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 マハドゥ。

 その魔法の起源は古く、神がこの世にキャビッチという不思議な力を持つ野菜をお作りになり、それを人の手にゆだねたとき、最初に人びとにお授けになった魔法のひとつとされている。

 けれどその魔法を使える者はけっして多くはない。

 なぜなら、神はその魔法を行使するさいに唱えるべき呪文に、ある特別な“条件”をつけ加えたからだ。

 その条件とは――



「無理だよ」私は空気を求めて青空にぐっと顔を向け、思い切り息を吸って、はいて、また吸ってはいて、を、しばらくくりかえした。

「難しいよねえ」ヨンベが困った顔で笑いながら言う。「息つぎなしでこんな長い呪文唱えるなんて」

「――」私はまだ、はあはあと息をきらしながら、ただうなずいた。「無理だよ」それしか、言うことばがない。

 そう。

 この、マハドゥという魔法を呼びさます呪文というのは、べらぼうに長い。

 しかも、発音の難しい単語がいっぱいちりばめられている。

 そしてそれを、ある一定の時間内にすべて唱え終わらないといけない。

 決してまちがえずに。

 決してつっかえずに。

 決して息つぎをせず、一気に。

 もちろん、よけいな邪念をいっさい抱かず、清らかな心で。

 今回父が私たちに教えてくれるのは、いちばんみじかいバージョンの、初歩的な――父にいわせると“だれにでも無理なく使える”部類の、マハドゥなんだそうだ。

 つまりようするに、いちばん呪文が短いやつだ。

 それがあの例の、相手のかけてくる魔法をせき止めてしまう力を発生させる、呪文なのだ。

 私たちは今それを、今日中に使えるようになるために、覚えようと練習している。

 命をかけて。

「神さまはなんでこの呪文を唱える時間を、ツィックルの葉っぱが人の子どものひざの高さから地面に落ちるまでって決めたの?」私はもう、世界中の大人すべてにしかられてもいいという気持ちでそのことを口にした。「みじかすぎるよ」

 そう。

 いちばん短いこの呪文をとなえるための時間は、せいぜい数秒――地上約三十センチの高さからツィックルの葉っぱがひらひらひら、と地面に落ちていく間のその時間と、さだめられている。

「うん」ヨンベはますます困ったような笑顔でうなずいてくれた。「みじかいよね」

 ヨンベはやさしい。

 だって、彼女自身はもうとっくに、私の母に宣言したとおり、この呪文をそのみじかい間にきちんと最後までとなえられるように、なっているからだ。

 それでも決してえらそうに私を見おろして「あら、あなたまだできないの? ポ、ピ、イー?」なんてことはひとことも言わず、私のこぼす文句にうなずいてくれる。

 あのムートゥー類とは大ちがいだ。

 ふう、と私は息をつき、すう、と大きく吸いこんで、もういちどチャレンジした。ツィックルの小さな葉っぱを、ヨンベが私の膝のところから落としてくれる。

「マハドゥーラ、ラファドゥーマ、クァイ、スム、キル」そこで葉っぱは地面についた。「ああー、だめだ」私は空を見上げてぎゅっと目をとじた。

「でも、だいぶ長く唱えられるようになってきたよ」ヨンベは葉っぱをひろいながら、私を見上げて言った。「キルまでいけるもん。あと少しで、ぜんぶいけるよ」

「ありがとう」私は思わず笑顔になった。

 ヨンベといっしょにやるおかげで、この練習も私にとっては楽しいものになっていたのはたしかだ。

 あとはそう、本当にヨンベのいうとおり、最後まで呪文を唱えられるようにさえなれば……

「やったあ!」

 ときどき、校庭のあちこちからそんな歓声が聞こえてくる。

 もちろんそれは、マハドゥかまたはエアリイをマスターした生徒の発する喜びの声だ。

 マスターする子はつぎつぎに増えてゆき、マスターできない子はしだいに減ってゆく。

 私は、まだマスターできない方のままだ。

「もしかして、最後にあたし一人だけマスターできないまま残ったりして」ふとそんなことをつぶやいてみた。

「そんなことないよ」ヨンベがカンパツをいれずに大声で答える。「ぜったいできるよ、ぜったい。あたしがホショウする」

「ヨンベ」私はなんだか鼻の奥がつんっと痛くなってしまった。「うん。あたしがんばる」大きくうなずく。

「うん」ヨンベも大きくうなずいて、私の膝のところに葉っぱをセットする。

 すう、と息を吸う。

「マハドゥーラ、ラファドゥーマ、クァイ、スム、キルドゥ」葉っぱが地面に着いた。「あー」私は空を向いてぎゅっと目をとじた。

「おしい!」ヨンベも葉っぱをひろいながら、ぎゅっと目をとじた。

「なかなか苦労しているみたいだね」父が、微笑みながら様子を見にきてくれた。

「あとちょっとなんです」私が盛大に文句をいいはじめる前に、ヨンベが父に向かっていっしょうけんめい説明してくれた。「あと、ヌゥヤだけなんですけど」

「そうかあ」父はますます微笑んで深くうなずく。「じゃあ、ひとつだけコツを教えてあげよう」

「えっ、そんなのがあるの? もう、どうして最初に教えてくれなかったの」私は母が父に文句を言うときのように文句を――やっぱり言ってしまった。

「ははは」父が困り笑顔で笑う。「ほんとは、あんまり使わないほうがいいコツなんだよね。もしかしたらこれで唱えきっても魔法が発生しないかもしれないし」

「えっ」私とヨンベは目をまるくした。「どんなコツなの?」

「うん、あのね、ひとつの単語の、最後のひと文字を省略して、次の単語の最初の文字を唱えるんだ」父は説明した。「マハドゥーラファドゥークァスキルヌゥヤ、ってね」

「ええっ」私とヨンベはますます目を丸くした。「そんなんでいいの?」

「うーん、わからない」父は空に向いて目をぎゅっととじた。「でももちろん、心の中ではちゃんと最後の単語のところまで呪文を描くんだ。それでなんとか、いけるかもしれないし、いけないかもしれない」人さし指を立てて、ウインクしながら話す。

 なんだか、ずるいやり方だなあ。

 そう思ったけれども、私はとりあえず試してみることにした。

 ずるいかもだけど、それで魔法が使えたとしたら、ラッキーだもんね。

「ぷっ」

 一瞬、緑色の髪の者が横を向いて思わず吹き出す姿が幻で見えたけれど、無視した。

「やってみよう」ヨンベが葉っぱをセットする。

 すう、と私は息を吸った。

「マハドゥーラファドゥークァスキルヌゥヤ」

 ひらひら、ぱさ。

 言えた。

 唱え終わったあとで、葉っぱが地面に着いた。

 しゅるん、と音がして、私の手の上にずっと乗っていた小さなキャビッチが、消えた。

 魔法の力に変化した証拠だ。

 魔法が、発生したのだ。

「やったあ」ヨンベが両手を頭上に上げてさけぶ。

「やったあ」私もおなじようにして、ヨンベと手をぱちんと合わせる。

「おめでとう」父は目をますます細くしてよろこんでくれた。「ほかのみんなも、もう少しでできるようになるはずだ。そうしたらぼくも安心して、旅に出かけられるよ」

「あ」私は思い出して父を見た。「そうか、パパはこのあと、えーと、研究旅行に、行くんだよね」ほんとのことだよね。ほんとのこと。

「えっ、そうなんですか?」ヨンベも驚いた。

「うん、まあちょっとした、ね」父は眉を少しさげてハハハ、と笑った。

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