は一般人お断り、でもそれ日以外はどんどん遊びに来なよ。あたし、アンタみたいなガタイの男、嫌いじゃないから……。うふふふ、じゃぁね、また待ってるから、ね?」

そう言うと、イライザは立ち上がりチャックへとぴたりと身体を寄せ、頬に吸い付く様なキスをして、その跡をぺろりと舐めていた。

そして、呆ける屈強な辺境伯軍の兵士を緩やかに店の外へと押し出してしまった。

「――くくくっ、若い兵士ってのは本当にチョロいったらありゃしないね。あれくらいで惚けてくれるんだからさ。ありゃ多分イイトコのボンボンだから金は結構搾り取れそうだわ。さあて、よし、レオン?邪魔者はいなくなったし、食事でもしながらゆっくりお話ししようか?荷物はその辺に置いてカウンターに座りなー、美味しいもの作ってあげるから」

イライザは、レオンの事をまたぎゅっと抱き締めてからカウンターの奥へと入って行った。

テキパキとした言動が本当に母とよく似ていて、レオンはカウンター越しにその様子を頬を緩ませ眺めていた。

完全に惚けてしまっていたチャックの今後は、少しだけ心配に思いつつ。

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