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第109話 死神ちゃんと知的筋肉②

 〈|担当のパーティー《ターゲット》〉を求めて、死神ちゃんは四階にやって来た。ターゲットが居るのは様々な罠がここそこに仕掛けられている区画で、落とし穴に落ちたり串刺しに遭ったり黒焦げにされたりしている冒険者が日常的に続出するエリアだ。
 地図上では、ターゲットはずっと同じ場所に表示されていた。だから「浅瀬の落とし穴にでもハマって抜け出せずにいるのかな」と死神ちゃんは思っていた。そして、とうとうターゲットの姿を確認すると、死神ちゃんは思わず顔をしかめて「え」と唸った。――目の前では、冒険者が回転床の上で延々と回り続けていた。

 うっかりバターにでもなってしまいそうな速度で、冒険者は回り続けていた。どのようにとり憑いたらいいのかと死神ちゃんが考え|倦《あぐ》ねていると、床の少回転速度が少しずつ落ちていった。
 回転が収まり「うーん」と呻き声を上げながらばったりと倒れた冒険者を見て、死神ちゃんは驚愕した。そして慌てて駆け寄ると、冒険者の頬をぺちぺちと叩きながら必死に呼びかけた。


「おい、知的筋肉! 大丈夫か!? しっかりしろ!」


 彼女は意識がはっきりしてくると、ずりずりと地面を這いだした。どうやら彼女はどこに罠が仕掛けられているのか熟知しているらしく、罠のある床を巧みに避けていた。そしてある床の手前までやって来ると、その床を必死に叩いた。現れたのは落とし穴で、彼女はその穴に〈我慢していたもの〉を処理した。
 死神ちゃんは彼女の背中をさすってやった。しばらくして、彼女はポーチから水筒を取り出し、口の中を|濯《ゆす》ぐとようやく体を起こした。


「ありがとう、死神ちゃん……」


 げっそりとした顔でそう言う彼女に、死神ちゃんは困惑して首を傾げた。


「お前、罠のある場所を把握しているみたいなのに、何で|回転床《あれ》には引っかかってたんだ?」

「ああ、あれは引っかかったんじゃなくて、訓練していたの」

「訓練?」


 死神ちゃんが怪訝な表情を浮かべると、彼女――知的筋肉はコックリと頷いた。
 つい先日、彼女はハムと出会い、そして意気投合した。それ以来、彼女はハムと一緒にダンス教室に通っているのだという。しかし、筋肉愛を語り合えば気もピッタリと合うし、一緒に〈筋育〉していても充実した時間が過ごせるというにもかかわらず、いざダンスとなると息が全く合わないのだとか。


「息を合わせることはこの際、ゆっくりやっていくとしてもね。――彼、スピンをかけ過ぎるの。ほら、ダンスのときって男性が女性を一回転させる動作、あるでしょう? あれをね、こう、力任せに。私は独楽かとツッコみたくなるくらいにやるの。さすがにそれはって注意したんだけど直らないから、この際私が慣れるしかないかなと思って。……これは、その訓練」

「はあ、そう……。――ていうか、筋育って、何?」


 死神ちゃんは呆れ眼でぼんやりと相槌を打つと、そのように質問した。すると彼女はきょとんとした顔であっけらかんと答えた。


「いやだ、そんなの決まってるでしょ? 筋力トレーニングのことよ。筋トレよりも、筋肉愛があって素敵な言い方でしょう?」


 死神ちゃんはつかの間押し黙ると、真剣な面持ちで「ああ、なるほど」とポツリと返した。知的筋肉は満足気に頷き返すと、回転床へと向かって行った。そして先ほどと同じ〈倒れてから吐くまで〉の一連の動作を再び行った。
 死神ちゃんは彼女の背中をさすってやりながら、低い調子でボソボソと言った。


「ていうか、努力の方向性が間違っている気がするんだが。お前、灰から一発蘇生できるほど魔術に秀でていて知的なのに、そういうところは馬鹿なのか?」

「あー……筋肉に魅せられて、仲間に黙って転職しちゃうくらいだからねえ。夢中になったら猪突猛進しちゃうタイプでさ」

「ああ、そうだったっけな……」


 苦笑いを浮かべる彼女に、死神ちゃんは溜め息をつきながら、少し落ち着いて頭を冷やそうと声をかけた。すると、彼女は勢い良く顔を上げて目を|爛々《らんらん》と輝かせた。


「頭を冷やすって、あれね!? 滝行ね!? 滝行をして精神統一を図り、回転にも負けない精神を養うってことね!?」

「違うから。落ち着けよ。ていうか、回転にも負けない精神って何だ。負ける負けないは精神的な問題じゃないから」


 不服そうに口を尖らせる知的筋肉に、死神ちゃんは再び溜め息をついた。死神ちゃんは腕を組むと、呆れ顔で説教を垂れた。
 とにかく何でも挑戦してみるという精神は素晴らしいが、ただ漫然とそれを繰り返すのではなく、試行錯誤をせねば成功確率は上がってはいかないということ。そして何より、二人で行う競技なのだから、もう少し互いに話し合って歩み寄る必要があるということを死神ちゃんは説いた。
 すると、真剣な表情でそれを聞いていた彼女はゴクリと唾を飲み込むと、ゆっくりと口を開いた。


「ハムがね、死神ちゃんのことを〈心の師匠〉だって言うの。その意味が、私にも分かった気がする。――ねえ、これからは師匠って呼んでもいい?」


 なんだそりゃ、と返すと、死神ちゃんは苦々しげに顔を歪めた。そして「回転床で訓練するなら、まずは試行錯誤しよう」と提案すると、スポッティングという技術を彼女に教えてやった。それは、主にバレエダンサーやフィギュアスケーターなどが用いる手法で、これができるようになるとある程度は目が回らなくなるのだという。
 知的筋肉は早速、回転床に乗らずにそれを練習し始めた。最初は全然上手になどできなかったが、少しずつコツが掴めてきたようで、彼女はとても楽しそうにクルクルと回っていた。そのまま彼女はステップを踏み出し、巧みに罠を避けながら笑顔で回り続けた。

 彼女の上達の速さに驚きつつも、死神ちゃんは笑顔でそれを見守り、そして彼女が華麗にターンを決めるたびに手を叩いて喜んだ。しかし、知的筋肉は突如、死神ちゃんの視界から消えた。
 死神ちゃんは、慌てて彼女を最後に目撃した辺りに行ってみた。そこは知的筋肉が汚物入れにしていた落とし穴で、回ることに夢中になりすぎた彼女はうっかり足を滑らせたらしい。
 だが、まだ彼女は穴に落ちてはいなかった。彼女は落とし穴の縁に手をかけ、必死に這い上がろうとしていた。


「死ぬのはもちろん嫌だけど、いくら自分のものとはいえゲロまみれで死ぬのはもっと嫌ああああ!」


 叫び声と同時に、彼女は腕に力を込めて体を引き上げようとした。しかし、そうこうしているうちに落とし穴の縁が|補修材《スライム》で覆われていき、あっという間に〈ただの床〉に戻ってしまった。
 床下から知的筋肉の悔しそうな悲鳴が聞こえてきてすぐ、死神ちゃんの腕輪から〈灰化達成〉の知らせが上がった。死神ちゃんは床を見つめたままボリボリと頭を掻くと、フウと息をついて去っていった。




 ――――猪突猛進するほどに夢中になれるのは素晴らしいけど、目的達成のためにはクールな部分を持ち合わせなければ、うっかり落とし穴にハマってしまう。炎のような情熱と、氷のような冷静さ。そのバランスがとても大切なのDEATH。

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